田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

官兵衛ゆかりの城下町、秋月へ

2015年07月28日 | 朝倉
 少し前のことになりますが、家内が秋月に行きたいというので、観光シーズンではないのですが行ってきました。  秋月は鎌倉時代から400年近く秋月氏が支配していましたが、徳川時代になって元和9年(1623年)、黒田官兵衛の孫、長興が黒田藩の支藩として5万石を分け与えられ、秋月藩が誕生します。その後、明治になるまで城下町として存続しました。秋月は山裾の城下町で、主要道路沿いにはなく . . . 本文を読む
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大正は遠くなりにけり

2015年07月24日 | 話の小箱
 大正は遠くなりにけり。こう言ったら大正生まれの人から叱られるだろうか。  私事になるが先月、母が他界した。大正9年生まれの95歳であった。夫を早くに亡くして以来、40年近く一人暮らしをしてきた。施設に入るのは嫌だと言いながら、病気ひとつせず、最近は兄が身の回りの世話をしていた。その日は兄が母に声をかけて買い物に出かけ、帰って来た時は布団の中で息を引き取っていた。兄も最初は気付かなかった程、安ら . . . 本文を読む
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空振りだった九州国立博物館

2015年07月22日 | 日々の出来事
 21日、九州国立博物館で開催されている「大英博物館展」を観るため太宰府に行きました。  ところが西鉄太宰府駅に着くと、構内に「本日は休館日です」の看板が。まさか平日に休みは無いだろうと思っていたら、月曜が祝日の場合は翌日が休館になるそうです。そういえば昨日は「海の日」だった。リタイア組はこういうところが鈍感になります。楽しみにしていたので残念です。  せっかく来たので天満宮に参拝しました。高 . . . 本文を読む
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銀閣寺道の屋台伝説(下)

2015年07月16日 | 遠い日の記憶
 浄土寺橋の屋台については、色々な方が回想している。  京都在住の元大学教授の思い出である。元教授は私より9歳ほど年長であるが、学生時代は銀閣寺道に下宿していたという。  この方は、毎晩のようにここでラーメンを食べていた。この屋台は繁盛し、百万遍に「百万石」という店を持ったが、この店は後に韓国料理店になり、後にそれもなくなったという。浄土寺橋の北西には、今を時めく「ますたに」というラーメン屋が . . . 本文を読む
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銀閣寺道の屋台伝説(上)

2015年07月14日 | 遠い日の記憶
 JR京都駅から錦林車庫前行きのバスに乗り、河原町通をずっと北上して今出川通を鴨川を越えて東に進むと、白川通との交差点に銀閣寺道のバス停がある。昭和51年に市電の今出川線が廃止されるまで、銀閣寺道停留所があったところである。この交差点をまっすぐ東に進んでいくと銀閣寺へと至る。  すぐ横を琵琶湖疏水の支線が流れており、浄土寺橋が架かっている。その橋の東側のたもとに昔、一軒のラーメン屋台があった。 . . . 本文を読む
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道の駅 吉野ヶ里へ

2015年07月09日 | 吉野ヶ里
 佐賀県にある道の駅 吉野ヶ里「さざんか千坊館」へ行ってきました。  近年はあちこちに道の駅ができており、ドライブを兼ねて出掛けています。  さざんか千坊館は、吉野ヶ里歴史公園前を北に行き、東背振インターから山越えして福岡市へ抜ける国道385号沿いにあります。急坂を上った山の上です。 。    道の駅の正面です。  吉野ヶ里遺跡は山を下った平野部にあり、山上の道の駅の名前としてはち . . . 本文を読む
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孫は祖父母を何と呼ぶか

2015年07月04日 | 話の小箱
  先日、新聞の随筆欄に「じいじ・ばあばでよいか」という記事が掲載された。それによると、10年程前から孫や家族がおじいちゃん、おばあちゃんのことを「じいじ」「ばあば」と呼ぶ事例が出て来たそうである。また、そう呼ばれて喜ぶ祖父母もいるそうである。  へえー、そうなのかと思ったが、実は近くに住む娘の子ども達は、私たち夫婦を「じいじ」「ばあば」と呼んでいる。私たち自身がそう言うので、自然に孫 . . . 本文を読む
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