哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

教育とは何か(つづき)

2005年09月27日 | 教育
教育vs思想、哲学、宗教

およそ、教育を語るということは国家を語ることを意味し、国家を語るということは、その国の文化、歴史、宗教、倫理、道徳、価値観、宇宙観、生命観…といったものすべてを語ることになりますが、戦後60年、われわれはついに教育の本質を何等論じることなく、ずうっと胡麻化しつづけたきました…。そして、ついに、そのような誤魔化しが一切通用しなくなったそのような段階に入ったところではないでしょうか?

 一般に教育といってもその意味するところは非常に広範に亙っている故、ここでの議論は、人間が人間としてこれだけは身につけておきたい…というようなその方面の教育を中心に論じてみます。

 いじめ、学級崩壊、校内暴力、登校拒否、学力低下、靖国問題、…といった一連の問題はすべて教育に絡んだ問題でありますが、これらどの問題ひとつをとってみても、その背景には倫理問題、仁徳問題、道徳問題、宗教問題…といったことがらが暗黙に絡んでいることをしっかり洞察できているひとがどれだけいるのでしょうか?

 戦後60年、わが国は米国のいわゆる民主主義という非常に疑わしい基盤を教育の基盤に据えてきたことだけは間違いないのです。このこと是非は別にして、これからどのような展望を持って教育してゆかなければならないか、このへんから議論を展開させてみようと思います。

人間が人間として社会的な存在となるには”教育”という非常に長い過程を経てはじめて可能になるわけですが、この”教育”というテーマについて実に様々な議論が展開されてきたにも関らず、わたしたちだけでなくほぼ全世界の人々がこの”教育”という根本問題に頭を悩ませているのも事実ではないでしょうか。

 当該ブログでは、教育の本質についてそれぞれ以下のように個別に詳細な議論を展開してゆくつもりです。


Ⅰ 教育 vs 文化(その1):

■ 教育 vs 宗教   仏教、キリスト教、無宗教、日本教、その他
■ 教育 vs 科学   人工知能、脳科学、神経科学、進化論、その他 
■ 教育 vs 哲学   ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガー
■ 教育 vs 芸術   文学、民話、童話、神話、ファンタジー、

Ⅱ 教育 vs 文化(その2):  

■ 教育 vs 政治:  靖国問題、憲法改正問題、安全保障条約、外交、
■ 教育 vs 経済:  技術、知識、大学、高校、中学、小学校、家庭
■ 教育 vs 社会:  いじめ、構内暴力、登校拒否、その他
■ 教育 vs 医学:  精神医学;こころの問題、家庭の問題、その他


参考記事:

⇒ はばたき 


⇒《対決:後半》


⇒ 教育問題の現状

 
⇒ 哲学ブログの怖さ

⇒ ブロガーによるブログ考察:(自己言及的ブログ考察)


関連ブログ:

■ エキサイト・ブログ
(AI、脳科学、神経科学、機械翻訳、その他)

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(宗教、歴史、政治、哲学、その他)

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教育とは何か

2005年09月23日 | 教育
教育問題の本質:

 現在日本の人口はおよそ1憶2千万人ぐらいだそうですが、その1憶2千万人のなかで、教育のどの部分が本質的に問題なのか的確に答えられる人間の数はどのぐらいだとおもいますか? 答え: 0人

 つまり、誰も的確には答えられないのです! 郵政民営化の問題はそれなりに難問でしたが、見通しはつきました。答えは”民営化すればいい”ということでした。しかし、今、日本では学校で、家庭で、職場で、地域社会で、会社で、お店で、わけのわからない問題や事件がつぎからつぎへと際限もなく頻発しています。そして、このような社会になってしまった根本的原因が教育の問題であることは専門家の意見を待つまでもありません。

 日本という国家をひとりの人間に喩えると、ひとつひとつの細胞が家庭ということになるのですが、このひとつひとつの家庭という基本的な単位でひとりひとりの家族の一員がそれぞれ本来の役割を担うことが非常に困難になっている…というのが現実、あるいは現状なのです。

 どうしてそうなってしまったか…というのが今日のこのブログのテーマなのです。

さて、本題にはいりましょう。

 選挙結果があのような結果になりました。その意味は、不況という概念はしばらくは茶の間から消え去るでしょう。実際には”不況”そのものがなくなるわけではありませんが、不況について論じることそのものが無意味になるような、そんな時代に突入してゆくからです。

 そして、いよいよ、お待たせしました。
教育問題”これが、この大問題がついに議論されるようになるのです。戦後60年、我が国は国の根本問題である教育について知っているか否かを問わず、その本質的なことを問うことを避けてきました。つまり、宗教的なことがらについて、倫理的なことがらについて、精神的なことがらについて、これら一切が厳然としたタブーになって今日に至ったという背景があります。

 あの戦争、つまり大東亜戦争、太平洋戦争、大二次世界大戦、その戦争で米国は日本軍の力をある程度認めたことも事実でしょうが、それより、戦後の日本人をどのように骨抜きにしようか…ということに最大の注意が注ぎ込まれました。そして、その結論は一切の宗教教育をあいまいにすること…このことでした。

 特に、国家神道的なことがらが教育に絡むことはどうしても避けなければならないかのごとく一貫してあやむやにする教育が推進されてきました。そして、そのことは、文部省、日教組その双方の絶大なる協力で成功を納めることができたかのように思われてきました。

 ところが、現実は教育、より厳密にいえば《こころ》の教育、精神の教育、倫理教育、宗教教育…、そういった方面における教育が戦後60年の間に完全に崩壊してしまったということなのです。

 現に、学校教育の風景を眺めてみれば、いじめ、校内暴力、登校拒否、少年少女による異常な殺人事件、自殺の問題といった際限もない状態が展開されつつあるのが真の姿ではないでしょうか。

 もちろん、このままでいいはずはありませんが、それではどのようにすればよいのか…ということをいったい誰が、どのようにして、考えるべきなのでしょうか。

 もちろん、わたしたち全員がこの問題に取組まなければならないことは言うまでもありませんが、それだけでなく、”神”、”善”、”悪”、”倫理”、”道徳”、”正義”、”徳”、”仁徳”…といったことをこれからは問わなければならないということでもあるのです。

(つづく)

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