朝ドラ 「エール」 を楽しんでいます。しかしわが友人には 「古関裕而はたくさんの軍歌を作曲した軍国主義者」 と仰る方も少なくありません。NHKもそこを気にしたのか 『英雄たちの選択…昭和に響いた ”エール” ~作曲家 古関裕而』 で彼の生涯を特集しました。
登場したのは 今や歴史タレント磯田道史さん。最近は小説より辛口の論評が目立つ高橋源一郎さん。朝ドラ 「エール」の風俗考証を担う史学者刑部芳則さん。司会はNHK杉浦友紀アナウンサー。細面なのにマリリン・モンロー級アナウンサーでいらっしゃいます。
左から高橋源一郎さん、杉浦友紀アナ、磯田道史さん、刑部芳則さん
で、どんな軍歌があるのか…「勝って来るぞと勇ましく誓って故郷を出たからは手柄たてずに死なりょうか進軍ラッパ聴くたびに瞼に浮かぶ…」(露営の歌) 。「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃでっかい希望の雲が湧く」(若鷲の歌)」
高橋源一郎さんは『軍歌は嫌いです』と語りつつ 『でも古関裕而の軍歌はいいなと思うんです』 『軍としては威勢よい歌がほしい。が、古関の歌はよく聴くと暗い! 彼のマインドは根っからの庶民だから。日本人の無意識の感情に届き戦争の歌とは思えなくなる』
※ 私も高橋さんと同じく軍歌は大嫌いであり、高橋源一郎が「古関裕而の軍歌はいい」というその「露営の歌」「若鷲の歌」も好きではありません。ただ大伴家持の原歌による「海行かば」(作曲:信時潔)には心うたれます。大戦下、軍が玉砕を報じるニュースの冒頭にこの曲が流されたことを思えば「心うたれる」と言うのは憚られますが、厳粛な鎮魂の情として「かへりみはせじ」の一節は心に迫ります。
刑部芳則さんは 「本音と建前がある」と言います。『戦場で死んで帰ってこい!と言われた時代でも、そう思って出征する兵士はいない。国の為に死んで帰ってこいと思う妻や母親も一人もいない。そのあたりの本音の心情をメロディにしたのが古関裕而の歌』
磯田道史さんは 『勝ってくるぞと勇ましく』なんて言わなきゃいけないのは勝つ自信がないことの表れ。ひょっとしたら犬死を強いられるかもしれない…そういう感情が印画紙のように表れている』『軍は戦意高揚をめざしても大衆は無意識にそうではないと感じる』
古関裕而は西条八十らと戦地に赴き、克明なノートのほか、映像も撮影しています(彼の記念館に収蔵)。前線の過酷な現実を目の当たりにした古関裕而が、戦意高揚にと命じられ作る曲に、戦中戦後様々な思いが去来したであろうことは想像に難くありません。
戦争末期、軍は「比島決戦の歌」を古関と西条に命じます。できた歌詞『レイテは地獄の三丁目 出てくりゃ地獄へ逆落とし』に軍は異を唱え、日露戦争の「水師営の会見」の歌詞『敵の将軍ステッセル』にちなみニミッツ・マッカーサーの名を入れるよう迫ります。
すなわち『いざ来いニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄に逆落とし』と。西条は「水師営の歌の敵将ステッセルには、敵将ステッセルにも自軍乃木にも互いの武勇への敬意がこめられている。単なる憎悪は武士道にもとる」 と抵抗しますが、通りません。
「露営の歌」のレコード盤 … 作曲 古関裕而、歌手に 霧島昇 伊藤久男の名も。
軍の横暴について高橋源一郎さんは『運命から自分ひとり脱け出すことはできない。庶民全体がその方向に行こうとする時、大衆音楽の作曲家としては庶民を見棄てられない。最後まで運命をともにするのが大衆音楽の作り手の倫理だと考えたのではないか』。
「比島決戦の歌」を作詞した西条は古関に「明るい長調の曲を!」と注文したそうです。しかし古関は敢えて哀愁を帯びた短調の曲を作り西条を説得したと言われています。詞では曖昧にできない意図を曲ではきちんと描ける、と古関は考えたのかもしれません。
一方、磯田さんの指摘は鋭い。『本当は作曲したくなかったのでしょう。水師営の歌には敵への敬意がありますが、比島決戦の歌には敵愾心だけ。明治から昭和になるとなんと品が悪くなったことか! 正気ではない軍人と仕事するのは難しかったでしょうね』
敗戦。兵士を鼓舞するためとはいえ戦意高揚の歌を作ってきたという事実が古関裕而の心を片時も離れることはなかったのでしょう。1975年放送のTV番組で、特攻に飛び立つ若い隊員から届いた手紙を紹介しながら古関裕而が語る言葉に心をうたれました。
『若鷲の歌を歌いながら飛びたちます、との手紙を頂戴したことがあります。本当に、いま考えますと、胸が痛んで参ります。自分の手で、自分の作った歌で、多くの若者を死地に追いやったという思いは消えません』。その思いが古関裕而に新しい力を生みます。
