石ころ

モーセのカナン


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 奴隷の状態から救い出されてエジプトを脱出した民は、「神を知るため」の不思議や奇跡を何度も何度も経験し続けて来た。
それにもかかわらず、彼らは、目に見えるモーセだけを頼りとしていたので、モーセの姿を見失ったとき、自分たちの神として金の子牛を作り、それを拝み、それを楽しんだ。

 なぜだろう・・人は偶像を作り、それに好き勝手な願いを込め、それをもっともらしく祭ることが好きなのだ。
それは心をワクワクさせ、その喜びは容易く共感することができて、子どもから年寄りまで楽しむ事が出来るのだ。
そう、バベルの塔を築く時もそのようだったのだろう・・。


モーセはそのような罪を取りなす中で、主の御前に40日40夜何も飲まず、何も食べなかった。
彼は、うなじのこわい民のために命を嘆願し、これからも主が共に居てくださる事を懇願し、主との永遠の契約を頂いた。


モーセは急いで地にひざまずき、伏し拝んで、
お願いした。「ああ、主よ。もし私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか主が私たちの中にいて、進んでくださいますように。確かに、この民は、うなじのこわい民ですが、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自身のものとしてくださいますように。」(出エジプト34:6~9)


その時の彼は、ただひたすらに主と交わり、主に捧げたいのちは神によって完全に満たされ、保たれていたのだ。
肉の欲求の入り込む隙のない、そのような40日であったのだと思う。
だから、山から下ってきた彼の顔は、彼を養われた主の栄光によって光っていたのだ。

モーセの墓はない。彼は約束の地カナンを見る事もなかった。
「あなたは彼に対して神の代わりとなる」(創世記4;6)
だから、彼の痕跡は残されなかった。偶像として拝まれる事のないように主が守られたのだ。
彼はカナンを見るかわりに主の御元に、世のすべての重荷を解かれて休らいでいる。それぞ真のカナン。

何によって生きるのか、誰に生かされているのか・・。
何を楽しむのか・・、何を知りたいのか・・。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)

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