自然を求めて近辺ぶらり

四季折々の風景、草花、野鳥などの写真を紹介しています。

神々が眠る日本最古の地・花の窟 (はなのいわや)

2024年05月18日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
丸山千枚田から国道311号線を走ること約30分で国道42号線に出ます。国道42号線に出てすぐのところに花の窟があります。立ち寄ってみます。
道の駅「熊野花の窟:お綱茶屋」
世界遺産である花の窟神社の目の前にあります。ここの駐車場を利用します。


花の窟神社
花の窟(はなのいわや)は、日本最古の歴史書といわれる日本書紀にも記されており、日本最古の神社と伝えられています。その由緒は神々の母・伊弉冊尊(イザナミノミコト)を祀る御葬所で、季節の花を供え飾って尊を祀ったことから、花窟という社号が付けられたと考えられています。
花の窟には古来から社殿がなく、熊野灘に面した高さ45mもの巨大な磐座を御神体とし、参拝者はご神体に直接触れることができる珍しい神社です。また、毎年2月2日と10月2日には例大祭が執り行われ、地元の方々が綯った約170mの大綱をご神体の上から境内南隅に掛ける壮大なお綱掛け神事は、三重県の無形民俗文化財に指定されています。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。(熊野市ホームページ)
日本最古を名乗る神社は、いくつかあるようですが、花の窟神社もその中の一つです。


伊弉冉尊



丸石神 (玉石)





御神体
高さ45mもの巨大な磐座が御神体です。








お綱かけ神事
お綱かけ神事は花の窟神社のご神体になっている高さ45メートルの巨大な岩にかけられている長さおよそ170メートルの綱を張り替える伝統の神事で、毎年10月と2月に行われています。神事ではまず、氏子の代表らがご神体の岩に登り、綱の一方の端を岩の頂上付近にくくりつけ、大勢の参拝者が綱のもう一方の端を持って、国道を挟んで神社に面する七里御浜海岸まで引っ張ります。綱に触れると御利益があるとされています。(案内より)


高さ45メートルの巨大な岩にかけられている長さおよそ170メートルの綱が国道42号線脇まで来ています。


窟の頂上より掛け渡されたお綱は、国道42号線脇のここで巻かれています。神事では国道の向こうの七里浜海岸まで引っ張られるようです。





国道42号線


七里御浜
熊野市から紀宝町に至る約22Km続く日本で一番長い砂礫海岸で、荒々しい黒潮をおおらかに受けとめるこの浜には、熊野川の上流から新宮を経て、熊野灘の荒波に磨かれた小石が敷き詰められています。




七里御浜の鯉のぼり
熊野市七里御浜海岸に約250匹の鯉のぼりが約1キロにわたって泳いでいます。(車中から撮影)


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眼下に広がる1,340枚の棚田・丸山千枚田

2024年05月17日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
入鹿温泉の近くに丸山千枚田があることは、かなり前から知ってはいましたが、訪れたのは今回が初めてです。ここに着いたのが朝9時頃とあって数台分しかない棚田を一望できる上の駐車場に車を駐めることができました。上から眺める水が張られた田んぼが素晴らしい景観を作り出しています。








カラスがトビを追いかけ回しています。


現在この棚田は「千枚田を舞台に都市住民との交流を図り、一緒になって千枚田を守っていこうという」趣旨のもと、丸山千枚田7.2haのうちの約1.6haをオーナー用として活用しておられます。オーナーさんが手作業で田植えや稲刈りのほか、地域のイベント等にも参加されているということです。 千枚田と言われるが、実際には高低差160 m(標高90 - 250 m)の谷合に約1,340枚(7 ha)の棚田があり、最も小さい田は、1枚で0.5m2だそうです。
















田植えの終わった田んぼもあります。








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清流熊野川沿いを遡り入鹿温泉へ

2024年05月16日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
くじらの博物館を午後5時前に出て、新宮市から国道168号線を熊野川沿いに湯峯温泉方面に進みます。途中で狭い道の続く311号線に入り、三重県熊野市紀和町にある、この日の宿 入鹿温泉 (いるかおんせん) に向かいます。


この道は、川湯温泉・渡瀬温泉・湯の峰温泉へと続く国道168号線ですが、途中で国道311号線に入り熊野市へ向かいます。
川湯温泉は冬場に熊野川の支流大塔川が仙人風呂となり、わたらせ温泉は広い露天風呂で、湯の峰温泉は日本最古の湯として知られています。



北山川に架かる瀞大橋を渡ってきました。


この日の宿・三重県熊野市紀和町小川口の入鹿温泉瀞流荘です。



宿周辺の風景です。






トロッコと湯ノ口温泉(2009年8月撮影)
瀞流荘の敷地内を元鉱山を走り、入鹿温泉と湯ノ口温泉の二つの温泉を結ぶ観光トロッコが走っているのですが現在は運休中です。
ここを訪れるのは実に25年ぶりです。その時はトロッコに乗って湯ノ口温泉まで行き日帰り入浴しました。
背を低くしないと乗れないほどの小さなトロッコです。また、川舟での瀞峡めぐりや飛地の村・北山村、十津川村などもめぐりました。



