石ころ

聖所に仕える資格 ③(民数記18章)

 

 また次の物もあなたのものとなる。イスラエルの子らの贈り物である奉納物、彼らのすべての奉献物、これをわたしはあなたと、あなたとともにいる息子たちと娘たちに与え、永遠の割り当てとする。あなたの家にいるきよい者はだれでも、それを食べることができる。(11)

 

御父のものはいつも一緒にいる子らのもの。其処にいのちの貧しさはない。神のご真実を知り、みことばを真っ直ぐに聴く耳があれば、どのような状況にも主の豊かさを経験して、安らぎを得る。

父は彼に言った。「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。」(ルカ15:31)

 

最良の新しい油、新しいぶどう酒の最良のものと穀物、人々が主に供えるこれらの初物すべてをあなたに与える。(12)

 

神が与えてくださるものは初物。まだ経験したこと無く、味わったことのないみことばの祝福。御前には日々に主の最上の養いがある。

 

彼らの地のすべてのものの初なりで、彼らが主に携えて来る物は、あなたのものになる。あなたの家にいるきよい者はだれでも、それを食べることができる。(13)

家にいるきよい者とは誰か、主の家に居て、主の養いによって生きている者である。

 

イスラエルのうちで聖絶の物はみな、あなたのものになる。
人でも家畜でも、主に献げられるすべての肉なるもので、最初に胎を開くものはみな、あなたのものとなる。(14~15a)

 

きよめられたものはすべて、彼らの食べ物となる、それによって、彼らが聖い者として成長するためである。
朝毎に、聖霊によって導かれつつみことばを食べると、霊も魂もみことばに信頼して養われ、意志や感情にも変化が生まれて体質が変えられて行くのである。すべての選びにみことばが先立つようになるからである。

それは罪を知る前のアダムのように、神のかたちに変化して行くことである。人はその変化には気づかず、すべては聖霊なる神に拠ることであるが・・。

 

主に献げられたものを受ける資格は、主に選ばれて、たまわった役割に従順して応答した者である。その人たちは、主のために在るきよいものによって養われる。
主が、御子をたまわるほどの愛を持って彼らを祝福し、神と共に働く家族として養われるのである。

 

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。(イザヤ43:4)

 

 神が広大な宇宙と青い地球を造られたのは、そこに人を住まわせるためである。天も地も、すべては人が快適に楽しく生きるための備えであった。すべての存在は、神のかたちである人間のために造られたのである。

 

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」(創世記1:26)

 

神はご自身のかたちに創造する人のために、天と地を用意してくださったのである。人は創造主なる神を知らなければ、罪の支配によって思うようには生きられず、無価値とも見える自分を見る時に、神の創造はあまりにも偉大であり受け難いのである。

 

むしろ目にも見えないようなものから、たまたま進化したに過ぎないと、蛇に誘われて食べた木の実の賢さをもって考え、汚れた脳細胞が妥協の産物として納得してしまうのである。これは神と人の関係を歪めるサタンの罠である。

 

 神はご真実であり、初めの人アダムがみことばに背いて、神には拠らぬ善と悪によって罪を知り、汚れて死ぬものとなっても、その子孫を祝福してアダムの存在を無に帰すことはなさらず、一方的な祝福によって約束を完成してくださるのである。

 

これは、わたしにはノアの日のようだ。ノアの洪水が、再び地にやって来ることはないと、わたしは誓った。そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。
たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。──あなたをあわれむ方、主は言われる。(イザヤ54:9~10)

 

神が備えた豊かな地も、罪を知った人類はそれぞれの善と悪を主張しながら欲望の中で、汚し続けて生きるのに困難な所としてしまった。

神はそうなることをご存じであり、罪の初めにキリストによる救いを計画し、二度と死も無く、汚れも無い聖なる新しい天と、新しい地に永遠に住まう者とし、キリストをもってその道備えをしてくださったのである。

 

その時、人はそれぞれ救われた者の喜びと、深い感謝と感動を持って主を礼拝し、お交わりに加えられ、神の栄光を現わすものとなるのである。それは自分の意志による、人格的なお交わりであって、キリストは教会である花嫁を迎えて、聖なる真の家族の誕生となるのである。


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