🍵 日出藩木下家 青山緑水

2024-05-15 02:55:53 | 茶楽 ₂₀₂₄









読んで そのままですが…

山は青く  水は緑

意味も そのままですが…


つまり 人が本来持っている心そのまま

ということだそうで
私は死んでも無理そうです




お茶席 行ってきました






風神





日出ひじ城下かれいまつり

例年 GW 次の土日で開催されます
幕府献上の 城下カレイ
賞味会は人気で 事前予約開始即完売


私は お茶席の方に


全く 予想だにしなかった お茶盌

「風神」

この季節なんだ~

と 知った

こいのぼり かぶと
かきつばた かえで

その辺りだと 感激も少なかっただろうが

一度  「風神・雷神」 セットの茶盌を 迷ったことがある
どういう時に 使うものか 思いつかなかったから
買わなかったことがある…

ふむむ


欲しくて たまらん  まではない…今のところ









掛け分け の 兜


輪島塗の 棗







花入れは 丹波焼 とのこと

これもまた 縁が無かった
備前?と思うものがあるある
その中で

白丹波





すっきりした 釉垂

細い首がいいね~
でも 形は控えめで 花をひき立てている


その花…





赤いのは ほたるぶくろ

と おっしゃってたような…


花名は すぐ忘れる

白いのは こばのずいな ?


あかんな~


ゆっくり お話がしたかったけど
お客さんが増えてきたところで…



せっかく出向いたので
日出暘谷城大手門跡に 
寄ってみました







大手門前土橋 かまぼこ石

日出暘谷城と 豊後竹田岡城
二城の 特徴のある 天盤石です






実際は もっと 膨らんでた


手の込んだ 切り込み接ぎ の向こうに





鬼門櫓

空堀




完璧な 女装 除草


艮の方角 角が無い
鬼門櫓






日出藩 木下家





家紋

澤瀉





難読漢字

おもだか

であります

豊臣つながりで おね の母 朝日の局の墓がありまする







関ケ原のあとで 日出藩を開き 築城

400年物の 本丸石垣

穴太積みです






なかなかに きっちりと 積んでいます

いいですね~


まつりがあるので 地区の人が
ボランティアで 除草したのでしょう


業者より丁寧ですよね~





大阪城 天守西内堀

2024-05-14 10:11:05 | 大阪春の陣






小天守台 西角

規制され ペチペチ できない
使われている石は かなり大きい
面がきれい
隙間ぴっちり


もうちょっと 左から
エレベーターがはいらないように

破風
破風






堀の方から
天守 二面





徳川の天守
望楼だけが豊臣
って 感じ






西面の 天守台は 高いぞ!





いい!





人が切れるの待ってても切れない



西側の 堀の石垣に上がる





街灯が…






ここの土台が 御成門内櫓 だろうか

ここから 北の仕切門まで 多聞櫓がつながっていた
と思われる 石垣の上を行ってみる






西側 内堀と空堀の堺




外側 西の丸の 出角






櫓があっておかしくない
櫓台に見える
が どうも なかったみたい






ここにも 笠石銃眼






御座船

ここで Uターン

この高さの 石垣を 水面から 見上げたら
迫力満点だろうな~

石垣と桜と天守





この内堀 舟遊びしたり

鯉を養殖したり

しなかったんだろうか







この~木 何の木?

だよね

折れ枝とか 危険が危ない
ここまで大きくなると 枝打ちも大変
観光客も多いからね~

そういえば GWに 清水坂の桜の木
折れたんじゃなかった?

城だから 景観もあるが
日陰もあった方が良いから
背丈の低い木が良いよな~
桜も 🐛 の問題もあるし









西面 逆光になるので 露出に悩む

AM  11:03





大手門前 バス到着したの
AM  8:22

ここまで 2時間半

何して来た…


天守見上げる







こちら側は 大破風じゃない


小破風   小破風






こう見ると 戦国の頃の城じゃないよね



半分くらいは 来たのかな…





大阪城 天守閣前広場

2024-05-13 09:27:34 | 大阪春の陣









背丈より高い雁木を上がった堀の武者走り
から 桜門虎口 櫓台

何度見直しても デカイわ~


この上で 仁王立ち したら カッコいいやろな~

でも実際上がったら へっぴり腰やろな~






雁木降りて 目線高さで見た 桜門桝形

四番石 と 振袖石だね



そして 目線高さからの 虎口




みんな 何気に 通ってる

石垣 興味ないのかな?


