虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

法隆寺の駐車場の植え込みが古墳だった件

2023年10月27日 | 歴史・文化

さすがは斑鳩、というちょっと前の先月のニュースで恐縮ですが

「興奮しました、古墳だけに 笑」



上のニュースの植え込み写真、誰がどう見たって植え込みですけどね。
1500年の時を隔てて、古墳だってわかったというのだから斑鳩は町自体がロマンだなって思います。

私め、日本の歴史上の人物の中では聖徳太子(=厩戸皇子)が大好きなので、太子ゆかりの法隆寺の駐車場の植え込みになって、近年は気づかれないまま守られていたんだねと。よかったねと。
亡くなった方がどなたかは、わかりませんけど、親しみを感じた話題でした。(^^)

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ホロドモール 「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」

2022年05月16日 | 歴史・文化

ロシアとウクライナの関係は、歴史を学べとよく言われる。
1932年~33年、ウクライナで起こったホロドモール、ご存知だろうか。

私は、今回のロシアのウクライナ侵攻で、初めて知ったのですが、
歴史を学んだら、鉄のカーテンで隠されていたウクライナのロシアによる悲劇を知った。

今回の暴挙も過去と同じ、プーチンの「ウクライナはロシアの属国」という意識が起こした侵攻だったのだと思う。
2014年のクリミア半島のロシア併合含めて、ウクライナ人はロシアに対して、いやというほど危機感を持っていたことをあらためて知りました。


https://eleminist.com/article/1106より
ホロドモールとは、1932〜1933年にかけてウクライナ人が住んでいた地域で起きた人為的な大飢饉である。 当時のウクライナは、ヨシフ・スターリンが最高指導者を務める旧ソ連の統治下にあった。 この出来事は、飢饉を意味する「ホロド」と、疫病や苦死を表す「モール」を合わせて、「ホロドモール」と呼ばれている。



その当時のウクライナの状況、実話を映画化した「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(2020年公開)

映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』予告編


映画概要
1933年、ヒトラーに取材した経験を持つ若き英国人記者ガレス・ジョーンズには、大いなる疑問があった。世界恐慌の嵐が吹き荒れるなか、なぜスターリンが統治するソビエト連邦だけが繁栄しているのか。その謎を解くために単身モスクワを訪れたジョーンズは、外国人記者を監視する当局の目をかいくぐり、すべての答えが隠されているウクライナ行きの汽車に乗り込む。やがて凍てつくウクライナの地を踏んだジョーンズが目の当たりにしたのは、想像を絶する悪夢のような光景だった……。



14日の東京新聞筆洗がこの映画に言及されていた。

映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(二〇一九年)は、…:東京新聞 TOKYO Web

 映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(二〇一九年)は、ソ連時代の一九三二〜三三年に起きたウクライナの大飢饉(ききん)を描く▼政府が隠す中、主人公の英国人記者が現地に潜入。積み重なる遺体を馬車が運ぶのを見る▼数百万人が死んだ惨事は人災といわれる。スターリンが強いる農業集団化で、一部の「豊かな農民」が追放されるなど現場は混乱。収穫が減ったのに、輸出で外貨を得たいソ連政府の穀物調達は過酷で、人々の分がなくなった。映画でも、モスクワに行くという袋詰め穀物が駅で積まれる場面がある▼ロシアの侵攻で農業生産が落ち込む見こみの今のウクライナで、ロシア軍が穀物を略奪しているらしい。国連食糧農業機関(FAO)の当局者も今月の会見で、トラックでロシアに運ばれた例を確認したと述べた。輸出を企てているという米メディアの報道も。かつてのように、食料が減る中で金を稼ぐつもりなのか▼ウクライナは、ロシア軍による海上封鎖で黒海沿岸の港を使えず、船で穀物を輸出できない状態という。世界的に供給が不足し、価格は高騰。貧しい人ほど影響は深刻だろう▼映画では、遺体が転がる町で主人公と出会ったウクライナ女性が「私たちは彼らに殺されてるの」と語った。彼らとは、モスクワで政治を司(つかさど)る人たち。今回の侵攻も延々と続けるのなら、遠い国でも命は危機に瀕(ひん)する。



