根の要る仕事だけれどさりとて捨てる気にはなれない。あまり着ていないセーターで糸はしっかりしているから・・。着る機会がなかった理由は、編み込みのために厚手に成りすぎて、ついつい着るチャンスがなかった物。
一本ずつかがった糸を解いて、袖、身頃と全体のパーツにして、それをバラバラと糸を引き抜いて解いてゆく・・横で見ていた主人が「時間のかかるもんやなぁ・・」と言う。
たしかに解いて、その糸を巻き取って、枷にして、洗濯をして、枷から玉に巻き取って、やっと編むことが出来るようになるのだから・・。
洗濯をした毛糸の枷を竿に干していたら、お向かいのご主人が珍しそうに寄ってきて、「それ、編むの?昔はしていたなぁ」ってちょっとあきれたように言われた。
私は笑顔で答えながら「わかんねぇだろうなぁ・・」とひそかに思う。
新しい毛糸を買ったからといってどうってことはないけれど、リフォームにはまる人はその物に対する愛着があるのであり、単にお金の問題ではないの。再生の喜びは死んだ物に手を入れて、再び生き返らせるような喜び。懐かしい記憶にある物が新しく形を変える驚き。
今日は、火曜日の方と今年初めての交わりだった。
イエスさまを伝える喜びは、いのちを得て新たにされた方の喜びを見ることが出来ること。でも、それはリフォームではなく新鮮ないのちの誕生。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)
彼女は、先日孫さんの結婚式で「いつくしみふかき」と歌ったことをとても喜んで居られた。大きな声で歌い、牧師さんのメッセージにも「アーメン」と大きな声で言ったと・・。
みことばの、「神が結び合わせた・・」という言葉がとても嬉しくて、その神を私が知っていることが嬉しかったと・・。幼子のような満面の笑みが主にある喜びを語っていた。
この笑顔をイエスさまはどんなに喜んで居て下さるだろう・・。
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