思いはやがて「長崎の鐘」へとつながります。ご存じの方も多いと思いますが、この歌は深い悲しみに満ちた短調音階で始まり心をぎゅっとしめつけます。しかし曲はやがて力強い長調に転調します、打ちひしがれた人々に再起!再生!のエールをおくるように…。
NHK朝ドラ「エール」より…古山裕一(古関裕而)の窪田正孝、古山音(古関金子)の二階堂ふみ
東京五輪「オリンピックマーチ」、NHKスポーツ中継テーマ曲、高校野球「栄冠は君に輝く」、早大・慶大の応援歌「紺碧の空」「我ぞ覇者」、巨人・阪神の応援歌「闘魂こめて」「六甲おろし」、歌謡曲「高原列車は行く」、ザ・ピーナッツ「モスラの歌」…
生涯に五千曲超!の作曲を手がけた古関裕而。高橋源一郎さん流には 「職業音楽家」、磯田道史さん流には「誂(あつら)える人」、そして刑部芳則さんの言う「戦前・戦中・戦後…どんな時代であれ国民をなぐさめ励ましてくれた国民音楽家」ではありましょう。
長崎の鐘 … 安田祥子さん(お姉さん)がいいですね。由紀さおりさんのオブリガードも印象的!
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
登場したのは 今や歴史タレント磯田道史さん。最近は小説より辛口の論評が目立つ高橋源一郎さん。朝ドラ 「エール」の風俗考証を担う史学者刑部芳則さん。司会はNHK杉浦友紀アナウンサー。細面なのにマリリン・モンロー級アナウンサーでいらっしゃいます。
左から高橋源一郎さん、杉浦友紀アナ、磯田道史さん、刑部芳則さん
で、どんな軍歌があるのか…「勝って来るぞと勇ましく誓って故郷を出たからは手柄たてずに死なりょうか進軍ラッパ聴くたびに瞼に浮かぶ…」(露営の歌) 。「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃでっかい希望の雲が湧く」(若鷲の歌)」
高橋源一郎さんは『軍歌は嫌いです』と語りつつ 『でも古関裕而の軍歌はいいなと思うんです』 『軍としては威勢よい歌がほしい。が、古関の歌はよく聴くと暗い! 彼のマインドは根っからの庶民だから。日本人の無意識の感情に届き戦争の歌とは思えなくなる』
※ 私も高橋さんと同じく軍歌は大嫌いであり、高橋源一郎が「古関裕而の軍歌はいい」というその「露営の歌」「若鷲の歌」も好きではありません。ただ大伴家持の原歌による「海行かば」(作曲:信時潔)には心うたれます。大戦下、軍が玉砕を報じるニュースの冒頭にこの曲が流されたことを思えば「心うたれる」と言うのは憚られますが、厳粛な鎮魂の情として「かへりみはせじ」の一節は心に迫ります。
刑部芳則さんは 「本音と建前がある」と言います。『戦場で死んで帰ってこい!と言われた時代でも、そう思って出征する兵士はいない。国の為に死んで帰ってこいと思う妻や母親も一人もいない。そのあたりの本音の心情をメロディにしたのが古関裕而の歌』
磯田道史さんは 『勝ってくるぞと勇ましく』なんて言わなきゃいけないのは勝つ自信がないことの表れ。ひょっとしたら犬死を強いられるかもしれない…そういう感情が印画紙のように表れている』『軍は戦意高揚をめざしても大衆は無意識にそうではないと感じる』
古関裕而は西条八十らと戦地に赴き、克明なノートのほか、映像も撮影しています(彼の記念館に収蔵)。前線の過酷な現実を目の当たりにした古関裕而が、戦意高揚にと命じられ作る曲に、戦中戦後様々な思いが去来したであろうことは想像に難くありません。
戦争末期、軍は「比島決戦の歌」を古関と西条に命じます。できた歌詞『レイテは地獄の三丁目 出てくりゃ地獄へ逆落とし』に軍は異を唱え、日露戦争の「水師営の会見」の歌詞『敵の将軍ステッセル』にちなみニミッツ・マッカーサーの名を入れるよう迫ります。
すなわち『いざ来いニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄に逆落とし』と。西条は「水師営の歌の敵将ステッセルには、敵将ステッセルにも自軍乃木にも互いの武勇への敬意がこめられている。単なる憎悪は武士道にもとる」 と抵抗しますが、通りません。
「露営の歌」のレコード盤 … 作曲 古関裕而、歌手に 霧島昇 伊藤久男の名も。
軍の横暴について高橋源一郎さんは『運命から自分ひとり脱け出すことはできない。庶民全体がその方向に行こうとする時、大衆音楽の作曲家としては庶民を見棄てられない。最後まで運命をともにするのが大衆音楽の作り手の倫理だと考えたのではないか』。
