哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

教育とは何か(つづき)

2005年09月27日 | 教育
教育vs思想、哲学、宗教

およそ、教育を語るということは国家を語ることを意味し、国家を語るということは、その国の文化、歴史、宗教、倫理、道徳、価値観、宇宙観、生命観…といったものすべてを語ることになりますが、戦後60年、われわれはついに教育の本質を何等論じることなく、ずうっと胡麻化しつづけたきました…。そして、ついに、そのような誤魔化しが一切通用しなくなったそのような段階に入ったところではないでしょうか?

 一般に教育といってもその意味するところは非常に広範に亙っている故、ここでの議論は、人間が人間としてこれだけは身につけておきたい…というようなその方面の教育を中心に論じてみます。

 いじめ、学級崩壊、校内暴力、登校拒否、学力低下、靖国問題、…といった一連の問題はすべて教育に絡んだ問題でありますが、これらどの問題ひとつをとってみても、その背景には倫理問題、仁徳問題、道徳問題、宗教問題…といったことがらが暗黙に絡んでいることをしっかり洞察できているひとがどれだけいるのでしょうか?

 戦後60年、わが国は米国のいわゆる民主主義という非常に疑わしい基盤を教育の基盤に据えてきたことだけは間違いないのです。このこと是非は別にして、これからどのような展望を持って教育してゆかなければならないか、このへんから議論を展開させてみようと思います。

人間が人間として社会的な存在となるには”教育”という非常に長い過程を経てはじめて可能になるわけですが、この”教育”というテーマについて実に様々な議論が展開されてきたにも関らず、わたしたちだけでなくほぼ全世界の人々がこの”教育”という根本問題に頭を悩ませているのも事実ではないでしょうか。

 当該ブログでは、教育の本質についてそれぞれ以下のように個別に詳細な議論を展開してゆくつもりです。


Ⅰ 教育 vs 文化(その1):

■ 教育 vs 宗教   仏教、キリスト教、無宗教、日本教、その他
■ 教育 vs 科学   人工知能、脳科学、神経科学、進化論、その他 
■ 教育 vs 哲学   ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガー
■ 教育 vs 芸術   文学、民話、童話、神話、ファンタジー、

Ⅱ 教育 vs 文化(その2):  

■ 教育 vs 政治:  靖国問題、憲法改正問題、安全保障条約、外交、
■ 教育 vs 経済:  技術、知識、大学、高校、中学、小学校、家庭
■ 教育 vs 社会:  いじめ、構内暴力、登校拒否、その他
■ 教育 vs 医学:  精神医学;こころの問題、家庭の問題、その他


参考記事:

⇒ はばたき 


⇒《対決:後半》


⇒ 教育問題の現状

 
⇒ 哲学ブログの怖さ

⇒ ブロガーによるブログ考察:(自己言及的ブログ考察)


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教育とは何か

2005年09月23日 | 教育
教育問題の本質:

 現在日本の人口はおよそ1憶2千万人ぐらいだそうですが、その1憶2千万人のなかで、教育のどの部分が本質的に問題なのか的確に答えられる人間の数はどのぐらいだとおもいますか? 答え: 0人

 つまり、誰も的確には答えられないのです! 郵政民営化の問題はそれなりに難問でしたが、見通しはつきました。答えは”民営化すればいい”ということでした。しかし、今、日本では学校で、家庭で、職場で、地域社会で、会社で、お店で、わけのわからない問題や事件がつぎからつぎへと際限もなく頻発しています。そして、このような社会になってしまった根本的原因が教育の問題であることは専門家の意見を待つまでもありません。

 日本という国家をひとりの人間に喩えると、ひとつひとつの細胞が家庭ということになるのですが、このひとつひとつの家庭という基本的な単位でひとりひとりの家族の一員がそれぞれ本来の役割を担うことが非常に困難になっている…というのが現実、あるいは現状なのです。

 どうしてそうなってしまったか…というのが今日のこのブログのテーマなのです。

さて、本題にはいりましょう。

 選挙結果があのような結果になりました。その意味は、不況という概念はしばらくは茶の間から消え去るでしょう。実際には”不況”そのものがなくなるわけではありませんが、不況について論じることそのものが無意味になるような、そんな時代に突入してゆくからです。