筆洗と重複する部分もありますが・・あらためて。

旧ソ連、スターリンの農業政策の失敗により、食糧危機に陥ったソ連は、肥沃な穀倉地帯であるウクライナ穀物の強制的な搾取によって潤っていた。
ウクライナの人々は、食糧危機に陥り数百万人とも言われる餓死者があふれ、人肉さえ食べたという。

これをなかったことにはできない。


筆洗氏の書くように、過去と同じ事が今も起こっている。

ロシアの侵攻で農業生産が落ち込む見こみの今のウクライナで、ロシア軍が穀物を略奪しているらしい。
国連食糧農業機関(FAO)の当局者も今月の会見で、トラックでロシアに運ばれた例を確認したと述べた。
輸出を企てているという米メディアの報道も。かつてのように、食料が減る中で金を稼ぐつもりなのか

ウクライナは、ロシア軍による海上封鎖で黒海沿岸の港を使えず、船で穀物を輸出できない状態という。
世界的に供給が不足し、価格は高騰。貧しい人ほど影響は深刻だろう



ウクライナの人たちは悪夢を二度と繰り返さないために命がけで戦っている。その士気はロシア兵士の比ではないだろう。
自分たちの土地を守るために、絶対に負けるわけにはいかないのだと。

いいことなど何もない。ロシアは、一刻も早く兵士を引き上げるべきだと強く思う。


おまけ

ホロドモールとは何ですか? - 世界地図

●旧ソ連の農業に壊滅的な被害を与えた政策「ルイセンコ農法」に関して見つけた動画。
ルイセンコの顔、プーチンと重なる・・・目の錯覚でしょうか。
世界の奇書をゆっくり解説 第12回 「農業生物学」


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エジプト「今年最大の発見」 ミイラ包む木棺100基 2500年前、富裕層か

2020年11月18日 | 歴史・文化

2500年前(BC500年頃)と言えば、日本では縄文後期。
エジプトでは今年最大の発見と言われる、2500年前の棺が100基以上見つかった。
このような棺と言えば王家の人たちを想像しますが、民間の富裕層ということだ。
紀元前5000年頃から始まった古代エジプト文明としては、年代的には若いし、王家の谷ではなかったからか、盗掘のような目にも遭っていないのか、保存状態もいいようだ。
2500年の眠りから掘り出されてしまったミイラたち、きっともう魂は生まれ変わっているだろうから、無粋は勘弁してね。


エジプト「今年最大の発見」 ミイラ包む木棺100基 2500年前、富裕層か



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疫病退散!アマビエの伝説

2020年04月06日 | 歴史・文化

  



ネットで話題になっていた、アマビエ。ご存じでしたか?
右側の由緒ありげな古文書感に比べ、左側のイラストというか絵がなんともあれで、ユーモラス(笑)

アマビエは、江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと言う伝説の生き物です。
ウィキによれば、日本に伝わる半人半魚の妖怪。光輝く姿で海中から現れ、豊作や疫病などの予言をすると言われ、
もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と言って海へ消えたと伝えられている。




ペスト医師、奇妙な「くちばしマスク」の理由

恐ろしいパンデミックが過去に3度起き、数億人もの死者を出した感染症ペスト。患者の治療にあたる「ペスト医師」たちは、奇妙なくちばし付きマスクを...

 



当初、わたしは、アマビエのモデルは、疫病を治療すると言うことと、海の向こうの国の話ということと、何より治療の際のくちばしみたいなマスク姿が。
中世フランスの医師が考案したというペストを治療するときの姿かもしれない、と思ったけど。
アマビエの愛らしさに比べると、死神みたいですからね。うーん、結びつけるには無理があるかなー? 




