「近状②~ノートテイク~」の続きです。
(↑見てない人はこれを見てから見た方がわかると思います。)
その先生に前日手紙を書きました。
内容は口話の限度、ノートテイクは私の欠かせない耳の代わり、
通訳者である事を中心とした事です。
そしたら、その講義が始まるちょっと前に先生から返事を頂いた。
その手紙を読んで行ったときの反応は次の通り…
手紙を下さい、感謝しているようだ…。
→嬉しかったのかな…。
他の先生から噂を聞いてたのと違ってたらしい…。
→口さえ見えれば口話がほぼ完璧に出来ると思ってたのかなあ。
ノートテイクは大賛成である。
→ほっ。
ノートも先生を見なく、横を向いてたときが一番気になってたらしい。
→確かに自然に目を休めたくて窓の方を見る時や、
周りの様子が気になって他の人を見る時がある。
先生にとってショックなんだ。気をつけよう。
うむうむ…と読み続ける。問題はここからだった…。
「大学だけじゃなく社会でも手話の出来る人は少ないので、今のうちに出来るだけ、自分の力で(口話で)相手の言うことを理解するよう努力することをお勧めします。」
えっ!!?? ちょっと待ってよ!!
それは無理なんですけど…!!??
それを見た時は泣きそうな程ショックを受けました…。
そのまま講義へ。(手紙見て気持ち切り替えて真面目に受けたつもりです…。)
先生は私の方に色々気遣ってくださいました。
どこやってるか?を指してくれたり「分かりますか?」と声かけてくださったり…
先生は皆と同じように授業を理解して欲しかったんだっていう気持ちが
よく伝わりました。
けど、気になった事が…
先生のさっきの話をテイクしているのを見ている時、先生に
「こっち(先生の方)見てください。話をしますから。テイクはあとで見直せますから」
と言われました…。
「36億年前…生物……の間に……バクテリア……のです」
先生の口を見て分かったのはこんな内容だけでした。
私が皆と同じように講義に臨める様につけているのがノートテイク。
先生の気持ちは痛いほど分かりますが、テイクをもっと信頼し、任せて欲しいと思う。そして私にテイクを見る自由を下さって欲しいと思う。
教務課にも呼び出され、ぶつかってしまいました。
自己嫌悪…
最近は、「口話をあまり使わない方がええのかなあ。
しゃべれるからそんな軽くみられるのかなあ。」
ってへこんだり頭かかえたり。
来週の為にも、また手紙書こうか考え中。
先生の愚痴っぽくなったけど、正直に話してくれて感謝している部分もあるのだ。
ろう者である私から見て健聴者はろう者の事どう見られているか分からない。
そしてどう見られているか正直に話す健聴者はなかなかいない。
謙虚しているんだろうけど、その代わり集団の中でぺらぺらとしゃべって
自分の知らない間にろう者を孤独にさせたり、知らないうちに傷つけるときがある。
その時に言えるろう者はなかなかいないだろう。
だから、逆に先生が言葉にして自分に対して言ってくれてる分
私も言える余地がある。
ここに書いたのも、愚痴の為というより、見てくれている皆に
ろう者と健聴者の歩み寄りに少しでも役に立ててくれれば、という思いからである。