 そして、いよいよ、お待たせしました。
教育問題”これが、この大問題がついに議論されるようになるのです。戦後60年、我が国は国の根本問題である教育について知っているか否かを問わず、その本質的なことを問うことを避けてきました。つまり、宗教的なことがらについて、倫理的なことがらについて、精神的なことがらについて、これら一切が厳然としたタブーになって今日に至ったという背景があります。

 あの戦争、つまり大東亜戦争、太平洋戦争、大二次世界大戦、その戦争で米国は日本軍の力をある程度認めたことも事実でしょうが、それより、戦後の日本人をどのように骨抜きにしようか…ということに最大の注意が注ぎ込まれました。そして、その結論は一切の宗教教育をあいまいにすること…このことでした。

 特に、国家神道的なことがらが教育に絡むことはどうしても避けなければならないかのごとく一貫してあやむやにする教育が推進されてきました。そして、そのことは、文部省、日教組その双方の絶大なる協力で成功を納めることができたかのように思われてきました。

 ところが、現実は教育、より厳密にいえば《こころ》の教育、精神の教育、倫理教育、宗教教育…、そういった方面における教育が戦後60年の間に完全に崩壊してしまったということなのです。

 現に、学校教育の風景を眺めてみれば、いじめ、校内暴力、登校拒否、少年少女による異常な殺人事件、自殺の問題といった際限もない状態が展開されつつあるのが真の姿ではないでしょうか。

 もちろん、このままでいいはずはありませんが、それではどのようにすればよいのか…ということをいったい誰が、どのようにして、考えるべきなのでしょうか。

 もちろん、わたしたち全員がこの問題に取組まなければならないことは言うまでもありませんが、それだけでなく、”神”、”善”、”悪”、”倫理”、”道徳”、”正義”、”徳”、”仁徳”…といったことをこれからは問わなければならないということでもあるのです。

(つづく)

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哲学ブログの怖さ(1)

2005年09月20日 | 哲学
ブログの怖さ vs ブログの凄さ

 昨今、このブログということばがひとり歩きをし始めたと同時に、内容のないブログが異常発生しています。出版界でも同じような現象が展開されてどのぐらいになるか、皆目見当がつきませんが、要するにダーウィンの”自然淘汰”の篩いに掛けられそれに堪え得るような”ブログ”あるいは”出版物”は1/1000億あるいは1/1兆ぐらいの確率ではないでしょうか! 昔から”足下をみられる…”というこのことばがありますが、ブログこそ、その内容、力量、射程、含み、拡がり、柔軟性…といったことがらが瞬時にして外部に伝播するものはないのではないでしょうか。

 およそ人類が出現してから、この瞬間までにどれだけの数の人間がこの地上に誕生してそして死んでいったのかわかりませんが、そのすべての期間においてさえ天才と呼ばれるに相応しい哲学者あるいは思想家がどれだけの数に上るか数えてみれば数人に過ぎません。古い順に列挙すれば、ヘラクレイトス、プラトン、アリストテレス、デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、マルクス、ユング、フロイト、キルケゴール、ニーチェ、フッサール、ハイデッガー、ソシュールといったひとびとです。(尤も、これ以外にも数人が含まれるかもしれませんが…)

 要するに、400億か500億かどれくらいかしりませんが、仮に1000億のひとびとが過去10000年の間に生まれ死んでいったと仮定してみましょう。すると、哲学の天才と呼ばれるひとの確率は20/1000億というような確率になります。

 問題はこの確率の値が大きいか小さいか、その解釈なのです。つまり、人間が人間として不滅の魂を自分自身で鍛えあげられる可能性が20/1000億ぐらいの値であるとするならば、仮に10億の名目クリスチャンがいたとして、誰一人救いには到達出来ないのかもしれない…という可能性もあるからなのです。(この意味がわかりますか?)

 具体例を出しましょうか。例えば、ネットワーク関係の会社が100万社あったとして、実際にほんとうに優れた事業を展開している会社は数社(2~3)ぐらいしかない…ということを意味しています。

 同様に、哲学ブログを展開し、かつ、ニーチェやキルケゴールと同一水準の哲学を展開することに成功するブログは2/100億というこのことなのです!