  


と思っていたところ、きょう、偶然アデリーペンギンの画像を見た。

サイズ的にも体のバランス的にも、アマビエさんに似ている! と気づいた瞬間から妄想が止まらない。
頭に海草でものっかてたら、それっぽく見えそう。・・・な、気がしてきた。
突然海から現れて、海に消えてゆく感じもペンギンぽい。

うろこがないのは残念だが、白い腹の部分の羽のふかふかが、うろこに見えないこともない。
頭から背中にかかる黒い羽色が、長い髪に見えないこともない。
しかも尾羽というかシッポが3本目の足に見えないこともない。
見た人の記憶による口伝が、こんなになりました、といえないこともない。・・・ぺこぱ?

何の因果か知らないが、見たこともない南極の生き物を突然目にしたら、江戸時代の人間には妖怪としか言い様がないだらう。



ネットではクリエーター心をくすぐるのか、様々な21世紀のアマビエさんたちが出現中。
心をゆるめて、免疫力をあげましょうか。
 ↓
https://togetter.com/li/1477527


このアマビエ様は、かわいくてとても力強い。
 ↓


※個人的には アデリーペンギンさんの写真も、ご利益高そうな気がする。
 リアルにかわいいので、オキシトシン出てきて免疫力アップ。



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穏やかで平和な暮らし

2019年09月06日 | 歴史・文化
突然ですが今、縄文時代と縄文人が、私どもの心に響くものがあります。
東京新聞の筆洗記事(2019・5・23)ですが、もうとっくにリンク切れました。

以下、メモのために。切り抜きを見ながら自分のために入力します。よろしかったら、ご一緒にどうぞ。



一日に働くのは四時間ほどだが、家族ともども食べていくには困らない。自然の恵みをとりすぎないから、環境の悪化に苦しめられることも少ない。おかげで安定した暮らしが続く。

働き方改革に成功し、地球環境問題にも力を入れるどこかの国のようだが、わが国のことである。ただし、縄文時代の話だ。考古学者岡村道雄さんの『縄文探検隊の記録』などに教わった。

現代のわれわれは、そんな暮らしを実現したご先祖様たちを、ささやかながらも誇る資格があるということだろうか。国立科学博物館のチームが今月、現代の日本人は縄文人が持っていたDNAの約10%を受け継いでいるという研究の結果を明らかにした。

現代日本人は主に、縄文時代の狩猟採集民と弥生時代以降の渡来人のDNAを受け継いでいると考えられてきた。この分野の技術の著しい発展もあり、縄文人のDNAまでも高い精度で解析することに成功し、現代人との共通性がわかった。

自然と共生し、穏やかで平和な暮らしを実現していたと近年、再評価されている縄文人である。実際には貧富の差や争いごともあったという研究もあるようで、寿命も現代人に比べれば、はるかに短い。

とはいえ、戦争の記憶が薄れ、環境問題も積み重なるばかりの昨今である。1万年もの長きにわたり縄文時代を持続させてきたご先祖の知恵をあおぎたくもなる。

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狩猟採集の縄文人の主食は、クルミ、クリ、トチ、ドングリなどの堅果類と、その土地ごとの海の幸・山の幸だったそうです。
特にクルミとクリは、今でも、みんな大好きですよね。
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100年前の東京の大通りと人間たち

2016年12月23日 | 歴史・文化
年内おやすみ、って書きましたが、毎度また出てきました(笑)
カラパイアに出ていたこの動画があまりにも興味深かったので、ブログにクリップしたくて。


1913-1915: Views of Tokyo, Japan (speed corrected w/ added sound)



100年前の、日本、東京。見ながら、いろいろなことを考えさせられました。
カメラに興味津々の人、怪訝そうに見る人。
町並み、着ている着物、子供の遊び、人がこれだけ溢れているのに道路がきれい。

便利な道具も家電もなく、冬は寒くて、今の暮らしよりも、ずっと大変だったろうなあ。
でも、大通りには、人が溢れていて、賑やかでいいですね。
すっかり人のさびれた、わが町のシャッター通りと比べ物にならないわ。




では、また来年  ・・・と、言いながら、また更新しちゃうかもしれませんけど。
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平城京にペルシャ人の役人がいたらしい?