「比島決戦の歌」を作詞した西条は古関に「明るい長調の曲を!」と注文したそうです。しかし古関は敢えて哀愁を帯びた短調の曲を作り西条を説得したと言われています。詞では曖昧にできない意図を曲ではきちんと描ける、と古関は考えたのかもしれません。
一方、磯田さんの指摘は鋭い。『本当は作曲したくなかったのでしょう。水師営の歌には敵への敬意がありますが、比島決戦の歌には敵愾心だけ。明治から昭和になるとなんと品が悪くなったことか! 正気ではない軍人と仕事するのは難しかったでしょうね』
敗戦。兵士を鼓舞するためとはいえ戦意高揚の歌を作ってきたという事実が古関裕而の心を片時も離れることはなかったのでしょう。1975年放送のTV番組で、特攻に飛び立つ若い隊員から届いた手紙を紹介しながら古関裕而が語る言葉に心をうたれました。
『若鷲の歌を歌いながら飛びたちます、との手紙を頂戴したことがあります。本当に、いま考えますと、胸が痛んで参ります。自分の手で、自分の作った歌で、多くの若者を死地に追いやったという思いは消えません』。その思いが古関裕而に新しい力を生みます。
思いはやがて「長崎の鐘」へとつながります。ご存じの方も多いと思いますが、この歌は深い悲しみに満ちた短調音階で始まり心をぎゅっとしめつけます。しかし曲はやがて力強い長調に転調します、打ちひしがれた人々に再起!再生!のエールをおくるように…。
NHK朝ドラ「エール」より…古山裕一(古関裕而)の窪田正孝、古山音(古関金子)の二階堂ふみ
東京五輪「オリンピックマーチ」、NHKスポーツ中継テーマ曲、高校野球「栄冠は君に輝く」、早大・慶大の応援歌「紺碧の空」「我ぞ覇者」、巨人・阪神の応援歌「闘魂こめて」「六甲おろし」、歌謡曲「高原列車は行く」、ザ・ピーナッツ「モスラの歌」…
生涯に五千曲超!の作曲を手がけた古関裕而。高橋源一郎さん流には 「職業音楽家」、磯田道史さん流には「誂(あつら)える人」、そして刑部芳則さんの言う「戦前・戦中・戦後…どんな時代であれ国民をなぐさめ励ましてくれた国民音楽家」ではありましょう。
長崎の鐘 … 安田祥子さん(お姉さん)がいいですね。由紀さおりさんのオブリガードも印象的!
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吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
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閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
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旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
ご連絡ありがとうございました
機会がありましたら当方でもご紹介したいと存じます。
いやー、政治関連もめっちゃ好きですが、ドラマの方が数段に面白いですね。
CHANGEも今録画予約入れました。
木村拓哉嫌いのご婦人が約2人居ますので、小生のブログでは扱わないことが多いですが、『武士の一分』と『HERO』の映画ははしっかりと投稿しています(笑)
きっかけを作っていただいて感謝です。
乙羽さん
コメントありがとうございました
> 『会いを積むひと』を観ました。
> ご紹介くださって...私の救世主? と思うくらい感動しました...が、言葉が追い付きません。
書、映画、音楽... 。
紹介を兼ねたレビューは兎も角、「多くを語らない」のが最良の感想だそうです(笑)
「愛を積むひと」についての 乙羽さんのブログ記を拝読しました。
実に...過不足ない素晴らしいレビューでした。
私もそう心がけていますが、時に語り過ぎて...語るに落ちます
> 私の中に壁があり、どうしても答えが見つからず
> 誰とはなしに尋ね求めていたのですが、この中に答えがありました。
はからずも! という言葉があります。
はかる! より はからない! ほうが
案外 求める解に近づけるかもしれませんね。
> あ、記事とはまるで違うことを…(笑) すみません(汗)
いぇいぇ... はからずも記事にピッタシ!にございます
> 追伸です 「会いを積むひと」→「愛を積むひと」です(笑) 変換ミスです(汗)
「会いを積む」すなわち「愛」ですから ミス!ではありまセーヌ河(笑)
「であい」は ...「出遭い」「出逢い」「出会い」など様々。
すべて「愛を積む」に繫がるものと存じます
です(笑)
変換ミスです…(汗)
過去記事 ↓ 『会いを積むひと』を観ました。
ご紹介くださったデ某さまは私の救世主?