 哲学ブログにおいては情報を発信する側も情報を閲覧する側も相手がどれだけの洞察力があるか暗黙に、かつ、瞬間的に相互にわかってしまうからなのです。ちょうど、二人の侍が居合抜きの瞬間に互いに相手の技量を洞察することができるのと同じなのです!

 それで、哲学の分野でも2才か3才で哲学の才能がなければ、決して天才レベルの哲学者にはなれないということ、これは否定できないような気がします。ただ、別に天才になる必要はありませんから、すべてのひとが哲学をすること、このことはみとめるべきであり、じっさいに無数のひとが哲学をしているのも事実でしょう。

 哲学ブログを展開するということは、哲学をするということなのです。で、この行為によって人類に何がもたらされるか…というと、不滅のこころを獲得することのできるような魂の存在の確率は天然ゾンビ(=人間)の場合は1/1憶ぐらいでしかあり得ないということを教えてくれることです。では、人工ゾンビ(=人工精神、=人工意識)が不滅の意識を獲得することのできる確率はどのぐらいになるのでしょうか?

 そのようなことを真剣に考察するのがこの”哲学ブログ”の本来の目的なのです!

関連記事:
ライブドア:
ブログの怖さ(その1)
ブログの怖さ(その2)
ブログの怖さ(その3)
ブログの怖さ(その4)
オーウェル流改竄

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デネット、ドーキンス、チャーマーズ
情報改竄 vs ブログ 


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いよいよブログ本来の活動開始!

2005年09月19日 | 心理学、精神医学
本来このブログは”心理学”、”精神医学”、およびそれらの学問と”人工知能”、”認知科学”、”神経科学”との学際的な絡みについて展開する目的でスタートするつもりでいましたが、たまたま選挙と遭遇してしまったためこれまでの投稿内容は当初の目的とはだいぶずれてしまいました。

いずれにしても、これから本来のブログ活動を展開する予定であります。

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洗脳 VS 逆洗脳

2005年09月16日 | Weblog
{自民党 VS 民主党} VS {洗脳 VS 逆洗脳}

今回このような結果を招いたのは”国民”がバカだったのか、それとも”民主党”がバカだったのか、それとも”国民”が”リコウ”だったのだろうか?!

 はっきりしているのは、”国民はわかりやすさ”を第一に求めたこと、このことではないでしょうか。実際、”郵政の民営化すらできないで、他にどのような改革ができるのか…”というキャンペーンは実際に訴えるものがあります。それに反して、”日本をあきらめない…”というスローガンのいかに腰の抜けたこと、そもそも最初の出発点ですべてが頓挫してしまったことは疑いの余地がありません。

 さて、問題はこれからです。自民党さんも民主党さんもこれから経済的、社会的、倫理的、教育的にがたがたになってしまったこの日本の国をどのように立て直すのか、どちらさんも真剣に取組んでいただきたいものです。

 このブログは政治問題を扱うブログではありません。ただ、たまたまタイミング的に選挙が行われ、しかも、その結果が結果だけに無視するわけにもゆかず政治問題について多少の議論を展開させてもらっているだけです。

 今回、小泉さんは国民を”ある意味で”洗脳することが出来た…といっても間違いはありません。これが可能となる条件は大部分の国民が”無知”あるいは”バカ”であることが前提となります。実際、国民の大多数は”バカ”ですから(=実証されました!)、もし、民主党さんが小泉さん以上に巧みに国民を”洗脳(=誑かし)”することができたとすれば(十分可能であったかと思うのですが!)、当然ながら民主党さんだって政権を奪取することができたはずです!

 ぶっちゃけた話、”民主党”さんは国民以上に”バカ”だったのです。つまり、今回の選挙の直前の2回の選挙が、実は真の意味での民主党の支持ではなく、自民党の失策による、しかたなしの選択による民主党の躍進だったことに誰も深い洞察を持っていなかったことが最大の要因でありました。

 要するに国民がバカである以上、民主党であれ自民党であれ、誰であれ十分に巧みに誘導すれば国民は”その気に”なってしまうものなのです。この国民を巧みに誘導する術に最も長けていたのが故田中角栄氏であったのですが、時代は田中角栄氏の手法を容認することができなくなりました。実際、亀井氏や綿貫氏の手法はもはや通用しません。

 つまり、”洗脳”という手法は”天才”が無数の”バカ”をまとめてめんどうみるときそのときに限ってのみ可能であるということが言えそうです。実際、歴史を紐解けば、そのような実例を無数に捜すことができるでしょう。

 さて、本日のメインテーマである”洗脳 vs 逆洗脳”に移りましょう。洗脳が上記で説明されたことがらだとして、それでは”逆洗脳”とはいったいどのような概念なのでしょうか?

