哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

精神分裂病VS天才

2005年12月11日 | 心理学、精神医学
現在、ウェブリブで『異常なる感性』という小説をリリースしています。すでに、第三章”Ωの輝き”、第二章”饗宴”、それに第一章の”回想Ⅰ”の8節までリリースが完了しています。勿論、この『異常なる感性』という作品は全24巻、トータル24000ページほどの超大河小説になる予定なのですが、完成に至るまでにあと何年ほどかかるのか、その見当もついておりません。ただ、言えることは、この小説はこれまで人類が生み出してきたいかなる小説よりもそのスケール、思想、哲学、学門、専門、学際性、宗教性、芸術性、独創性、異常性…といったことにおいて、前人未到の境地を築くものでありましょう。もし、まだご覧になっていないようでしたらご一読をお薦めしております。

 さて、本題の精神分裂病と天才との関係ですが、すべての精神分裂病者が天才であるとは限りませんが、逆に、ほとんど全ての”天才”たちは例外なく”精神分裂病者”あるいは”精神分裂的”な気質を内在させている…ということ、このことは疑うわけにはゆきません。実際にそうなんですから。また、一般論になりますが、精神分裂病について論じることは”時間”について論じることを意味するのですが、その場合も通常の”時間論”、”空間論”を遥かに超えた、”超越論的時間論”、”超越論的空間論”といったことを踏まえ、さらに、数学でいうところの”コンパクトHausdorrf空間”の意味あいを含めたところの空間トポロジーを意識した”空間論”を介在させたところの”時間論”というものを考える必要があるのではないでしょうか?

 数学において、”帰納的極限”、”射影的極限”といった基本的な概念がありますが、これを拡大解釈させれば、”超越論的超越超限帰納法”あるいは”超越論的超越超限斜影法”といったことが考えられ、このようなあたらしい概念を”意味論的空間トポロジー”という総合的な新しい学門で新たに装いを凝らし、精神病理学への応用へと橋渡しが可能であるか、そのことを考えてみたい。

 意味論的空間トポロジーを展開するに先立って、ソシュールの言語学、およびソシュールの記号学が前提とされているが、この認識は当然なものである…ということで省略することにする。

 現在、巷ではいわゆる”脳科学”、”神経科学”といった学門がもてはやされているが、このような”底の浅い”学門の行く先は非常に寂しいものを感じるのは筆者だけであろうか? いずれにしても、”意識”の問題、”精神”の問題、”こころ”の問題、”精神分裂病”の問題を論じるには、それなりの”背景”、”前提”、”条件”、”仮説”、”総合的な洞察”…といったものがなければなりません。

 はっきり申し上げて、現在の”精神医学”のレベルでは”精神分裂病”の本質に迫るだけのその方法論を展開できるだけの総合的な戦略は皆無である!…と認識しています。

 では、どのようにアプローチしてゆけばいいのでしょうか? それを、このブログではこれから長い目で追求しようとしているのです。もちろん、”教育”、”宗教””哲学”、”文学”といったことがらも総合的に含めながら、基本的には”精神医学”、”精神病理学”、”深層心理学”、”異常心理学”および”精神分析学”といったこれまでのオーソドックスな学門の援用を含めての話しですが…。


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第一章 回想
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一  存在の奥義 前半
一  存在の奥義 後半
二   魂の食事
三  出会い 前半
三  出会い 後半
四  変化の兆し 前半
四  変化の兆し 後半
五  世界認識
六  なつかしい人々
七  離別への決意
八  自問自答
九  分厚い封書
十  反逆者の内面
十一 宗教談義
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き

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論文集
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■ 『信のたわむれ』 
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』

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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』


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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 №209について

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関連ブログ:
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■ ライブドア・ブログ
(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
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(AI、意味処理、知識処理;脳科学、神経科学;機械翻訳、その他)
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(文学、小説、哲学、論文、作品、ファンタジー、その他)
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(心理学、精神医学;脳科学、神経科学;教育、思想、哲学、その他)

