NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」。初回放送は見逃したもののブロ友さんに教えられ再放送を視ることができました。80代半ばに認知症を病み97歳で旅立った私の父の、言葉も表情さえも喪った最晩年を想いつつ番組に見入りました。
長谷川和夫さん(90)は、日本における認知症医療の草分けの医師であり、その第一人者の研究者として知られます。
認知症とは何か。どう見分けるのか。この研究に取組んだ半世紀前は「老化による痴呆」とされる時代でした。長谷川さんは「長谷川式」と呼ばれる早期診断指標を考案、「痴呆」という患者・家族が傷つく呼称を「認知症」と名づけた先覚者でもあります。
番組は、長谷川さん自ら認知症に罹ってからの一年を追うルポルタージュで、冒頭に長谷川さんの原点となった出来事が紹介されます。それは、彼が主治医をつとめた患者さん(50代でアルツハイマーを発症)が発症間もない頃、五線紙に記した言葉でした ...『僕にはメロディがない。和音がない。共鳴がない。帰ってきてくれ、僕の思いよ。全ての源よ。再び帰ってきてくれ。あの美しい心の高鳴りはもう永遠に戻らないのだろうか』。
この患者さんの奥様は『彼の苦しい心に寄り添ってあげられなかったのが一番の悔いです。私、わかってあげてなかったんです』と涙ぐまれました。そして長谷川さんは『患者さんご本人の心の中を見たのはこの時が初めてでした』と。
長谷川さんの病名は「嗜銀顆粒性認知症」。アルツハイマー型ほど急激な進行はなく、高齢になって発症し比較的ゆるやかに進行するタイプです。ゆるやか…とは言え傍目には急激で、以下 発症から1年にわたる長谷川さんの述懐と日記などから紹介します。
長谷川さんが主治医として診た認知症の患者さんが五線紙に記した悲痛な心の言葉。
『想像以上に恐怖心が募る。もうダメだとか、もうアカンとか、もう何も出来なくなるんだろうか、と。そしてどんどん独りになる』『いつも ”確認” していなきゃいけないような、そういう感じ。自分自身が壊れつつあることは別の感覚で仄かにわかる。日々失われていく ”確かさ”』『一所懸命、一所懸命やってきた結果、こうなった。年をとるということは容易なことではない』(長谷川さんの日記から)
そうした情況に逆らうように日々外出し、時にケガをする長谷川さんを支えるのは妻 瑞子さん。ご自身 腰痛による要介護の身でいらっしゃいますが、穏やかに語られます。
『とにかくあんまり厭な思い出を作らないようにしようと思っています。またいつかお空に行ってから ”あの時は” なんていうことになると困るから(笑)。(外出して) のんびりできて良かったね、ぐらいに言えるようにね』。
長谷川さんの日記には しばしば瑞子さんが登場します。
『僕の心や身体のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてのものだ。なんというのだろう、いつも瑞子と共にいる感じだ。幸せだと思う』『朝 起きて、俺は何処にいるのかなぁって自分自身の在り方がはっきりしない。瑞子が ”おはよう! 調子はどう? よく眠れた?” というその言葉にだんだん不安が薄れ ”確かさ” が戻ってくる』。
パジャマ姿でごあいさつする長谷川さんと奥様の瑞子さん
医師をリタイア後は奥様とまりさん(娘さん)にフォローされ講演をされています。認知症特有に話はしばしば脱線し、時には急にキリスト教の信仰について話し始めます。
まりさんが駆け寄り 『今日のテーマじゃないですよ』と言いますが、長谷川さんは 『僕の話にクチをはさまないでくれ』と怒ります。少しユーモラスで聴講されている方の優しい表情がうかがえます。実際はもっと脱線、混乱することが多いのでしょう。番組制作上の意図とは言え「認知症の第一人者が認知症になった」ことを象徴する場面でした。
講演会で話が脱線する長谷川さんをたしなめる付添いのまりさん(娘さん)
長谷川さんは認知症医療の第一人者ですが、現在は患者として主治医の診察を受けています。主治医に『この頃、物忘れが多く鍵をかけたかどうか何度も確認に引き返す』と訴えますが、まりさんは『父はもう長い間、自分で鍵をかけることはしていません』と。
長谷川さんは想像の世界で、認知症に罹った自分自身を見ているのかもしれません。
長谷川さんの主治医は 『威厳をつぶさないよう周りからサポートしてほしい。順調に歩まれた先生の人生の尊厳がつぶれるのを止めてあげたい』と。主治医に限らず家族は、そして何より本人が、それは最も望みつつ容易に叶わないことではありますが…。
取材から日がたつにつれ長谷川さんの口数は少なく、横になる場面も目立ち言葉にも力がなくなります。『今、こういうことを言ってもいいのか、言わないほうがいいのか、わからなくなってきた。人間の力の限界ってあるんだなぁ』。
そして英語で記された『Where are you? Where am I ? Where is Mizuko?』。
“ Where is Mizuko? ” に胸がいっぱいになります。
Where am I ? には、三年前、腎がんで旅立った瞳さんのブログ記「おやすみの日」の一節を思いました。近所の子ども達がママさん達と遊ぶ光景を眺めながら心象風景を記したその最後に… 『私はいますか? どこにいますか? 笑っていますか?』。
デイサービスでゲームをしても ちっとも楽しそうには見えない長谷川さん
「デイサービス」は本人のためにも家族の負担を減らすためにも認知症対策としても大切だと、長谷川さんは唱えてきました。しかしデイサービスに行く長谷川さんの表情は冴えません。如何にもつまらなさそうで、やがて「もう行かない」と言い出しました。