定義:  

 逆洗脳:超天才が無数(億単位の数)のバカのなかから、ひとりあるいはふたり…といったごく少数の人数の人間に”常識はこれこれシカジカであるけれど、真理はこうなんだ…”といったメッセージを単独者のみに(=わかるひとにのみ目掛けて)、発信すること。そして、そのことを理解させること。

逆洗脳者および逆洗脳の例:

ニーチェ:    ”神は死んだ”
キルケゴール:  ”信仰とは逆説である”
ソシュール:   ”言語の本質は恣意性と差異性である”
ヘラクレイトス: ”ケッシテ没スルコトノナイモノヲ前ニシテ、ヒトハドウ身ヲクラマスコトガデキヨウカ”

※ 当該ブログは上の意味がどのような射程で日々の日常世界に反映されているかを綴ったものでもあります。また、ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガーといった超一流の哲学者の基本的な思想を理解していることを前提としたブログであることも繰り返しますがお伝え申し上げておきます。

選挙結果の総括(その3)

2005年09月15日 | Weblog
選挙結果の総括(その3):

民主党さんこれからどうしますか?
 
① 改憲派   vs 護憲派
② 大きな政府 vs 小さな政府
③ 外交に関する基本方針は?
④ 内政に冠する基本方針は?
⑤ 国家基盤に関する問題認識は?
  ■ 教育
  ■ 宗教
  ■ 文化、その他

① 改憲派   vs 護憲派
基本的には民主党さんは”改憲派”で一致するしかないのでしょう…

② 大きな政府 vs 小さな政府
基本的には”小さな政府”を目指すのでしょうが、”小さな政府”という概念が問題解決のすべての源泉になるという保証はありません。

③ 外交に関する基本方針
ここではこの内容の詳細について展開するつもりはありません。

④ 内政に冠する基本方針
ここではこの内容の詳細について展開するつもりはありません。


⑤ 国家基盤に関する問題認識について
  ■ 教育--------------- これについては別のタイミングで詳細に展開します。
  ■ 宗教--------------- 法律、倫理、価値観、人生観などと絡めて別途展開。
  ■ 文化、その他-------- 上記の教育および宗教の項を踏まえ広範に議論します。


※ 別に民主党の党員でもないのに何でこんな議論をするのでしょうか?

”答え”: 諸々の理由で自民党さんの政策が仮に破綻したとしたら(例えば外交などで)、その場合、バックアップは民主党さんがやらなければならないからです。

※ 要するに、今のこの時点で、しっかりとしたシャドウ内閣を組んでもらいたいからなのです。

※ ぶっちゃけた話、自民の内部闘争以上に本格的な内部闘争を繰り広げ、おもいきって”膿”を出してほしいものです。 (このブログは当然、政治家さんたちにも読んでもらっていることを前提に記述しています。)
 


選挙結果の総括(その2)

2005年09月14日 | Weblog
選挙結果の総括(その2):

幸いにして、”郵政民営化(厳密には郵政民営化ゴッコですが…)”については道筋がつきました。ご苦労様でした!

政府は、問題の重要案件をどのような優先順位で処理してゆくのでしょうか!

※ さて、その前に。ご承知のようにイラクは確実に3つの独立した国家に分裂するでしょう!… そして、もう米国の力では以前のようなひとつのイラク共和国には絶対に戻らないでしょうし、現在の米国の10倍の軍隊でもどうすることもできないでしょう。当然ですよね、本来3つの独立した国家であっても不思議でないようなそのような状況を”世俗的な天才”であるフセインが奇蹟的な手品によってひとつの独裁国家としてまとめあげていたのですから!…

※ それに、今回のハリケーンの後始末をみてもわかるように、米国は既に衰退の坂道を急速に転げ落ちていることは歴然としています!… たぶん、この傾向は幾何級数的に加速度を増すことでしょう。電気の供給すらまともにできなくなりつつあるのですから!…
歴史の流れというものはほんとうに恐ろしいことです!