心理学、精神医学との出会い(その2)

2005年10月23日 | 心理学、精神医学
 最初のうつ病が回復したあと、しばらくは全く頭の使わないアルバイト(築地のくだもの青果市場での荷受仕事をしたり、浅草橋のおもちゃ問屋で配送の補助作業など)をしていましたが、やがて、翻訳のアルバイトを受けるようになりました。

 この個人翻訳のアルバイトが切っ掛けになり、技術翻訳、テクニカル・ライティング、コーディネータ、機械翻訳…といった一連の分野での仕事に集中するようになりました。また、これと併行して、文学、演劇、考古学、文化人類学、心理学、精神医学といった方面での読書にもだいぶ時間を割くようになりました。

 ガチガチのコンピュータ・エンジニアが徐々に軟らかなドキュメント・エンジニア変貌するとともに、これまでキリスト教関係だけだった読書のジャンルにも夥しい変化が訪れ、幸運にもこの時期に非常に多くの小説を読むことができたのです。

 そして、1988年、8月8日、とうとう自分の会社を設立するところまで漕ぎ着けることができたのでした。今考えると、なぜ独立して会社設立でなければならなかったか、その深い理由はわかりませんでしたが、わたしはこれを”運命”である…という風にとらえているのです。

 この期間、すなわち、30才から40才までの10年間が自分の文学の基礎を築いた重要な読書期間だったこと、このことを非常な驚きで今回顧しているところなのです。というのは、この時期より早ければ人生の深い意味は十分に汲み取れなかったかと思われるし、この期間より3年でも5年でも後になってしまうと、別の重要な作業ができなかったことがわかるからなのです。その別な作業というのが”人工知能”の研究なのです。

 そして、会社設立に伴って、一連の会社活動に力をいれていたころ、第二回目の強烈なうつ病に襲われたのです。1990年1月6日でした。このうつ病のときの詳細については『異常なる感性』という作品の中で詳しく論じる予定ですので、ここでは触れません。

 第一回目のうつ病(1980年)から第二回目のうつ病(1990年)までの期間を創作準備フェーズとするなら、第二回目のうつ病から現在(2005年)までの期間が創作の第一フェーズとでも呼べるかもしれません。

 いずれにしても、この期間(1990以降)において、『異常なる感性』、『拝啓 小学生の皆さんへ』、『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』、『信のたわむれ』、『知のたわむれ』、『覚のたわむれ』、『現代のたわむれ』、『宗教・哲学・科学・芸術』、といった一連の文学作品の系列が生まれると同時に、”人工知能”、”認知科学”、”知識ベース”、”機械翻訳”、”意味処理”、”知識処理”、”認識”、”学習”、”記憶”、”発見モデル”、”生成モデル”、”神経科学”…といった一連の分野での本格的な仕事を展開するようになったのです。

 また、この期間において、ミンコフスキー;『生きられる時間 上下』、『精神分裂病』、『精神のコスモロジー』、ビンスワンガー;『精神分裂病 上下』、『人間学的現象学』、『そう病とうつ病』、木村敏;『自己・あいだ・時間』、フッサール;『現象学の理念』、『内的時間の現象学』、ハイデッガー;『ヘラクレイトス』…といった一連の重要な著作群と出会うことになったのです。

 上記の他にも膨大な量の”小説”、”論文”、”随筆”、”手紙”、”民話”、”童話”、”神話”、”ファンタジー”などの読書がありますが、この期間におけるわたしのもっとも重要な仕事は、本格小説『異常なる 感性』の基本設計の確立、および、AIにおける『基本設計概念』の完成のふたつがあります。

 さて、本題にもどり、わたしと”心理学”および”精神医学”との出会いは、前に述べたように小学生のとき既に始まっており、それからずうっと中学生時代、高校生時代を通して心理学、精神医学に深く関係してまいりました。ただ、幸運にも、医学の道を歩まなくてもいいように”天”の采配が下り、大学時代は”純粋数学”と”聖書”の学びのこのふたつが中心的なものでした。

