過去の記事を証しのために再掲載させて頂きます。
いよいよ我が家に隣組のお世話をする「役」が回って来る前になって、力もなく、知恵もなく、頼るべき人もない私は、聖書を開き祈って備えた。
「会計を決めなければならないので、総会を開く前にあらかじめ根回しをして、引き受けてくれる人を決めておく必要がある。」と、Aさんがご自身の経験から忠告に来られた、。私は主人に「何もしないで大丈夫」と言った。主人はそんな器用なことが出来る人ではないので「そうだな」と賛成をした。私はみことばに信頼して総会を待った。
総会は集会所で行われた、Aさんは入って来るなり奥の障子を開け放った。そこには仏像が並んでいた。彼は従わなかったことを怒っていた。開ける必要もない障子を開け放ったことは、私がクリスチャンであることを知っての嫌がらせとは分かっていたが、私の心に恐れはなく、とても静かですべてをイエス様にお任せして平安だった。
総会が始まり、いよいよ会計を決める事になった。そんな気の重い役をすることは嫌がられ、頼みに行ってやっと引き受けて頂くということが、今までの習いだったらしいが、ひとりの方が「私がさせて頂く」と名乗り出て下さった。すると、もうひとり「いや私が・・」と言われて、結局決戦投票となりスムーズに会計係は決まった。Aさんは「こんな事はあり得えん」そう言われ、彼の奥さんが、彼の勧めでクリスチャンの集会に来られるようになったのはそれから後だった。
そう、イエス様はあり得ないことをされる方。イエス様に信頼する時、どのような場所ででも、どのような人に対してでも、みことばの御真実を見せて下さる。
このことは、もうずいぶん以前のことだけれど、また近い内に「役」が回ってくる。私は弱い、権力も知識もないけれど、今度は、イエス様はどのような経験をさせて下さるのだろう・・年を取って弱るほどに、イエス様の力は私の中で大きくなるのだから、恐れないで出番を待つことにしよう。
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。 聖書
2006年up
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ムベ
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