私の祖父は、かなり大きな教会の長老を長年務めた人だった。
京町屋の薄暗い部屋で、円くなった背中をいよいよ丸くしてうずくまるようにして祈っていた。私は一緒に祈ることはなく、たまに教会に行ったことがある程度だった。祖父も祖母もなぜか信仰について私を導こうとはしなかった。
母は結婚前は奏楽の奉仕をしていたと聞いているが、一緒に教会へ行ったことはない。夫を亡くした病弱な母は教会に通える環境でもなかったが、ある時、偶像に供えたものを「ありがたいものだから」と勧められ、私が手を出そうとするとピシャリと制止されたことがあった。その一瞬の厳しさが普段と違っていたので、そのことがとても大切なことだと覚えた。
私がクリスチャンになったのは、子どもの同級生のお母さんに声をかけて頂いた時、「プロテスタントを知って居ます」と答えたことからだった。
このひとことで、近くの教会へと連れて行ってくださったことが始まりだった。祖父母を通して知って居たのはそれだけだったのに・・。
「洗礼を受けたい」と主人に話すと「ええけど、俺を折伏しようと思うな」と釘を刺された。言われなくてもそんな器用なことができる私ではない。そもそも、人を説き伏せるなどということは、腹に一物・・みたいで私は嫌いなのだ。夫婦でそんな関係はもっと嫌だった。
聖書には「夫を導くように・・」なんて書いてないからほっとした。私には出来そうもないことだからこの方が私には合っていた。
同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。(Ⅰペテロ3:1)
すべての責任は主にお任せで、私はもっぱら祈りとみことばに専念しておれば良いのだった。私にはラッキーなことであった。
なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。(Ⅰコリント7:14)
また、
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)
それでも一緒に祈りたい。一緒にみことばを・・という願いは募って来て、一人という淋しさの中で膨らんでいた。実際いつの間にか主人は偶像礼拝から遠ざかり、自然な流れのようにイエスさまが私たちの家の中に居られることを感じていた。
2001年12月、「誕生プレゼントは要りませんから、主人が教会に来てくれますように」とイエスさまに祈った。
その日、主人は一人で礼拝堂に入って来た!私は躍り上がりたいほどだったけれど、当たり前のように淡々と礼拝を終えた。
家に帰っても主人にお礼を言うことはしなかった。このことは、私の願いから始まったとしても、イエスさまと主人のストーリーなので、口を挟むべきではないと思っていた。
本当に一度もこのことを主人に聞かなかったなぁ・・、今頃になって聞いて置けば良かったのにとちょっと残念だけれど、聞かなくても分かる気もする。それはフッとだったのだろうと・・、聖霊のお導きはそんなふうだから。
私に信仰を押しつけることが無かった祖父母や母だったが、祖父のとても静かにうずくまる姿はずっと私の中にあった。どんな多くの勧めの言葉よりも重くあった。祈りがすべてだとこの時から私は覚えて居たのかも知れない。
でも、それは祖父の熱心ではなく、その祈りにご真実な主のお憐れみによることであるけれど。
もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。(ローマ8:25)
コメント一覧
ムベ
たにむらこうせつ
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事