※ つまり、何が言いたいかといいますと、米国は自分で自分の国をまともに運営することができない…ということをしっかり認識しなければならないということなのです。別の言い方をすれば、日本の安全保障は米国にはもはやどうすることもできないというこのショッキングな事実を受け止めるべきなのです。

※ 戦後60年の長きにわたって続いてきた日本国のマスタベーション的な生存形態そのものの根拠が完全に崩壊しつつあるという、この厳しい現実、この認識を抜きにしてこれからの外交、国際関係、国際戦略等はすべて無意味であるというこのことです。

※ 日米安全保障条約の見直しだけでなく、自国の食糧安保、エネルギー安保、貿易関係、その他それに付随する諸々のことがらをどのように新しく立ち上げるか? これらの多くのことがらを、”郵政民営化問題”の1000倍ぐらいの密度と精度でとりくまなければならないでしょう。

※ 今回の”刺客”たちレベルの幼稚園児たちでは上の諸課題は永久に無理でしょう。例えて言えば、一般教養課程レベルの大学生にハイデッガーの『ヘラクレイトス』をハイデッガーが理解したその同じレベルで理解しろ…といっても不可能であることと同じことです。なぜなら、彼等もまた、マスタベーション的人生しか歩んでこなかったからです!

※ ぶっちゃけた話、小泉さんの頭の中には郵政民営化という概念にシンボル化された、いわゆる”田中角栄方式”の政治パラダイムの廃絶以外には何もビジョンがないことはこれまでの4年間の彼の実績が如実に示されているではありませんか!

※ はなしを戻しましょう! ”日米安保”、”憲法9条”、”核武装”、”食糧安保”、”新しい日中関係の模索”、”日韓関係の改善”、”日印関係の構築”…といった一連の基本的外交問題についての諸考察、および、それらの展望と諸帰結について考察するならば、上記の基本的な諸問題を解決するために必要な諸々の発想の転換、例えば、部分鎖国の導入とか、日中完全軍事同盟化とか、大東亜合衆国の樹立とか、これまで考えてもみなかったような全く新しい考え方の導入が求めらることは疑いの余地がありません。

※ 要するに、対米国、対ヨーロッパ、対アジア、対第三国(ロシア、アフリカ、中東諸国、その他)とどのようにわたりあって(=自然選択)ゆかなければならないか…という非常に厳しい局面を克服してゆかなければならないということを意味しています。これこそジョージ・オーウェルやマルクスが予言していたことがら、あるいは”ヨハネによる黙示録”、旧約聖書の外伝の”エズラ記”、”ダニエルの手紙”、あるいは、ジョイスの『フィネガンス・ウェイク』、ダンテの『神曲』、デネットの『ダーウィンの危険な思想』、ドーキンスの『悪魔に仕える牧師』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(大審問官)、あるいはカフカの世界ではないでしょうか!

※ 世界最終戦争へ向っての、終わりの始まりではないでしょうか!…

⇒ 年金・税制問題、少子化問題、教育問題、宗教問題、天皇・皇室問題、その他もろもろの国内諸問題等については”総括(その3)”で展開する予定です。

■ 参考文献:

  ⇒ ”選挙結果の総括(その1)”の参考文献に基本的には同じです。







選挙結果の総括(その1)

2005年09月14日 | Weblog
選挙結果の総括(その1):

予想されていたか否かは別として、このような結果になったことについて総括してみることにしました。

このような結果を齎したいくつかの要因を挙げるとすればつぎのようになります:

■ ホリエモン現象による若者の意識の変化;
  (あこがれ、イメージ、ムード、雰囲気)
■ メディア(特にテレビ)によるマインド・コントロール;
  (ワイドショー化)
■ 時代そのものの要請による政治意識の変化;
  (少子化、年金破綻、その他)
■ 直接的なかかわりによる時代の要求;
  (個人的な欲求:株値の動向等金銭的な理由)
■ その他

※ 要するに、これまでは選挙に参加してもしなくても直接には自分の利害得失に何等関係ないことがらであったのが、少子化問題、年金システムの破綻、国の借金の超巨大化等によって、選挙に行かないことのマイナスを無視できなくなってしまったことなどが、ようやく認識されてきたからではないでしょうか?

