石ころ

今日の歌(2021.11.06)

 

鹿鳴きて薄暮に沈む吉野山

 

言葉では先立つ思い捕らえ得ず
言葉に成らぬ思いは虚し


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コメント一覧

ムベ
デ某さんコメント感謝します。

はい。家族、それも妻を求める悲しげな鹿の声が秋になると聞えてきます。
私はその声に生き物の哀愁を感じます。

昔、大台ケ原でとても立派なカモシカを見ました、感動してのですが、
それこそ人を寄せ付けない威厳のある目でした。
信仰心がなければ、「沈黙」にも興味をもたれなかったと思いますが・・

奥様の悲しみが心に沁みます。
人が、言葉を失うような孤独がどれほどのものであるか・・。
私も若い頃にそのような経験をしています。希望の無いとき人は言葉を失います。
それは心から死んでゆく状態です。

でもどんなに辛い時でも、希望がある時は自分を慰めたり励ましたりする
言葉が心に溢れています。私の大好きは聖書の箇所です。

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネ1章1節
デ某
「鹿鳴きて薄暮に沈む吉野山」
薄暮の山に 静寂を破る鹿の鳴き声…
家族を求めてでしょうか 友を求めてでしょうか。

わが街の ポンポン山にも鹿がいます。
林の中を頂上めざし歩いていたとき 一度だけ出遭いました。
警戒心たっぷりに こちらを見つめていた鹿さんでしたが
私はまるで神様に巡りあったように幸せな気持ちになりました。
信仰心とぼしい実生活では殆ど出遭うことはありませんのに…。

「言葉では 先立つ思い 捕らえ得ず 言葉に成らぬ 思いは虚し」
言葉の有難さ。言葉の難しさ。そして言葉にならぬもどかしさ。
函館の義母は 面会のできない施設にもう5~6年います。
先日 一年半ぶりに15分の面会が許され 妻は函館に参りました。
しかし義母はすっかり話せなくなり手振り手書きで気持ちを…。
報告する妻の哀しみに 言葉もありませんでした。
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