かと思うくらい感動しました。
いろいろ感想も書きたい気持ちもありますが、言葉が追い付きません。
このDVDは買います。アマゾンで。
何度も観たいと思うので。
私の中に壁があり、どうしても答えが見つからず誰とはなしに尋ね求めていたのですが、この中に答えがありました。
観てよかったと心から思えたので、デ某さまには感謝です。
あ、記事とはまるで違うことを…(笑)
すみません(汗)
遠音さん
お早うございます。いつもコメントありがとうございます
私も 軍歌は好きではないのに 意外に多くの軍歌を歌えます。
古関さんの作曲ではありませんが「ラバウル小唄」も。
そんな自分を改めて知り 少し驚いています。
戦後生まれなのに...何処でいつ覚えたのかわからない!のも遠音さんと同じです。
> 私は磯田道史氏の 「大ファンです」
磯田さんと脳科学者の中野信子さんを「発掘」したのは、NHKの歴史的!業績ですね(笑)
お二人ともすっかりタレントになられ 容貌まで変貌(笑)されました。
> 長崎の鐘の歌詞に出てくる 永井先生の奥様のロザリオ...
そうでしたね、長崎に逗留されていたのでしたね。
「長崎の鐘」から様々な思いが甦ってこられたのでしょう。
たいへんなお怪我から よくぞ恢復してくださいました。
> 昨年の4月6日に 次は知覧へ行こうと... もっと奥を見つめたい為でした。
思いがけないお怪我をされ知覧再訪は断念されたのでしたが、
その思いは... 遠音さんの恢復の力となったのではないでしょうか。
「旅は同じ所へ2度、3度行かなくては旅とは言わない」は如何にも遠音さんのお言葉。
その意味で 私は 旅らしい旅をしていませんが、
旅と言える旅の機会を求めつづけたいと存じます。
> 古関裕而さんのドラマはこれからどう展開...
コロナ禍による収録難で近々「休止」になる由。
軍から戦意高揚の歌を依頼され 戦場を慰問(視察)するなど... 暗い時代が描かれると思います。
番組では高橋源一郎さんが
『音楽は刃物。美味い料理も作れれば人も殺せる』と仰りつつ
『”戦意高揚に与したから今度は贖罪”というのは知識人の論理、
露営の歌~長崎の鐘 に断絶はなくシームレス。戦争の苦しみが平和への希望に変わる』と。
番組に古関裕而さんが「長崎の鐘」を指揮される姿が映りましたが、
いつもにこやかな古関さんの表情がまるでちがったところに... 心の葛藤が垣間見えました。
> 新型コロナについても その時...どうしたのか...必ずいつか問われるでしょう。
いつの時代も万々歳!などありませんし、寧ろ慚愧にたえないことが多いかもしれません。
いつの時代も 後の時代に何をのこしたのか問われますね。
はんかくさい※私ですが、「何をのこすのか」自身に問いつづけたいと存じます。
ではでは したっけねぇ~※
※ 「はんかくさい」「したっけねぇ」は 遠音さんはご存じですが...