2016年10月06日 | 歴史・文化
平城京にペルシャ人の役人か 8世紀の木簡に記述
(NHKNEWSWEB 2016年10月5日)

奈良市の平城宮跡から出土した8世紀の木簡に、ペルシャ人とみられる人物が役人として働いていたことを示す記述があることがわかりました。調査した奈良文化財研究所は「平城京が国際色豊かな都だったことを示す、貴重な資料だ」としています。

木簡が見つかったのは奈良時代の都、平城京の中心部、平城宮跡の南東にあたる場所です。
奈良文化財研究所によりますと、50年前の発掘調査で見つかった木簡を、ことし、赤外線を使って調べたところ、「破斯清通」(はし・きよみち)という人名が記されていることがわかりました。

「破斯」という名字は、ペルシャを意味する漢字「波斯」と読み方が同じことから、木簡に記された人物はペルシャ人とみられるということです。
また、この木簡は役人を養成する役所、「大学寮」の宿直勤務の記録だったことから、この人物が平城京の役人だったこともわかったということです。


古代の歴史書「続日本紀」には、736年、遣唐使が連れ帰ったペルシャ人が聖武天皇と面会し、その後、位を授けられたという記述があります。
研究所は、このペルシャ人は木簡に記された人物と同一人物の可能性がある
としています。

ペルシャ人とみられる人物の名を記した遺物が出土したのは全国で初めてで、木簡を分析した奈良文化財研究所の渡辺晃宏史料研究室長は「平城京が国際色豊かな都だったことを示す貴重な資料だ」と話しています。
この木簡は平城宮跡資料館で開かれる展示会で来月1日から公開されます。

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このような発見は楽しく面白いものですね。歴史の一部分にスポットライトがあたり、小さな事実が浮かび上がってくる。
そういうことの一つ一つが、過去の出来事を蘇らせてくれる。

よく考えれば、シルクロードの終着点の日本の都ですから、さもありなんとも思いますが、渡来人と言えば朝鮮半島か中国大陸の方たちだとばかり思っていました。
ペルシャ人と言えば、イスラム系の方ですよね。さぞかし、エキゾチックなお顔立ちが目立っていたことでしょう。
そう言えば、以前読んだ本には、聖徳太子はペルシャ人ではないかという説もありました。
私はその説を支持してはいませんが、こういうことがわかると、そのような仮説が出てくるのも一理あります。太子の身近には、いたかもしれません。



それにしても、この世というのは、時間と空間の限られた場所であるからこそ、どこかへ旅したいと願うのは、古来より人間の本能的なものなのでしょうか。
シルクロードもそうですが、世界には、長い距離を歩く「巡礼の道」というものもありますね。
「ここではない、どこか」に、何かを求めて移動する。それは、人間らしい好奇心や冒険心だったり、願いを叶えるための旅だったり、止むに止まれぬ理由もあった逃避行だったかもしれません。

日本にやってきたペルシャ人の方は、故郷を遠く離れた日本の地で、どんなことを思ったろうか、などと考えていると、人生そのものが「旅」、毎日繰り返される日常も「この世」という世界の「旅」の一過程じゃないか、とも思えてきます。



おまけ
ガンダーラ 〜ゴダイゴ〜


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飯舘の守り神・オオカミ絵復元

2015年08月25日 | 歴史・文化
福島県飯舘村は、村づくりの基本理念としてまでいライフをキャッチフレーズにしていたそうだ。
「までい」とは、「手間暇を惜しまず」「心を込めて」「丁寧に」「慎ましく」といった意味の方言。

http://www.magazine9.jp/don/110824/

よりによって、原発交付金とも無縁の、人間らしいスローライフで自立をはかっていた村までも、原発事故は台無しにしてしまった。

飯舘村の山津見(やまつみ)神社、11世紀に創建され、神の使いとして白いオオカミを祀ったこの神社で、2013年火災発生。
が、避難指示区域のため消防団がいなくて、消火が遅れ拝殿消失。天井に描かれた240枚のオオカミの絵も燃えてしまった。

