哲学日記

精神分裂病を中心とした諸々の精神病に関する考察について、民話、童話、神話、ファンタジーといったことまでを含めて考察。

洗脳 VS 逆洗脳

2005年09月16日 | Weblog
{自民党 VS 民主党} VS {洗脳 VS 逆洗脳}

今回このような結果を招いたのは”国民”がバカだったのか、それとも”民主党”がバカだったのか、それとも”国民”が”リコウ”だったのだろうか?!

 はっきりしているのは、”国民はわかりやすさ”を第一に求めたこと、このことではないでしょうか。実際、”郵政の民営化すらできないで、他にどのような改革ができるのか…”というキャンペーンは実際に訴えるものがあります。それに反して、”日本をあきらめない…”というスローガンのいかに腰の抜けたこと、そもそも最初の出発点ですべてが頓挫してしまったことは疑いの余地がありません。

 さて、問題はこれからです。自民党さんも民主党さんもこれから経済的、社会的、倫理的、教育的にがたがたになってしまったこの日本の国をどのように立て直すのか、どちらさんも真剣に取組んでいただきたいものです。

 このブログは政治問題を扱うブログではありません。ただ、たまたまタイミング的に選挙が行われ、しかも、その結果が結果だけに無視するわけにもゆかず政治問題について多少の議論を展開させてもらっているだけです。

 今回、小泉さんは国民を”ある意味で”洗脳することが出来た…といっても間違いはありません。これが可能となる条件は大部分の国民が”無知”あるいは”バカ”であることが前提となります。実際、国民の大多数は”バカ”ですから(=実証されました!)、もし、民主党さんが小泉さん以上に巧みに国民を”洗脳(=誑かし)”することができたとすれば(十分可能であったかと思うのですが!)、当然ながら民主党さんだって政権を奪取することができたはずです!

 ぶっちゃけた話、”民主党”さんは国民以上に”バカ”だったのです。つまり、今回の選挙の直前の2回の選挙が、実は真の意味での民主党の支持ではなく、自民党の失策による、しかたなしの選択による民主党の躍進だったことに誰も深い洞察を持っていなかったことが最大の要因でありました。

 要するに国民がバカである以上、民主党であれ自民党であれ、誰であれ十分に巧みに誘導すれば国民は”その気に”なってしまうものなのです。この国民を巧みに誘導する術に最も長けていたのが故田中角栄氏であったのですが、時代は田中角栄氏の手法を容認することができなくなりました。実際、亀井氏や綿貫氏の手法はもはや通用しません。

 つまり、”洗脳”という手法は”天才”が無数の”バカ”をまとめてめんどうみるときそのときに限ってのみ可能であるということが言えそうです。実際、歴史を紐解けば、そのような実例を無数に捜すことができるでしょう。

 さて、本日のメインテーマである”洗脳 vs 逆洗脳”に移りましょう。洗脳が上記で説明されたことがらだとして、それでは”逆洗脳”とはいったいどのような概念なのでしょうか?

定義:  

 逆洗脳:超天才が無数(億単位の数)のバカのなかから、ひとりあるいはふたり…といったごく少数の人数の人間に”常識はこれこれシカジカであるけれど、真理はこうなんだ…”といったメッセージを単独者のみに(=わかるひとにのみ目掛けて)、発信すること。そして、そのことを理解させること。

逆洗脳者および逆洗脳の例:

ニーチェ:    ”神は死んだ”
キルケゴール:  ”信仰とは逆説である”
ソシュール:   ”言語の本質は恣意性と差異性である”
ヘラクレイトス: ”ケッシテ没スルコトノナイモノヲ前ニシテ、ヒトハドウ身ヲクラマスコトガデキヨウカ”

※ 当該ブログは上の意味がどのような射程で日々の日常世界に反映されているかを綴ったものでもあります。また、ニーチェ、キルケゴール、ハイデッガーといった超一流の哲学者の基本的な思想を理解していることを前提としたブログであることも繰り返しますがお伝え申し上げておきます。