https://www.youtube.com/watch?v=cLA-JRVioIo
https://www.youtube.com/watch?v=yYPQVHoBN2E
「勝ってくるぞと勇ましく・・」も
「若い血潮の予科練の~」も唄えるんです。
何処でいつ覚えて歌っていたのかわかりません。
終戦と同時に戦争の歌は禁止されました。
子どもごころになじんだ歌は忘れていません。
日本史の好きな私は 磯田道史氏の 「大ファンです」
長崎の鐘の歌詞に出てくる「永井先生の奥様のロザリオを資料館で見ました。」涙がこぼれました・・二回の訪問 二回とも涙がこぼれ
慣れることはありませんでした。
昨年の4月6日に次は知覧へ行こうと
体調とにらめっこしていました。そして転倒しました。
一回目に言ったときは たった10才ほどしか違わない青年達のいのちの痛ましさに
恐れおののき・・国家とは何かと激しく感情が揺さぶられました。
昨年の再訪は もっと奥を見つめたい為でした。
旅は同じ所へ少なくても2度から3度行かなくては旅とは言わないと経験から思っています。
古関裕而さんのドラマはこれからどう展開して
わたしの幼い頭の中にそのメロディーが高らかに鳴り響き大人を驚かせ 戦後には叱責を受け
いまも私の頭の中で鳴り響いているのでしょう?
新型コロナについても その時大人は子どもに対しどうしたのか 大人自身はどうしたのかが
必ずいつか問われるでしょう。
コメントⅡありがとうございます
テーマにも適っていますし、立位置も仰るとおりと思っています。
ただ立位置は異なってもノー・プロブレム!です(笑)
刑部さんは なかなかオシャレな方ですね、ファションも 論じられる内容も!
磯田さんがタレント化し過ぎましたから 刑部さんに代ってもいいかも
「花は咲く」のフラッシュモブ、仙台とは思えないインターナショナルな光景です。
また折をみてブログ本文の中にUPしたいと思います。
私の立ち位置は、基本的には貴兄に近いんです。
ただ、1900年生まれの父の歩んできた道と、私が今思っていること、子孫に伝えたいことへの違いに葛藤みたいなものを覚えるわけです。
『英雄たちの選択』も、朝ドラ『エール』をカバーしたような構成だったと思いました。
刑部芳則さんの説明に一番好感を持ちましたね。
1909年生まれの古関裕而さんこそ、きっと大きな矛盾の上で生き抜いてこられたのじゃーないかと勝手に想像しています。
「花は咲く」のフラッシュモブ素敵です!
このような雰囲気の日本が続いていくといいですね。
花水木さん
コメントありがとうございました
東京は雨模様の由...こちら関西も昨夜は土砂降り! 今もまだ小雨が降りしきります
「長崎の鐘」... お心洗われ爽やかなおめざめとなられた由、良かったです。
戦後の荒廃した様子を背景に歌われる You tube にも心うたれましたが、
作られたサトウハチローさん、古関裕而さんのお心にいま叶うのは
由紀さおりさんと安田祥子さんの歌う「長崎の鐘」かなぁ、と。
> 「エール」は欠かさず毎日楽しみに観ております。
> 6月末から一時中断するそうでとても残念です。
現在の場面は 戦前とは思えないゆとりが感じられます。
背景に大正デモクラシーの明るさが残っているのかもしれません。
でも ドラマがこれから向かう暗い時代を思うと、
放送が中断されることに或る種の救いも...(笑)
> ご紹介くださったこちらの番組は見逃してしまいました。
6/17(水) 朝 8:00~9:00 BSプレミアムで再放送されます。
ご覧いただければ幸いに存じます。
> (若人を死地に追いやったとの心情) さぞやお辛かったことと...心中を察すると心痛みます
> が、その気持ちがあったからこそ戦後の素晴らしい曲の数々が生まれたのでしょうね。
もし世界大恐慌がなかったら もし作曲コンクールで欧州留学が実現していれば...
と、そんなタラレバを思います。
人は二つの人生を同時に送ることはできないと知りつつ...。
音さんがライバルの女性から「あなたは欲深すぎる」と言われるシーンがありました。
一度しかない人生...才能豊かな方ほど様々な岐路で苦悩され
その苦悩が 際立つ才をいっそう際立たせるように思います、
そのために自らの才を断念することがあっても!
> エールファンの私にとって、とても興味ある記事でした。ありがとうございます。
こちらこそありがとうございました。
益々のご活躍、ご健筆をお祈り申し上げます
小父さん
お早うございます。いつもコメントありがとうございます
朝ドラも『英雄たちの選択』も視られた由。
そして 杉浦友紀アナ、渡邊あゆみアナの大ファンでいらっしゃいましたか(笑)
> 私の父も陸士出の軍人でした
> 父から戦争の話は聞いたことはありません。
私の父は「志願」でしたが、叔父は「徴兵」でした。
戦争末期は志願も徴兵もそれほどの差はなかったと思いますが、
それでも栄養失調と結核で幽霊のように帰還した叔父には過酷に過ぎる戦争でした。
陸士ご出身のお父様は、当時の状況(置かれた立場)として
私の叔父とはまたちがう意味で 過酷をきわめる情況にいらっしゃったと思います。
> この戦争は無謀だったと考えています。
> 父の兄が...戦争は勝機がないとやらないと...
