めも

『き☆ろ☆く
  と 
おぼえがき』

20210319(金) 岡田繁幸氏逝去

2021-03-19 17:13:05 | 日記
追記 17:00
「マイネル軍団」の総帥・岡田繁幸氏が19日朝に亡くなったことが分かった。
この日が71歳の誕生日だった。死因は不明。
近年は腸の具合が悪く原因不明の下痢の症状などに悩まされていた。
今年の2月11日に北海道新冠町のビッグレッドファームで行われた種牡馬展示会には出席。
糖質制限などをして一時期よりは体調が戻ってきていると話していたという。以上、ネット競馬さまから。

驚愕です、競馬場で見かけたりしておりました。
冥福をお祈りいたします。

追記の追記 
スポーツ報知様から拝借
社台ファーム代表吉田照哉氏(73?)
「50年の付き合いでしたが、最初に会った時から魅力的な人でした。人が見ていないところを見ていたり、独特な洞察力があった。
それに一生懸命。人を引きつける力を持っていました。
こんなに心を割って付き合った人はいないし、信頼しあってしゃべっていただけに、とても残念です。心からご冥福をお祈りいたします」

スポニチ様から拝借
ノーザンファーム代表の吉田勝己氏(72)
最後に会ったのは2月9日、社台SSでの種牡馬展示会。
「本当に長い付き合いだったし、凄く残念です。いつも馬のことを考えている人でしたね。体調を崩しても、いつも立ち直っていたんですが……」。
数々の思い出があるが、とりわけ00年のセレクトセールで「フランクアーギュメントの2000」(後のカーム)を3億3600万円で競り落とした場面は心に強く刻まれている。
「熱くなる人だったからね。3億円とか、とんでもない価格まで競っている姿が強く印象に残っています」と懐かしそうに振り返り、在りし日をしのんだ。

日刊スポーツ様から拝借
ビッグレッドファームの主戦・柴田大知騎手(43)すごく大きな存在でした。
話を聞いているだけで吸い込まれていくような、人を引きつける魅力がありました。
毎回、レースで勝つたびに喜んでくれて「思ったように乗ってくれた。ありがとう」って。
悪いことはひとつも言わない。褒められたことしかなく、だから「もっと頑張ろう、頑張らなきゃ」という気持ちにさせてくれました。

松岡正海騎手(36)
「僕は岡田繁幸さんにここまで大きくしてもらったから・・・、恩返しできなくて、なんの夢もかなえてあげられなかった。
無力さを感じています。無念です。(思い出の馬などは)どの馬というのではなく、繁幸さんの仕事の姿勢が思い出です。
馬にかける情熱、情熱を持って仕事をする姿、毎年夢を語る姿に僕自身が勇気づけられたこと、それが一番の思い出です。
北海道の牧場(ビッグレッドファーム)に行くと、いつも夢を語ってくれた。その言葉を聞くのが楽しみで牧場に行っていたと思います。自分も年を重ねたら、こういう人になりたいなと思っていました」。
08年には京成杯、弥生賞を連勝したマイネルチャールズとのコンビで牡馬クラシック(皐月賞3着、ダービー4着、菊花賞5着)を戦い、09年にはマイネルキッツで天皇賞・春を制した。岡田繁幸さんとの思い出は尽きない。
「僕がまだ2年目か、3年目、初めて牧場に行ってお会いしたときのことは今でも覚えています。初めて会ったのに、繁幸さんが『僕は馬を見る目がある。それは自信がある。
だから僕の馬に乗ってくれませんか」って言ってくれたんです。こちらと同じ目線に立って、『乗ってくれませんか』って話してくれたことにすごく感動しましたし、一生忘れません」。
これまでたくさんの馬に乗せてもらい、マイネルネオス(11年中山GJ)マイネルホウオウ(13年NHKマイルC)でG1を勝った時は、少しは恩返しできたかなと思ったんですが、
ずっと「ダービー、ダービー(を勝ちたい)」と言ってたので、それを果たせなかったのが本当に悔やまれます。先月、電話で「また食事しよう」って言ってもらったんですが。もっといろんな話がしたかったです。

※沢山の方々がコメントを出していてこれからも出てくるでしょう、それだけ競馬関係者ファンには大きな大きすぎる存在でした。パドックで総帥が飄々と佇んでいる姿がありありと浮かぶし競馬場の景色の一部でした。
尚、馬関係者・生産や育成オーナーやトレイナー総てが目指すレースは『ダービー戴冠』です。

追記の追記
ビッグレッドファーム蛯名聡マネジャー(49) 毎年、この時期になるとコンディションを落としていました。
種馬や、今年デビューの期待馬もいるので最近まで調教は熱心に見に来ていましたが、突然のことで何と言っていいか。それでも体力の続く限り、精いっぱい生きたと思います。
岡田と言えばやはりコスモバルクが代表だと思いますが、心残りであったクラシック、ダービー制覇は残されたもので力を合わせて成し遂げたいと思っています。
落ち着きましたら「お別れの会」を催したいと思っております。

マイネル軍団の馬を多く管理した西園正都調教師 
私は厩舎開業初勝利がマイネルユートピアでしたし、マイネルレーニア(08年スワンSなど)やマイネルエテルネル(12年小倉2歳S)では重賞を勝たせていただきました。
岡田社長の馬作りには感銘を受けていましたし、影響も受けました。素晴らしい人が亡くなってしまい残念です。

道営所属のままクラシック3冠など中央競馬への挑戦を続けたコスモバルクを管理していたホッカイドウ競馬の田部和則元調教師(75) 
道営がまだ不況だった03年にバルクを預けてくださり、何と言っていいか分からないほど感謝しています。
私の引退式(19年11月7日)にも親子3人で来てくださり感激しました。馬を見る目もさることながら、とても人情味のある方でした。
心からご冥福をお祈りいたします。

コスモバルクの主戦だった五十嵐冬樹騎手(45) 
僕の競馬人生の中でも一番と言える貴重な体験をさせていただきました。
皐月賞(2着)は、相談をした上で最大目標のダービーを見据えた乗り方をしたつもりですが、やはり悔しさが残ります。
これからもチャンスがあれば岡田さんの息のかかった馬に騎乗させていただきたいですし、
調教師に転身後でも何とかクラシック制覇という夢を叶えるために貢献できたらと思っています。

来年のJBC開催競馬場
来年には移動が可能でしょう!出迎えはでかい馬像の盛岡競馬場は良いですよ。
地方競馬全国協会(東京都港区)JBC実行委員会
2022年第22回JBCの開催が、盛岡競馬場に決定
盛岡競馬場でのJBCの開催は、2002年第2回、2014年第14回、8年ぶり3度目

2022年第22回JBCの概要
開催日/2022年11月3日(祝・木)(※予定)
開催場/盛岡競馬場
競走概要/
 JBCクラシック(JpnI) 〔距離2000m〕
 JBCスプリント(JpnI) 〔距離1200m〕
 JBCレディスクラシック(JpnI)〔距離1800m/牝馬限定〕
 ※JBC2歳優駿(JpnIII)〔距離1800m/2歳〕は門別競馬場(北海道)で実施。


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