ここの 右は 天守閣

こちらは 大人気






背の高い お姉さんだった


膝カックン したかった

したら 通報されるよね やっぱ







桜門虎口曲がってから まっすぐ 天守

ここには 御殿があった
徳川時代の御殿ということは
大阪城代
ということなのかな?
聞いて知ってる人は いないのだが…







そう考えると 上方 大阪のこと わかってない
天領
と 思えばいいのかな
ちょっと 勉強せねば






やはり なんでやねん?

太閤はんの お城が白い
そう思ってしまう

大阪城は 徳川

太閤はんは 大坂城




                 👬👬👫👭👬


気づかなかったが 天守閣に入るの並んでた







土台が こっちから見ると 意外に小さい
と 思うのは 前に
金明水井戸のある…
天守閣土台の前にあるのは
附櫓があったの?

なんか 本 あったな~
しっかり見なきゃな~


見た
小天守台 だった
でも 小天守は 建てられなかった








大阪城


大坂城ではありません








ちょっとまって

こっちが 正面とばかり思ってたけど
こっちに 小天守台があるってことは
ちがうの?

それともこっちを正面にするために
小天守を建てなかったの?






撮り方まずかったか
手前の小天守台が気になった



全く予定になかった 大阪城
例年になく遅い桜
運よく好天







小天守台に人が居る
部材の大きさが凄い






こんな大きな石を積み上げてたのか~


天守連写












天守台で こんなに大きな石を積んでる城は
他にないんじゃないかな
ということは
こちら側が 御殿だから
こっちが 正面でいいのか






石垣前で見上げると 小天守台で
天守の上だけしか見えない







外国からの観光客が多い しかも多国籍
大阪城と組み合わせるのは
やっぱ道頓堀 食い倒れだろうか
若い人とかファミリーは USJ?
でもそっちに行く人は
お城は来そうにない気もする
そういう人たちとは
完全にちがう見学の仕方をしている
自分たちに 気が付く








おいしそうにすら見えてしまう







小天守台前の 残念石

かなり 大きい



これみると
石垣に積まれている石の面は
正方形
ということは
この残念石の 左面が見えてて
実は 奥行に こんな長いんだ
ということだわな








見事な石垣に 見とれてたわけですが

大手門に続いて ここも 忘れてました









金桃

ま~ ちょ~~っと 成金やわ~

魔除けになりそうにない気もする


銃眼もあるね





大阪城 桜門 笠石銃眼

2024-05-12 09:11:10 | 大阪春の陣








桜門 桝形を出た 天守の反対側

堀の石垣の上に 上がると






笠石銃眼

銃眼付天盤石 が 並んでいる





堀の向こう 二の丸を狙っている




この距離 狙っても 命中率は低そうだ




当たったとして どれだけダメージ与えるのだろ




逆に 向こうから 撃ってきても 




こちらまで 届くだろうか




と考えると 堀の幅は 重要になってくる


きれいに加工された 銃眼石
大きい石と 大きい石の 間に 小さい石
で 良いのだろうが 徳川は 加工した
1つ 造るのにかなり苦労しそうはのに
ずらりと 並んでる





桜門前 土橋



     この辺に 桜の馬場があった
     ⇩




横矢 横弾 届くのかな…?