 4年間の留学生活のあと、1972年から1980年に到る最初の社会人生活を通して、コンピュータの基礎、つまり、OS、言語、ハード、ソフト、オンライン、ネットワーク、システム設計といった一連の業務に携わりつつ、聖書の学び、とくに、”キルケゴール”、”カールバルト”、”八木誠一”、”滝沢克巳”、”田川建三”…といった一連の聖書学者たち、および哲学者キルケゴールとの出会いがあったわけです。

 一見すると、心理学や精神医学に全く関係ないような諸体験の膨大な累積が実は精神医学、とくに、”人工知能”や”神経科学”と”心理学”や”精神医学”に超高度なレベルで密接に関係していることが漸くここに到って”その全貌”が少しづつ具体的な姿を現しはじめた…ということなのです。


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関連作品:
■ 『信のたわむれ』
■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』

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関連文献:
参考文献:

『ヘラクレイトス』        ハイデッガー全集 55巻
『仏教とキリスト教』       滝沢克巳;法蔵館
『続 仏教とキリスト教》     滝沢克巳;法蔵館
『仏教とキリスト教の接点』    八木誠一;法蔵館
『久松真一著作集』        久松真一;法蔵館
『滝沢克巳著作集』        滝沢克巳;法蔵館
『人生の帰趣』          山崎弁榮;

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『マルコ福音書 上巻』      田川建三;新教出版社
『イエスという男』        田川建三;三一書房
『立ちつくす思想』        田川建三;勁草書房
『歴史的類比の思想』       田川建三;勁草書房
『批判的主体の形成』       田川建三;三一書房
『宗教とは何か』         田川建三;大和書房

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『言葉と物』           M・フーコー;新潮社 
『ソシュールの思想』       丸山圭三郎;岩波書店
『ソシュールを読む』       丸山圭三郎;岩波セミナーブックス
『沈黙するソシュール』      前田英樹; 
『偶然と必然』          J・モノー;みずず書房
『善悪の彼岸』          ニーチェ;岩波文庫
『道徳の系譜』          ニーチェ;岩波文庫

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参考文献:
『精神分裂病 上下』     ビンスワンガー;みすず書房
『精神分裂病』        ミンコフスキー;みすず書房
『生きられる時間 上下』   ミンコフスキー;みすず書房
『現象学的人間学』      ビンスワンガー;みすず書房
『内的時間の現象学』     フッサール;みすず書房
『自己・あいだ・時間』    木村敏;弘文堂

『ゲーデル・エッシャ・バッハ』 ダグラス・ホフスタッター;白楊社

『フロイド選集 (全17巻)』 フロイト;日本教文社;
特に「自我論」、「文化論」、「芸術論」、「幻想の未来」



心理学、精神医学との出会い

2005年10月09日 | 心理学、精神医学
私には2才年上の姉がいます。現在も健在でありますが、姉は重度の精薄です。このような姉をもったこともあってか、私は子供のころから普通の子供とは違った感性をもった少年でした。どういうことかといいますと、人間の《こころ》とはどういう仕組みで成立っているのか…というようなことをこどもの頃から考えていたということなのです。そして、中学3年生になった頃、(昭和40年ごろ)中央公論社の『世界の名著』シリーズで”フロイト”という人物に出会ったのがこの世界への最初の切っ掛けになりました。

そして、高校生時代をとおして日本教文社のフロイト全集のほぼ全部を読みました。精神分析学入門からはじまって、”自我論”、”文化論”等を経て、”自らを語る”まで、全17巻のほぼすべてをそれなりに読破しました。それと同時に、みすず書房の『フランクル』著作集やエーリッヒ・フロムの著作に馴染むようになりました。

