さくさく

中居正広ナシでは1日が始まらない、終わらない。元気をくれるのは中居&SMAP。

ありがとう、さよなら。また、逢いたい。

2009年01月15日 03時56分51秒 | 中居正広

たぶん、大きなスクリーンでの「私は貝になりたい」を観るのは、最後になる。

自身の仕事のスケジュールと、「貝」の上映スケジュールと照らし合わせると・・・今日は、最後のチャンス。

今日も、そこに “豊松さん”は居ました。
清水家はじめ、あの人たちが変わらず居ました。

何度も逢いに来て・・ その日の体調なのか、心理状態なのか・・ 私の感じ方は微妙に違ったりするのに。
いつ逢いにいっても、豊松の最期は変わらない。

映画だもん、結末は決まってる。当たり前だけど。

何度も、何度も。
最期の「縛り首」のシーンを見ました。

幸いにも、しっかり目を開けて見つめることが、私には出来たので。

見てやろう、と思いました。


最後の最後、手のひらからヒラヒラと落ちる1枚の写真。
豊松が、大事に大事に、握り締めていた 大切な人たち。

あの写真は、どうなったんだろう。
豊松の「手紙」はどのように渡されるのだろう。
遺体も引き渡されず、埋葬場所も知らされない家族は、どうやって区切りをつけるのだろう。 ・・いや、つけられないのかもしれないね。

中居君がよく使う 「納得のいく死」 ではなかったはず。

でも、豊松は自分の足で歩いて、処刑場まで行かなくてはならない。
なんて、残酷なこと。
・・・罪を犯した者・・・ という戦争に勝利した側からの目線。
そんな人間の最期には、ボロ服を着せるのだろうか・・・

脚を引きずり、自ら処刑場へと進む豊松の身にまとっている、穴の開いた汚れた服・・いったい、なぜ?


豊松は・・
いったい、どんな風に心を整理したのだろうか?

いや、納得も整理も出来てるはずない・・・

映画が終わっても、毎回、答えは見つからない。

エンドロールが流れ始めると、逆にいつも絶望感からか、少し冷静になる。
だけど、必ず同じところでまた、泣けてくる。

「届けたい、届けたい。 届くはずのない声だとしても・・あなたに届けたい」(花の匂い/作詞:桜井和寿)


人は弱くて、強い。
戦争は、相変わらずどこかで起こっていて。
なんの学習能力もないかのよう。
でも、こうして、ほんの少し前に起きた過ちについて「映画」が作られ、平和な環境で沢山の人が観る事ができた。

それぞれが、何かを感じ。 何かを考えた。

それこそが「花の匂い」にも歌われている、幸せの種・・の芽が出てきたことなのかもしれない。

ありがとう、豊松さん。

ありがとう、中居君。

良かったね、この作品に出逢えたこと。

監督、共演者、スタッフ、沢山の宝物に出逢えたね。


・・・ 手紙の中で・・・ 貝に生まれ変われれば、房江や健一、直子のことを心配することもない・・豊松は書いているけど・・・。
もし、貝に生まれ変わったとしても  あの岬に あの海に・・ 
きっと、戻って来てくれる

そんな気がする。

コメント (18)
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