ここらからだったら 効果ありそうだ





ずらりと並んでいる





そして 四角い穴も 開けられている




多聞櫓の 外壁の 位置決め 固定用かな

笠石銃眼が 床に伏せて狙うように
武者走りに 並んであった
その上の壁には 鉄砲狭間が あった

のではないだろうか





桜門と 反対方向 東側の方 見てみよう





城に来たら
カド じゃなくて スミ
角 と 隅
使い分けるようにしている



 東側 桝形         一番櫓
   ⇩            ⇩    


死角ができないように  横矢をかけれるように

角          角 




桜門土橋の 二の丸 西には 大手門

反対の東側を防御する 桝形 門櫓があったのだろう
土台の上に 人が上がっている
行ってみたいが 遠いな~~





排水口

当時モン にしては 加工がきれいすぎ と思う
しかし 後から 造れないしな~
徳川再築の時に したんだろうな~





それにしても 石積み きれいやな~


東の角 城内側

なんてことないように見える
が 人の背丈以上の高さがある






東の角の角


⇩ 除草に使う 脚立だろう 上の方は 怖いぞ トムになりかねない





内濠 と 空堀 の 堺



濠から上陸してくる敵の 防御壁? 仕切り門跡?  ⇧



⇩ 東の角



安全柵 1m20cm~30cm くらい?

二の丸から 撮ったら 石垣が 一層すごく写る






ケチをつけるわけではないが

火縄銃の 命中精度がわからないから
これ 使えたのだろうかと 疑問を持つ

やはり 敵を引き付けないと
ダメだったのではなかろうか

刀より 槍
槍より 長槍
長槍より 鉄砲

走り回る騎馬を狙っても 当たらないでしょー
だから 動きを止める 馬防柵

攻める側も 守る側も

堀越での 鉄砲は 撃っても
ムダだったのではないかと思う


実際のところ どうだったのだろうかと
堀の幅を見た時に いろいろ想像する



大阪城 天守 銅瓦

2024-05-11 11:11:11 | 大阪春の陣











蛸石   虎口櫓台


ここを 折れますと








天守が見えます







よく見る 大阪城





実物を 見るのは 初めてです


画像を見て すぐにわかる 大阪城

他の城とは 大きく違います





屋根の緑青です

銅瓦 
金属瓦
なんですよね?

もともと なんでしょうかね?
銅は 錆びる前は ピカピカですからね
豊臣ならわかるのですが
いやいや 金箔でも 納得します

徳川再建 の時は どうだったんでしょう

昭和の天守
銅瓦 なんですよね
なんか 塗装したとか?
本当に 銅瓦で 再建する必要ないですよね
なんだか わからないことが 多い

だいたい 太閤さんのお城と言っても
白いし
位置も変わってるし
そもそも 本丸も 埋まってるし
極めつけは
テッキンコンキンコンクリート

ちょっとね 理解するのに 複雑で
頭 こんがらがらってます

銅も金も 高騰して
盗賊団が横行してますが
銅瓦 大丈夫ですかね?




もういちど 櫓台


天守側





裏側から 上れたのじゃなかったかな
上がれたら 蛸石の 厚みを 見れる
のだったが、、、規制されてるかどうかも確認しなかった
この 櫓台の上から 桝形 見たかった


桝形正面





そして 堀側の櫓台

ここに 渡櫓 門櫓があった
たぶん 桜門を 再建したときに
徳川が 再建してる
してなかったら 城が 完成しない






なんで 規制されてるのだろ
それに 木が邪魔


櫓台に 続いて 雁木がある
多聞櫓が つながっていた





ここの雁木は 上っていいみたいです





幅の狭い雁木 気を付けて上らないと 踏み外します

ここで こけたくありません




ここ 積み直してますね




櫓台の上には 上がれません


雁木の上は 幅がありますから
多聞櫓だったということですね

大手門は 土塀で
足元、雁木で撃たなければいけませんでした






こちらからの多聞櫓から続いて櫓 渡櫓 門櫓
さらに 桝形正面 蛸石の上の多聞櫓
折れて 振袖石の上の多聞櫓へと
続いていたのでしょうか


雁木の上から





AM 10:19

人が ぞろぞろしてて
なかなかいい場所です
光の具合も良いです







したから見上げるよりは 多少水平レベル
と言うほどじゃないが…



あれ




スケールさん 上がっておいでよ



って 上がってきたら
こんなもん 取り出した





食べる前に 撮ってたら
写りこんでる 外人ファミリーのママさんが
スマホを差し出して 頼まれた
英語だったから 東南アジアだろう
大阪城バックに ニコニコしてたので
家族3人 何枚か撮ってあげた



ここで 遠足シート 取り出して
べいくどすいーとぽて~と
食べました





現代の 櫓





クレーンが 無かった時代の 普請


あの クレーン どうやって降ろす


今は解決済みだね