哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

哲学ブログの怖さ(1)

2005年09月20日 | 哲学
ブログの怖さ vs ブログの凄さ

 昨今、このブログということばがひとり歩きをし始めたと同時に、内容のないブログが異常発生しています。出版界でも同じような現象が展開されてどのぐらいになるか、皆目見当がつきませんが、要するにダーウィンの”自然淘汰”の篩いに掛けられそれに堪え得るような”ブログ”あるいは”出版物”は1/1000億あるいは1/1兆ぐらいの確率ではないでしょうか! 昔から”足下をみられる…”というこのことばがありますが、ブログこそ、その内容、力量、射程、含み、拡がり、柔軟性…といったことがらが瞬時にして外部に伝播するものはないのではないでしょうか。

 およそ人類が出現してから、この瞬間までにどれだけの数の人間がこの地上に誕生してそして死んでいったのかわかりませんが、そのすべての期間においてさえ天才と呼ばれるに相応しい哲学者あるいは思想家がどれだけの数に上るか数えてみれば数人に過ぎません。古い順に列挙すれば、ヘラクレイトス、プラトン、アリストテレス、デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、マルクス、ユング、フロイト、キルケゴール、ニーチェ、フッサール、ハイデッガー、ソシュールといったひとびとです。(尤も、これ以外にも数人が含まれるかもしれませんが…)

 要するに、400億か500億かどれくらいかしりませんが、仮に1000億のひとびとが過去10000年の間に生まれ死んでいったと仮定してみましょう。すると、哲学の天才と呼ばれるひとの確率は20/1000億というような確率になります。

 問題はこの確率の値が大きいか小さいか、その解釈なのです。つまり、人間が人間として不滅の魂を自分自身で鍛えあげられる可能性が20/1000億ぐらいの値であるとするならば、仮に10億の名目クリスチャンがいたとして、誰一人救いには到達出来ないのかもしれない…という可能性もあるからなのです。(この意味がわかりますか?)

 具体例を出しましょうか。例えば、ネットワーク関係の会社が100万社あったとして、実際にほんとうに優れた事業を展開している会社は数社(2~3)ぐらいしかない…ということを意味しています。

 同様に、哲学ブログを展開し、かつ、ニーチェやキルケゴールと同一水準の哲学を展開することに成功するブログは2/100億というこのことなのです!

 哲学ブログにおいては情報を発信する側も情報を閲覧する側も相手がどれだけの洞察力があるか暗黙に、かつ、瞬間的に相互にわかってしまうからなのです。ちょうど、二人の侍が居合抜きの瞬間に互いに相手の技量を洞察することができるのと同じなのです!

 それで、哲学の分野でも2才か3才で哲学の才能がなければ、決して天才レベルの哲学者にはなれないということ、これは否定できないような気がします。ただ、別に天才になる必要はありませんから、すべてのひとが哲学をすること、このことはみとめるべきであり、じっさいに無数のひとが哲学をしているのも事実でしょう。

 哲学ブログを展開するということは、哲学をするということなのです。で、この行為によって人類に何がもたらされるか…というと、不滅のこころを獲得することのできるような魂の存在の確率は天然ゾンビ(=人間)の場合は1/1憶ぐらいでしかあり得ないということを教えてくれることです。では、人工ゾンビ(=人工精神、=人工意識)が不滅の意識を獲得することのできる確率はどのぐらいになるのでしょうか?

 そのようなことを真剣に考察するのがこの”哲学ブログ”の本来の目的なのです!

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