戦争に意味を見出すことは不可能だと思います。
勝機があってもなくても(勝っても敗けても) 費やされる膨大な戦費と喪われる夥しい人命、
そうしたものに匹敵する意味、価値を私は見出しえません。
戦争を始める側の論理は、いつの時代、何処の国も
「国民の生命と財産を護るため」と勇ましい!です。
異を唱えるものを「平和ボケ」「平和信仰」と揶揄し排斥します。
そうした論理(世論)は... 現に今も! 世界にも日本にも! 少なくありません。
> 日清、日露戦争共々よくもまあ、無茶なことをやったものだなあと...
明治の軍には まだ!?品格があったと思います。
それも司馬遼太郎「坂の上の雲」を読んでの感想か?と問われれば、「そうです」かなぁ(笑)
> 軍歌に関して三人の意見はしっかり聞きました。
三者各々異なりましたが、本質的には同じ!だと思いました。
仕事、業績も然りながら、やはり人は究極「人間」に尽きるのだと思います。
> 知覧出身の上司は...私が「長崎の鐘」を唄ったところ、
> とても喜んで 私のマイクを取って 2番を唄って...
私の郷里にも 一時 「特攻さんの部隊」が居たそうで、
祖母らはしばしばそのもてなしにあたったと聞きました。
若い兵隊さんの生死の境にある姿に接した人ほど
希望と再生を歌う「長崎の鐘」への思いが強かったのでありましょう。
> 高橋源一郎、磯田道史、刑部芳則三氏...
> 皆さん♪「戦争を知らない子供達」であることは私といっしょうでしょう!
高橋源一郎さんは 私達とそう変わりませんが、
磯田さん、刑部さんは私達の子にあたる世代ですからねぇ。
「戦争を知らない子どもたちの子どもたち」(笑)
私たちは幾らかなり戦争の臭いを感じていた団塊世代。
「花は咲く」の歌に...『わたしは何を残しただろう』という一節がありますが、
私たちは 後の世に何を残せるでしょう...。
「花は咲く」をフラッシュモブで大合唱!
https://www.youtube.com/watch?v=US0qoMG4bjA
どんよりとした朝に由紀さおりさんと安田祥子さんの「長崎の鐘」に心洗われ爽やかなめざめとなりました。
ありがとうございます。
「エール」は欠かさず毎日楽しみに観ております。
6月末から一時中断するそうでとても残念です。
ご紹介くださったこちらの番組は見逃してしまいました。
古関裕而さんがこんなにたくさんの軍歌を作曲していらしたとは正直今まで知りませんでした。
>『若鷲の歌を歌いながら飛びたちます、との手紙を頂戴したことがあります。本当に、いま考えますと、胸が痛んで参ります。自分の手で、自分の作った歌で、多くの若者を死地に追いやったという思いは消えません』。
さぞやお辛かったことかと思い、彼の心中を察すると心痛みます。
が、その気持ちがあったからこそ戦後の素晴らしい曲の数々が生まれたのでしょうね。
番組を見逃がした私にとって、エールファンの私にとって、とても興味ある記事でした。ありがとうございます。
ことに杉浦友紀アナは渡邊あゆみアナと同じくらいの大ファンです(笑)
記事、しっかり読ませていただきました。私の父も陸士出の軍人でしたので、この10年くらいは、こと太平洋戦争に関しては、ただただ冷静に見つめています。私は父が戦地から戻って生まれたわけですが、父から戦争の話は聞いたことはありません。
今、この戦争は無謀だったは考えています。父の兄が官僚でしたが、戦争は勝機がないとやらないようなことは耳にしたこともあります。
でも日清、日露戦争共々よくもまあ、無茶なことをやったものだなあと思っている今日この頃です。
軍歌に関して三人の意見はしっかり聞きました。ふと、思い出したのは鹿児島の知覧出身の上司が九州支店から、一時期神戸に来ていましたが、食事してカラオケに行き私が「長崎の鐘」を唄ったところ、その方がとても喜んで私のマイクを取って、2番を唄ってとても満足していたことです。
高橋源一郎、磯田道史、刑部芳則三氏の解説は外れているとは思いませんが、皆さん♪「戦争を知らない子供達」であることは私といっしょうでしょう!(笑)