今日は友達に某女子校(中等科)に総合学習として手話を教えるという
光栄な機会を下さった。
私は手話サークルに入っておらず、教えるという経験があまりなかった。
「手話を教える」にあたって迷った事。
それは、声付きで教えるべきか、声無しで教えるべきか、という事。
相手にとって声ありで教えた方がスムーズでやりやすいだろうけど、
その代わり手話に集中して見る事が出来ないし、
「声を頼りに出来ない」という聞こえない人の気持ちを学ぶことも出来ない。
手話サークルに入ってる友達から、たまにこういう事を耳にするが、
自分の身になって本当に難しい問題と感じた。
話がちょっとそれるけど、私は、難聴か聾かどちらとも言えない人間。
手話だけじゃなく発音もできる。
人によって、声だけの時もあるし、声つき手話、声無し手話、筆談で
コミュニケーション手段を使い分けながら過ごしてきた。
いざ手話の指導するっていう時に、
どうすればいいんだろう?とある友達に相談したら、
「ありのまんまの自分でいればいい」
と言ってくださった。
でも自分にとっての「ありのまま」がわからなかった。
私は使い分けてコミュニケーションをとってるから。
これが今日一番見つめ直された事だと思う。
思い知らされた事も多いけど、
女子学生が手話の学習に熱心な姿を見れたり
「是非、また教えに来て欲しい」と言って下さって嬉しかった。
それに、手話はやっぱ多くの人々に使って欲しいから、
そういう事に少しでもつなげられる事ができてよかった。
家でも、母が手話を本格的に頑張るようになった。
私も春休みに入って余裕を持つようになった事だし、
母とはなるべく声なしでコミュニケーションを取っている。
母はいつまで続けられるかわからないけど、
出来る限り協力したいな、と思っているところである。
これからも色々な人たちに手話を教えていきたいと思う。
最後に、
M・I,そして某女子校の先生方。
貴重な経験をさせてくださって、本当にありがとうございました。
そして、E・F、A・Y、M・Z、Y・M、A・H、R・K、R・K、K・U、
一緒に出来て楽しかったよ♪今日はお疲れ様でした。
*P・S*
A・Yよ、スコーン渡すの忘れた…すまないm(_ _"m)ヘ
光栄な機会を下さった。
私は手話サークルに入っておらず、教えるという経験があまりなかった。
「手話を教える」にあたって迷った事。
それは、声付きで教えるべきか、声無しで教えるべきか、という事。
相手にとって声ありで教えた方がスムーズでやりやすいだろうけど、
その代わり手話に集中して見る事が出来ないし、
「声を頼りに出来ない」という聞こえない人の気持ちを学ぶことも出来ない。
手話サークルに入ってる友達から、たまにこういう事を耳にするが、
自分の身になって本当に難しい問題と感じた。
話がちょっとそれるけど、私は、難聴か聾かどちらとも言えない人間。
手話だけじゃなく発音もできる。
人によって、声だけの時もあるし、声つき手話、声無し手話、筆談で
コミュニケーション手段を使い分けながら過ごしてきた。
いざ手話の指導するっていう時に、
どうすればいいんだろう?とある友達に相談したら、
「ありのまんまの自分でいればいい」
と言ってくださった。
でも自分にとっての「ありのまま」がわからなかった。
私は使い分けてコミュニケーションをとってるから。
これが今日一番見つめ直された事だと思う。
思い知らされた事も多いけど、
女子学生が手話の学習に熱心な姿を見れたり
「是非、また教えに来て欲しい」と言って下さって嬉しかった。
それに、手話はやっぱ多くの人々に使って欲しいから、
そういう事に少しでもつなげられる事ができてよかった。
家でも、母が手話を本格的に頑張るようになった。
私も春休みに入って余裕を持つようになった事だし、
母とはなるべく声なしでコミュニケーションを取っている。
母はいつまで続けられるかわからないけど、
出来る限り協力したいな、と思っているところである。
これからも色々な人たちに手話を教えていきたいと思う。
最後に、
M・I,そして某女子校の先生方。
貴重な経験をさせてくださって、本当にありがとうございました。
そして、E・F、A・Y、M・Z、Y・M、A・H、R・K、R・K、K・U、
一緒に出来て楽しかったよ♪今日はお疲れ様でした。
*P・S*
A・Yよ、スコーン渡すの忘れた…すまないm(_ _"m)ヘ