※ 今回の選挙の投票率アップの最大の功労者は”ホリエモン”さんであることは衆目の一致するところでありましょう。また、彼はそのことによる”報酬”を十分受けていることも間違いありません。

※ 問題は”新聞”および”テレビ”といった一般の伝統的なマスメディアが国民に対する政治意識、選挙についての本来の意義…といったことがらについて、本質的なことがらを伝えることをしないで、”枝葉のことのみを煽る”すなわち”ワイドショー化”に矮小させ、ある意味で、”政府・マスコミ・財界・官僚・教育…”といったウルトラ複合体の闇のカルテルが働き、今や天然ゾンビ程度の存在に過ぎないほとんどの国民を見事なまでにマイント・コントロールすることができたのではないでしょうか。これこそ、あの、かつてのオウム真理教が夢見て実現することのできなかったことではないでしょうか!!!

阪神大震災およびオウム真理教事件からほぼ10年が経過しました。そして、あのオウム真理教ができなかった恐るべき”マインド・コントロール”が、このような恐るべき現実の姿で実現してしまったのです!!!

※ やがて、消費税アップ、憲法改正、徴兵制の復活、核兵器の保有、全体主義国家への傾斜、靖国問題の新しい展開、……、日米安保条約の破棄、日中軍事同盟の締結…といった一連の流れに組み込まれてゆくことは間違いなさそうです。

※ 仮に今回の選挙において民主党が政権を摂ったとしても(もちろんギリギリで)、その結果は政治の世界の”収拾のつかない大混乱”以外にその帰結は考えられません!

※ つまり、何回かの無意味な大混乱の末に今回みたいな”事実上の大政翼賛会なるもの”が成立するか。今回、このように奇蹟的に、一発で、”新大政翼賛会的なるもの…”が成立してしまうということは、やはり日本人は”優れて”いるのかもしれません!!!

※ 因みに、イラクでは10月に選挙が行われるでしょうが、その結果は”イラク北部ではクルド共和国”、南部では”シーア派イラク共和国”、そしてバクダッドを中心とした旧バース党の”イラク共和国”の3つの独立した国々へと完全に分裂することでしょう。(実際に国が3つに分裂するのは先のことになりましょうが…)

※そして、どの共和国も反米の国々になることは間違いないでしょう。 つまり、アメリカがイラクの石油をコントロールする…という当初の目的は完全に破綻してしまっていることを示しています。(尤もそんなこと皆わかっていましたよね!…)

※ 話をもどしましょう。わたしたちは既にジョージ・オーウェルの小説『1984年』の世界に生きているのではないでしょうか! 別のことばで言えば”ヨハネによる黙示録”あるいは”聖書の外伝にある’エズラ記’”に示されているそのような世界に生きているということではないでしょうか?…

■ 参考文献:(順不同)

●田川建三:
『イエスという男(第2版)』、『たちつくす思想』、『歴史的類比の思想』、『批判的主体の形成』、『宗教とは何か』、『マルコによる福音書(上巻)』
●八木誠一『仏教とキリスト教』
●滝沢克巳『仏教とキリスト教』、『続仏教とキリスト教』その他

●丸山圭三郎:
『ソシュールの思想』、『ソシュールを読む』、『文化のフェティシズム』、『欲望のウロボロス』、『言葉のエロティシズム』、『言葉と無意識』その他
●前田英樹: 『沈黙するソシュール』

●キルケゴール:『キルケゴール著作集(全22巻):白水社』(全部)
●ニーチェ: 『善悪の彼岸』、『道徳の系譜』、『ツアラトウストラ』、その他

●ダニエル・デネット:  『解明される意識』、『ダーウィンの危険な思想』その他
●リチャード・ドーキンス:『悪魔に仕える牧師』、『虹の解体』、その他
●カウフマン:『カウフマン宇宙を語る』進化論、複雑系、カオス理論、超ひも理論等
●ゲルマン: 『クウォークとジャガー』(複雑系、カオス理論、超ひも理論等)
●ホフスタッター:『ゲーデル・エッシャ・バッハ』
●ミンスキー: 『心の社会(Society of Mind)』

