哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

教育とは何か

2005年09月23日 | 教育
教育問題の本質:

 現在日本の人口はおよそ1憶2千万人ぐらいだそうですが、その1憶2千万人のなかで、教育のどの部分が本質的に問題なのか的確に答えられる人間の数はどのぐらいだとおもいますか? 答え: 0人

 つまり、誰も的確には答えられないのです! 郵政民営化の問題はそれなりに難問でしたが、見通しはつきました。答えは”民営化すればいい”ということでした。しかし、今、日本では学校で、家庭で、職場で、地域社会で、会社で、お店で、わけのわからない問題や事件がつぎからつぎへと際限もなく頻発しています。そして、このような社会になってしまった根本的原因が教育の問題であることは専門家の意見を待つまでもありません。

 日本という国家をひとりの人間に喩えると、ひとつひとつの細胞が家庭ということになるのですが、このひとつひとつの家庭という基本的な単位でひとりひとりの家族の一員がそれぞれ本来の役割を担うことが非常に困難になっている…というのが現実、あるいは現状なのです。

 どうしてそうなってしまったか…というのが今日のこのブログのテーマなのです。

さて、本題にはいりましょう。

 選挙結果があのような結果になりました。その意味は、不況という概念はしばらくは茶の間から消え去るでしょう。実際には”不況”そのものがなくなるわけではありませんが、不況について論じることそのものが無意味になるような、そんな時代に突入してゆくからです。

 そして、いよいよ、お待たせしました。
教育問題”これが、この大問題がついに議論されるようになるのです。戦後60年、我が国は国の根本問題である教育について知っているか否かを問わず、その本質的なことを問うことを避けてきました。つまり、宗教的なことがらについて、倫理的なことがらについて、精神的なことがらについて、これら一切が厳然としたタブーになって今日に至ったという背景があります。

 あの戦争、つまり大東亜戦争、太平洋戦争、大二次世界大戦、その戦争で米国は日本軍の力をある程度認めたことも事実でしょうが、それより、戦後の日本人をどのように骨抜きにしようか…ということに最大の注意が注ぎ込まれました。そして、その結論は一切の宗教教育をあいまいにすること…このことでした。

 特に、国家神道的なことがらが教育に絡むことはどうしても避けなければならないかのごとく一貫してあやむやにする教育が推進されてきました。そして、そのことは、文部省、日教組その双方の絶大なる協力で成功を納めることができたかのように思われてきました。

 ところが、現実は教育、より厳密にいえば《こころ》の教育、精神の教育、倫理教育、宗教教育…、そういった方面における教育が戦後60年の間に完全に崩壊してしまったということなのです。

 現に、学校教育の風景を眺めてみれば、いじめ、校内暴力、登校拒否、少年少女による異常な殺人事件、自殺の問題といった際限もない状態が展開されつつあるのが真の姿ではないでしょうか。

 もちろん、このままでいいはずはありませんが、それではどのようにすればよいのか…ということをいったい誰が、どのようにして、考えるべきなのでしょうか。

 もちろん、わたしたち全員がこの問題に取組まなければならないことは言うまでもありませんが、それだけでなく、”神”、”善”、”悪”、”倫理”、”道徳”、”正義”、”徳”、”仁徳”…といったことをこれからは問わなければならないということでもあるのです。

(つづく)

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