湯ノ口温泉
写真は25年前に撮影したものですが、パンフレットは最近のものです。




瀞峡 (どろきょう) めぐり (2009年8月撮影)
瀞峡はウォータージェット船と川舟でめぐるコースがありました。居合わせたご夫婦に最低4人いないと川舟に乗れないので、ご一緒しませんかと声をかけていただき一緒にめぐりました。当時1,250円/人でしたが今は3,000円/人の完全予約制で前日までに予約しないと乗れないようです。

川舟
熊野川の右岸が和歌山県、左岸が三重県です。


ウォータージェット船

飛び地の村 北山村 (2009年8月撮影)
和歌山県でありながら、三重県と奈良県に囲まれ、和歌山県のどの市町村とも隣接しない特殊な位置にある北山村は、日本でただひとつの「飛び地」の村です。秘境と呼ばれています。
東西20km、南北8kmの小さな村は、面積の97%は山林で、清流北山川での観光筏下りやラフティングが大人気です。


道の駅 おくとろ」は、アウトドアやスポーツ、温泉施設、宿泊施設等北山村をまるごと楽しめる北山村観光の拠点となっています。


25年前には、下のコースで紀伊半島の中央部を回りました。このコースも温泉や自然がいっぱいで魅力的なところです。別の年には奈良県の黒滝村や天川村等を含めて和歌山県の高野山、花園村、龍神温泉、しみず温泉、那智の滝等々を回っていて、紀伊半島の内陸部には何度か足を運んでいます。中には「日本三大酷道」と呼ばれる国道425号線も通っていて、狭い道路も多く走行には神経を使うところも多いです。ちなみに「日本三大酷道」とは、長野〜岐阜〜福井を結ぶ国道418号、四国を横断する439号、そしてこの425号とされています。国道だから大丈夫だろうと入り込んで、あまりの狭さに途中で引き返したこともあります。将来は和歌山県新宮市から奈良県五條市までの紀伊半島の中央を貫く地域高規格道路「五條新宮道路」の計画があるようです。


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古式捕鯨発祥の地の「くじらの博物館」

2024年05月15日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
和歌山県東牟婁郡太地町の「くじらの博物館」に着いたのが午後4時過ぎでした。閉館時間は午後5時なので、イルカショーやクジラショーは、すでに終わっていて見ることができませんでした。ちょっぴり残念な思いもしましたが、鯨が餌をねだる場面や鳴き声などを聴くことができました。良しとしなければなりません。
「くじらの博物館」への取り付き道路に入ると、鯨のモニュメントがお出迎えです。


正面に見えるのは展示されている捕鯨船です。




「くじらの博物館」から見た太地くじら浜公園


捕鯨船「第1京丸」


イルカショープール
ショーは行われていなかったのですが、イルカが頻繁に飛び上がっていました。


クジラショーエリア (手前) とふれあい桟橋 (奥)


カヤックアドベンチャー


カヤックアドベンチャーでは、鯨への餌やりをしていました。
仔鯨が水面から顔を出して大きな鳴き声で餌をねだります。



餌の魚が仔鯨の口に入る直前です。


時にはカヤックの真下を抜けて反対側に顔を出すこともありました。






ビーチでふれあい
人が水の中に入って、仔鯨やイルカと触れ合うことができます。


自然プールで見られるクジラたち

下の写真は上の写真をを拡大したものです。




ふれあい桟橋










本館内の展示物
館内にはコククジラやセミクジラなどの骨格模型や古式捕鯨の様子などが再現された模型などが展示されています。



















鯨を網の中に追い込んでモリで仕留めていたようです。




別料金 : イルカにタッチ300円 餌あげ体験300円 カヤックアドベンチャー1,000円 ビーチでふれあい1,000円 平日限定でふれあい満喫パックの販売があり、全てを体験すると2,600円が2,000円になります。

マグマがつくった不思議な景観・橋杭岩

2024年05月14日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
橋杭岩を訪れるのは3度目になりますが、潮が引いて橋杭岩まで歩いて行ける光景を見たのは初めてです。浅瀬で磯遊びをする家族連れや橋杭岩目指して歩く人もいました。「道の駅 橋杭岩」の駐車場は駐車待ちの車が並んでいて大変な混みようでした。

約850mにわたり、幅約15mの橋脚のような岩塔(橋杭)が直線状に並ぶ。約1500万年前~1400万年前に地下から上昇したマグマが熊野層群に貫入した流紋岩の岩脈である。岩脈が崩壊して波食棚に散在する漂礫は、巨大地震による津波で運ばれたとされる。(案内より)





























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