●ハイデッガー:『ヘラクレイトス(55巻)』
●ミンコフスキー:『生きられる時間(上下)』、『精神分裂病』
『精神のコスモロジー』
●ビンスワンガー:『精神分裂病(上下)』、『現象学的人間学』、『躁病とうつ病』
●フッサール:『現象学の理念』、『内的時間の現象学』その他

●山本七平:『空気の研究』、『山本七平全対話(全8巻)』その他多数
●梅原猛: 『梅原猛全対話』、その他多数

※その他: 開高健: 『喚びと囁き』、『言葉のある曠野』、その他多数
丸山健二:『爭いの木の下で(上下)』、その他多数
村上龍: 『半島を出よ(上下)』、その他多数
丸谷才一:『遊びの時間』、『6月16日の花火』、その他多数

※コメント、TBをお待ちしています。

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選挙結果の寸評(その2)

2005年09月12日 | Weblog
選挙結果の寸評(その2):

 ジョージオーウェルの小説『1984年』を『2005年9月11日』として、あの仮想国”イースタシア国”を日本と解釈するとき(正確には日本と中国、韓国、台湾、インド、その他を含む合衆国となぞらえれば)、そのイメージの正確さは恐ろしいものがあるのではないでしょうか?

残念ながら、”ルビコン川”は越えてしまいました。”食べてはいけない果実”を食べてしまいました。(薪共同約聖書 外伝:エズラ記(ラテン語)も参照)

後は、わたしたちひとりひとりがそのことの深い意味をどれだけ洞察することができるのか、それだけです。

尤も、100年前、ニーチェもキルケゴールも、ドストエフスキーも、カフカも、そのことをすでに正確に伝えてくれています。また、ハイデッガーも同じことを伝えてくれています。(微笑のニヒリズムとして…)

やがて、天然ゾンビとしてのわれわれだけでなく、人工ゾンビも出現してくるでしょう。
そして、天然ゾンビと人工ゾンビとの相互インタラクションが始まるのではないでしょうか。 少子化問題などは人工ゾンビによって大きく解決されるかもしれませんが、問題は天然ゾンビである人間そのものの”劣化”です。

ゾンビ、ジンボ、スーパーゾンビ、スーパージンボ、スキゾゾンビ、スキゾジンボ…といった一連の天然あるいは人工のゾンビがどのような現象世界を展開させてゆくのか、想像するだけで恐ろしいことではあります。

しかし、われわれは実際にそのような社会に向って驚くべきスピードで進んでいるのです。

  参考: 『解明された意識』(ダニエル・デネット)、『ダーウィンの危険な思想』(ダニエル・デネット)、『たちつくす思想』(田川建三)、『文化のフェティシズム』(丸山圭三郎)、『沈黙するソシュール』(前田英樹)、『虹の解体』(リチャード・ドーキンス)、『悪魔に仕える牧師』(リチャード・ドーキンス)                        

選挙結果の寸評(その1)

2005年09月12日 | Weblog
今回の選挙結果についての寸評:

 ”人間としての修羅場”、”政治家としての修羅場”、”生物学的な存在として修羅場”…といったものを殆ど経験しないで当選してしてきた殆どすべてのひとびとが、同じ様な新しい一連のひとびとによって完全にリプレースされてしまうような、そのような学習効果のないシステム、それが日本のほんとうの政治の姿かもしれません。

つまり、”風”だけの力によって棲息してきた一連の草花が、”風”だけの力によって撒き散らされた新しい草花に置き換わっただけのことではないでしょうか。

”岡田草”もそのひとつだっただけではないのでしょうか? 同じように、今回新しくまかれた諸々の種あるいは新しく届けられた鉢植の”花”たちは厳しい風雪に耐えて、しぶとい植物に成長することができるのでしょうか?

ぶっちゃけた話、”岡田草”程度としか勝負できない”小泉草”が”スターリン草”、”毛沢東草”、”シーザー草”といった本格的な野草と勝負できるのだろうか?

因みに、”ブッシュ”とは”雑草”そのものの意味であり、正直いってゴミ以下の存在ではありませんか!

                           本日はこれにて失礼