・・・原発事故は、人々の暮らしだけでなく、長年培ってきた土地の文化も奪ってしまうのですね。

この現実、原発立地地域の方たちは、決して他人ごとではないはずです。



東京芸術大学の大学院生らが写真を元に杉の板に描いたオオカミ
=18日午後、東京都台東区、井手さゆり撮影


飯舘の守り神・オオカミ絵復元へ 「復興のシンボルに」
08月21日 10:12朝日新聞

 東京電力福島第一原発事故で全村避難が続く福島県飯舘村の山津見(やまつみ)神社で2013年に焼失した、オオカミの天井絵の復元が東京芸術大学(東京都台東区)で始まった。「被災地の文化の継承に貢献できれば」と取り組む日本画の専門家に、避難中の住民らは「復興のシンボルに」と期待する。
 11世紀に創建された神社は山の神のつかいとして白オオカミをまつる。1904年にできた拝殿の天井には約240枚のオオカミの絵があった。2013年4月、火災が発生。避難指示区域で住民の消防団がおらず、村外の消防が着いた時には、拝殿はほぼ焼失していた。
 ニホンオオカミを調べていた和歌山大学の加藤久美教授(環境学)らが火災直前に偶然、天井絵を全て撮影していた。NPOなどが写真を元にした復元を模索し、伝え聞いた東京芸大の荒井経(けい)准教授(日本画保存修復)が引き受けた。

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再現された絵のオオカミは、どこかユーモラス。(*´艸`*)
火災直前に、偶然、すべての天井絵が撮影されていたのは、神様のはからいだったのか。

原発事故のため人がいなくなった地区は、イノシシやネズミなどの野生動物が増え、家屋を荒らしていた。
西洋のオオカミは、家畜を殺すにくい奴、という感じですが、かつて日本にいたオオカミは、神の使いとして、田畑を守る頼もしい動物だったのだろう。

私も、今一度、人々の暮らしを守ってほしいと、すべてのオオカミの絵の復元を祈りたいです。

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古代マヤの翡翠(ひすい)の仮面

2014年01月06日 | 歴史・文化
こういう特番、大好きなんです(笑)・・「古代文明ミステリーたけしの新・世界七不思議シリーズ

5日放送分の中で、古代マヤ文明の「翡翠の仮面」が取り上げられていました。
古代マヤの王の遺体を飾った翡翠の仮面。



翡翠の仮面


パレンケのパカル王の遺体を飾った仮面は、340片の翡翠と4片の貝殻、2片の黒曜石でつくられている。木製の土台の上にあしらわれていたと思われるが、すでに朽ちてなくなっている。仮面に刻まれた記録によると、パカル王は70年近い在位期間のうち8年を、自らの豪華な埋葬の準備に費やした。西暦683年8月28日に死去すると、仮面、大きなペンダント、耳栓、指輪、ネックレス、ブレスレッドなど、翡翠づくしの副葬品と共に、末代まで崇められるべく神殿の下に葬られた。
(ナショナルジオグラフィックより)



番組では、なぜ翡翠かということに焦点が当てられ、マヤ民族にとって当時の翡翠は、非常に希少であったことから、とても価値があり、マヤの世界観では、緑色が世界の中心を示すものとして、権威の象徴であった、などということが研究者によって、語られていました。

勝手ながら、私どもの仮説も申し述べさせていただきますと、生前より身につけて、病やケガの平癒への祈願をしていたとか、亡くなった後もそばにおいて、死からの復活、あるいは死出の旅への安全や死後の幸せへなどの願いがあったのではないか。
・・・などど、理由はいくつか考えられますが、単なる権威の象徴だけでなく、翡翠の持つエネルギーに何かしらの期待があったのではないかと思いました。