その後、しばらくは心理学、精神分析学関係の読書からは離れていました。わたしは高校受験、大学受験の両方に失敗し、その結果、米国のペンシルベニア州の小さなカレッジに奨学金留学をさせて戴くようなことになりました。大学では当初精神医学を勉強するつもりでしたが、運命の計らいといいましょうか、偶然のなせる技といいましょうか、私は数学を専攻しました。純粋数学です。このことが、やがて、精神医学の勉強と深い関係に繋がるとは予想もしておりませんでしたが、いずれにしても、大学時代は専門の数学と語学(英語)と、それに”聖書”の学びに没頭しました。

すなわち、中学・高校生時代にはじめた心理学、精神分析学の学びは大学時代に完全に中止した状態、つまり”開店休業”状態に陥り、それのとって替わったのが”宗教”、特に”キリスト教”だったのでした。尤も、考えてみれば、フロイトの思想もフランクルの思想も、エーリッヒ・フロムの思想もキリスト教理解を抜きにしては考えられない訳で、そのような意味で自分がキリスト教に深く関ることができたことについて非常に幸運であったことを感じないわけにはゆきません。

大学を卒業したあと、31才になるまで、コンピュータのエンジニアとして普通の会社員生活を送ってまいりました。つまり、会社ではプログラムの設計をしたり、システムの設計をしたりしながら、私的な生活空間では”教会”の礼拝に出席し、教会学校の教師(小学生および中高生)をしつつ、聖書の研究をつづけていたのです。そして、このころから特に”キルケゴール”の思想に没頭しはじめたのでした。小学生5年生のときはじめて独自にパスカルの”パンセ”に出会った経緯があった関係上、キルケゴールの思想に対する馴染みは急速なものがありました。

そして、会社ではコンピュータのシステム設計、信仰生活では教会への奉仕、教会学校の教師としての活動、そして、キルケゴールの思想の追求、その他、田川建三氏、八木誠一氏、滝沢克巳氏といった一連の学者たちの著作を読書しつつ、恋愛問題なども複雑に絡み、とうとう31才のとき生まれてはじめて強烈なうつ病に罹ってしまいました。自分自身、若いころ精神科医、あるいは大脳生理学者になろうと思っていた人間が、いとも簡単に”うつ病”になってしまうというこの”皮肉”、これは”興味あること”ですね。

幸運なことに、近所に非常に有能な内科先生がおられましたので、緊急の対策がとられ間一髪”自殺”から逃れることができました。その後、やく3年ぐらいかかりうつ病は徐々に回復することができました。そのような切っ掛けで、私は、いよいよ本格的に”精神医学”、”精神病理学”、”深層心理学”、といった分野への取組みがはじまったのです。

(つづく)

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いよいよブログ本来の活動開始!

2005年09月19日 | 心理学、精神医学
本来このブログは”心理学”、”精神医学”、およびそれらの学問と”人工知能”、”認知科学”、”神経科学”との学際的な絡みについて展開する目的でスタートするつもりでいましたが、たまたま選挙と遭遇してしまったためこれまでの投稿内容は当初の目的とはだいぶずれてしまいました。

いずれにしても、これから本来のブログ活動を展開する予定であります。

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新規開設のお知らせ

2005年09月10日 | 心理学、精神医学
エキサイト・ブログ、ライブドア・ブログにつづいてgooブログにも登録させてもらいました。内容は同じ系統のものですがそれぞれ視点が異なっています。

記述することがらとしては以下のものを考えています:

世相一般: 政治、経済、社会、文化、文明、技術、その他

思想一般: 哲学、宗教、文学、芸術、自然科学、その他

技術一般: コンピュータ、AI、認知科学、脳科科学、神経科学、その他

芸術一般: 文学;小説、詩、民話、童話、神話、伝説、ファンタジー、SF、その他
 
※ このブログがこれからどのように展開してゆくのか自分でも分かりませんが、ご指導の程よろしくお願い申し上げます。
 
                     吉 田 正 司 

                  2005年 9月10日(土)

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