古い記事ですが、以前マオリの石でびりびりびり~で、書きましたが、翡翠には特別のエネルギーがあるように感じるからです。

今は科学的な論証や思考が最優先される時代ですが、古代においては、呪術やシャーマンの存在がある一定の重きをおかれていました。
すれば、当時、そういうことを敏感に感じ取れたシャーマンたちが、翡翠にエネルギーを感じて身を守る術として権力者に通達したことも考えられます。あるいは権力者自身が、シャーマンとして存在したかもしれません。
古代人も現代人同様、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーを身につけていたようですが、現代のような単純なおしゃれのためではなくて、エネルギーが感じられるある種の鉱物を身につけることで、自らを強め、身を守る目的があったのではないか。
と、テレビを見ながら、色々と想像してしまいました。

いずれにしても、マオリ、マヤ、そして日本や中国でも、翡翠は、古代人にとっては大切な石だったようです。
ただし、今現在、この翡翠の仮面に、その力があるかどうかは、テレビ画面だけでは、わかりませんが。
なぜなら・・・




■ご注意:ここからはオカルト的思考(現代科学では証明できない)になりますので、生真面目な方は、スルーするように 

その石の持ち主のネガティブな意識が強すぎた場合、その石の保つ特性の上に、悪い波動が上書きされて、人にエネルギーを与えてくれるはずのパワーの情報が消されてしまい、後にその石の所有者になった者に対して、悪い影響を与えてしまうってことも、あるのですにゃ~。
権力者などの持っていたものは、良くも悪くも、極端なことがありますから、こういうものはやはり博物館に保管することが一番ですね。




★関連記事
 マオリの石でびりびりびり~
 マウリ石
 マウリ石、その後
 大阪で出土・翡翠の勾玉



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中世の本に猫の足跡

2013年04月05日 | 歴史・文化
中世の本にネコの足跡、ネットで話題に(ナショナルジオグラフィック ニュース)

猫っていう生き物は、不思議。
なんでこんなに人の心を騒がすのか。その寝姿に癒され、時に野生を感じ、時に迷惑千万・・・

かわいい足跡を付けられたこの手書きの本の持ち主は、ショックだったのか、それとも、もう笑うしかなかったか?・・・この本の持ち主に同情しつつも、親しみが湧いてきます。

中世ヨーロッパでは、猫は魔女の使いとして、虐げられた歴史もあるが、15世紀クロアチアの古都の街に住んでいたこの足跡の主は、きっと大事にされていたのでしょう。
飼い主が書き物をしているところに来て邪魔をするのは、猫の大事なお仕事ですからねん(笑)


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 古墳時代の猫

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蘇我馬子の家は、宮殿並み?

2013年02月13日 | 歴史・文化
蘇我馬子邸 宮殿並み? 奈良・島庄遺跡 塀跡の大型柱穴列見つかる

 飛鳥時代の大豪族蘇我馬子(そがのうまこ)(生年不明~六二六年)の邸宅とみられる建物群跡が確認された奈良県明日香村の島庄(しまのしょう)遺跡で、塀跡とみられる大型柱穴列が見つかっていたことが九日、分かった。二〇一一、一二年に村教育委員会が調査していた。

 この遺跡で建物群跡のものとみられる七世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。調査した西光慎治主任技師は「柱穴の一辺が一メートル以上あり、宮殿クラスの規模といえる。立派な塀で囲われた邸宅だったのではないか」としており、天皇をしのぐ権勢を誇ったとされる馬子の邸宅規模を探る貴重な手掛かりになりそうだ。

 柱穴は八基で、馬子が住んだ正殿とされる大型建物跡の西八十メートルで見つかった。柱を直接地中に埋める掘っ立て柱式で、柱穴は一辺が約一・三メートルの方形。二・一~二・四メートル間隔で並び、直径三十~四十センチの柱が立っていたとみられる。塀全体の長さは不明だが、南北十六メートル分を確認した。

 〇四年の調査で見つかった馬子邸とみられる建物跡三棟と平行に並んでおり、一連の施設として造られたらしい。

 日本書紀によると馬子邸は飛鳥川の近くにあり、庭には池があったとされる。現場は既に埋め戻されている。


 <蘇我馬子> 敏達から推古まで4天皇の大臣を50年以上務め、天皇家との血縁関係を背景に蘇我氏の最盛期を築いた。対立する物部氏を滅ぼし、自ら擁立した崇峻天皇も暗殺、めいの推古天皇を即位させるなど、政界を主導。仏教の受け入れに熱心で日本最初の本格的寺院、飛鳥寺を建立。聖徳太子とともに歴史書の編さんや遣隋使派遣などを進めた。

(東京新聞2013年2月9日 夕刊)

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随分前だけど、NHKで聖徳太子(=廐戸皇子・うまやどのみこ)のドラマをやっていて、緒形拳さんが蘇我馬子を演じていた。
あの時代って、ドラマにすると、住居、衣装、髪飾りなどの装飾品まで、昔過ぎて資料が少なく、よくわからないがゆえに、どこかファンタジーな空気が醸しだされてしまうようで。
そんな中、緒方拳さんの馬子の、狡猾さやなんとも言えない、えぐい感じが、今に通じるリアリティーを出していました。うまい役者さんだなあって思いましたね。おかげで、本木雅弘さんことモックン演じる廐戸皇子の純粋さが引き立っちゃうのなんのって。
豪族たちの混沌の中から、日本という国が天皇を中心とした「秩序」を持ちだしたあの時代、廐戸のピュアな良心と、馬子のしたたかさが両方あって、形成されてきたのかなあと思ったものです。

今回の発見で、馬子の邸宅規模がわかりました。彼が、緒方馬子のような人だったかどうかはわかりませんが、やはり、大きな力を持っていたことに間違いありませんね。

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大阪で出土・翡翠の勾玉

2012年04月20日 | 歴史・文化
大阪府高槻市の成合遺跡で出土した翡翠製の小型勾玉
(大阪府文化財センター提供)


長い時を隔てても、自然の石は色あせずきれいですね。
プラスティックや何か、人工で見た目だけ真似しても、地球が作った自然の造形物の持つ、目に見えないエネルギーは真似できないのです。
記事によると、翡翠は力のある集落しか所有できなかったというけれど、それだけ特別のものだったのでしょう。
また、ウィキペディアによると、勾玉の形の由来は

動物の牙で作った牙玉を基とする説
胎児の形を模したとする説
魂の姿を象ったとする説
巴形を模したとする説
月の形を模したとする説
形そのものに意味があったとする説
破損した耳飾を再利用したとする説


など、諸説あるようです。
たった一つの小さな古代の勾玉で、いろいろな想像をかきたてられるのも楽しいことです。


★関連記事
 マオリの石でびりびりびり~


 
 大阪で翡翠の勾玉が出土 弥生中期、北陸産か

弥生時代中期の集落跡である大阪府高槻市の成合遺跡で、北陸地方で生産されたとみられる翡翠製の小型勾玉が見つかり、大阪府文化財センターが17日、発表した。
同センターによると、翡翠は新潟県の糸魚川周辺で産出するものが縄文―古墳時代にかけ全国各地に運ばれたことが分かっており、これまでに約400点が出土しているが、近畿地方での発見は珍しい。
勾玉は淡い緑色に乳白色が入り、長さ1・7センチ、幅1・4センチ。弥生時代中期によく見られるドーナツを半分に割ったような形。翡翠は力のある集落しか所有できなかったが、「近くの大集落から村が分かれ、譲り受けたのでは」という。
(西日本新聞)
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2600年の時を超えて現れた少女の顔

2011年02月13日 | 歴史・文化

わあ~~!どアップだあ!・・・と、自分でアップしておきながら(笑)

どこかでお会いしたことのあるような?この方は、「モーラ(Moora)」と名付けられました。
今から2600年前、鉄器時代に現代のドイツ・ニーダーザクセン州あたりで暮らしていたらしい。
2000年に発見された頭蓋骨の断片を元にして、現代のデジタル技術を駆使して描かれた画像です。
発見当初は、失踪した少女のものとして犯罪がらみで調査していたのですが、鑑定によって、古代人の頭蓋骨と判明。
このようなリアルな画像ができてしまうと、時間も空間も超越して、ついこないだまでそばにいた人のように思えてしまいますね。
時代をさかのぼると、人骨もロマンです。

2600年前の顔復元、鉄器時代の少女(ナショナルジオグラフィックニュース)


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国宝に落書き

2010年08月20日 | 歴史・文化
三重塔に800年前の落書き? 京都の浄瑠璃寺(共同通信) - goo ニュース
2010年8月19日(木)20:41

(共同通信)
 京都府木津川市の浄瑠璃寺にある三重塔(国宝)で、最下層の天井板の裏側に、帽子をかぶった人物の落書きがあることが19日、府教育委員会への取材で分かった。天井板には鎌倉時代以降、数回にわたり模様が描かれており、最も古い場合は約800年前の落書きの可能性がある。府教委によると、落書きは縦横約10センチ。ピエロのような帽子をかぶり、手に棒のようなものを持って笑っている人物が墨で描かれていた。



国宝に落書きしたら、怒られちゃいますが、それも時代をさかのぼれば、歴史的な価値がある・・のか?(笑)
それにしても、この絵、達者でおもしろ~い!!

職人さんが仕事の途中で落書きし、親方に見つかりそうになって、あわてて描くのやめたとか・・・まさか(笑)
いろいろな情景が浮かんでくるようでそれも面白いです。(笑)



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トキのミイラ、2000年の時を超えて

2010年04月23日 | 歴史・文化
ミイラは2千年前のトキと判明 京大保管、X線で撮影(共同通信) - goo ニュース
2010年4月19日(月)21:37
1916年に英国から寄贈され京大総合博物館が保管していた鳥のミイラ2体をエックス線で撮影したところ、約2千年前のトキであることが分かり、同博物館が19日発表。ミイラは1914年ごろに英国の調査団がエジプトで発掘。調査への寄付の謝礼として「日本考古学の父」浜田耕作京都帝大教授に贈られた。長さは約40センチで褐色の麻布に巻かれ、博物館は種類を特定しないまま保管していた。



時は1914年、イギリスの調査団が、エジプトで発掘した鳥のミイラは、2年後、調査の寄付の謝礼として、「日本考古学の父」に、贈られていた。
それがこのたび、その鳥が2000年前の「トキ」であったことがわかったという。

私自身もトキと言えば、つい、日本のトキを思い浮かべてしまうけれど、この記事を書くにあたり、改めて調べたら、今はもうエジプトでは絶滅してしまったけれど、古代エジプトにもかつてアフリカクロトキが生息しており、神聖な鳥として崇められていた、ということがわかった。
古代ギリシャのヘロドトスの『歴史』には、エジプトではこの鳥を殺した者は死罪とされた、とあるから驚きだ。

     


ウィキペディアによると、クロトキは、書記と学芸の神トートの化身とされていた。

純粋な日本のトキ、学名ニッポニアニッポンの日本のトキは、もう絶滅してしまったけれど、戦後のある時期まではありふれた鳥だった。
同様に、サハラ砂漠以北のアフリカで唯一の生息地だったエジプトのアフリカクロトキも、18~19世紀までは、ありふれた鳥だったのだが、1850年頃エジプトからいなくなり絶滅してしまった、という。古代エジプト人が知ったら、さぞかし嘆いただろう。



     
     村田エフェンディ滞土録 (梨木香歩・著/角川文庫)

文明の交わる場所では、人々の連れてきたそれぞれの土地神たちは、うまく折り合いをつけながら新たな文明を創造していった。はじめは、ぶつかり合いながらも、最後にはみんな折り合いをつけて・・ね。
神や自然への畏怖心が育っていればこそ、自分の神も他者の神も同じように尊重できたからではないか。
そういう懐の広さをなくしたものが、やがて戦争を起こすのぢゃろか。


コメント (4)
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