そのことを問われた長谷川さんは、認知症の人にとって何がいいかを周りが勝手に決める前に『何がしたいのか? 何はしたくないのか? そこから出発してもらいたい』。
そして『家族の負担!っ言うけど、じゃあ僕が死んだら周りはホッとするのかな? 負担が減ったと喜ぶのかな?』。 実際、鬱の状態になり『死にたくなっちゃった。遺書を書くって言ったんだが、瑞子に ”かっこ悪いからやめなさい” って言われちゃった』と。
体調が良いときは まりさんと手をつないで散歩する長谷川さん
まりさん『お父さん、わたし幾つ?』。長谷川さん『35』。まりさん『35? わぁ~嬉しぃ!』。この時の長谷川さんはちゃんとわかって答えた『35』でした。
まりさんは『父は家族を愉しませることが大好きな人です。それはずっと変わらない。そう思える。そう思えるようになってきた』のだそうです。
長谷川さんは次第に体調のすぐれない日、夢か現実かわからないことが増えます。有料老人ホームへの入居を考え体験宿泊しますが、思ったことは 『我慢! 家に帰りたい!』ばかり。家に帰り、ごちゃごちゃした書斎で 『ここが一番落ち着くんだ』と。
医学の専門書300冊などが並ぶ書斎にて。窓には十字架も…。
かつて認知症医療を人生のテーマに据えた長谷川さんに、先輩が送った言葉は「君が痴呆(認知症)になったとき初めて君の研究は完成する」でした。なんともアイロニーに満ち心に刺さる、しかし核心を衝く言葉ではあります。
番組の制作者から「認知症とは何か?」と問われた長谷川さん。『余分なものがはぎとられちゃうんだよね、認知症になるとね。認知症って、良く出来てるよ。心配はあるけど、心配するその気づきがないからね。神様が用意してくれた一つの救いだ』。
そして認知症になって見える景色について問われると、『変わらない。普通だ。夕日が沈むとき、富士山が見えるとき、みんな普通だ。会う人も普通。変わらない』。
長谷川さんはベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」が好きで、奥様の瑞子さんの弾くピアノを瞑想しながら聴き入ります。そのシーンに私は父の最晩年を想い、長谷川さんと奥様の過酷であろうこれからに思いを巡らせました。それは記すべきではないと思いつつ敢えて記すのも、番組制作者とはまた異なる優しさだと自分を励まし記しました。
辻井伸行さんによるベートーヴェン「悲愴」… 悲愴!の言葉とは異なる優しみあふれる旋律です。
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
長谷川和夫さん(90)は、日本における認知症医療の草分けの医師であり、その第一人者の研究者として知られます。
認知症とは何か。どう見分けるのか。この研究に取組んだ半世紀前は「老化による痴呆」とされる時代でした。長谷川さんは「長谷川式」と呼ばれる早期診断指標を考案、「痴呆」という患者・家族が傷つく呼称を「認知症」と名づけた先覚者でもあります。
番組は、長谷川さん自ら認知症に罹ってからの一年を追うルポルタージュで、冒頭に長谷川さんの原点となった出来事が紹介されます。それは、彼が主治医をつとめた患者さん(50代でアルツハイマーを発症)が発症間もない頃、五線紙に記した言葉でした ...『僕にはメロディがない。和音がない。共鳴がない。帰ってきてくれ、僕の思いよ。全ての源よ。再び帰ってきてくれ。あの美しい心の高鳴りはもう永遠に戻らないのだろうか』。
この患者さんの奥様は『彼の苦しい心に寄り添ってあげられなかったのが一番の悔いです。私、わかってあげてなかったんです』と涙ぐまれました。そして長谷川さんは『患者さんご本人の心の中を見たのはこの時が初めてでした』と。
長谷川さんの病名は「嗜銀顆粒性認知症」。アルツハイマー型ほど急激な進行はなく、高齢になって発症し比較的ゆるやかに進行するタイプです。ゆるやか…とは言え傍目には急激で、以下 発症から1年にわたる長谷川さんの述懐と日記などから紹介します。
長谷川さんが主治医として診た認知症の患者さんが五線紙に記した悲痛な心の言葉。
『想像以上に恐怖心が募る。もうダメだとか、もうアカンとか、もう何も出来なくなるんだろうか、と。そしてどんどん独りになる』『いつも ”確認” していなきゃいけないような、そういう感じ。自分自身が壊れつつあることは別の感覚で仄かにわかる。日々失われていく ”確かさ”』『一所懸命、一所懸命やってきた結果、こうなった。年をとるということは容易なことではない』(長谷川さんの日記から)
そうした情況に逆らうように日々外出し、時にケガをする長谷川さんを支えるのは妻 瑞子さん。ご自身 腰痛による要介護の身でいらっしゃいますが、穏やかに語られます。
『とにかくあんまり厭な思い出を作らないようにしようと思っています。またいつかお空に行ってから ”あの時は” なんていうことになると困るから(笑)。(外出して) のんびりできて良かったね、ぐらいに言えるようにね』。
長谷川さんの日記には しばしば瑞子さんが登場します。
『僕の心や身体のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてのものだ。なんというのだろう、いつも瑞子と共にいる感じだ。幸せだと思う』『朝 起きて、俺は何処にいるのかなぁって自分自身の在り方がはっきりしない。瑞子が ”おはよう! 調子はどう? よく眠れた?” というその言葉にだんだん不安が薄れ ”確かさ” が戻ってくる』。
パジャマ姿でごあいさつする長谷川さんと奥様の瑞子さん
医師をリタイア後は奥様とまりさん(娘さん)にフォローされ講演をされています。認知症特有に話はしばしば脱線し、時には急にキリスト教の信仰について話し始めます。
まりさんが駆け寄り 『今日のテーマじゃないですよ』と言いますが、長谷川さんは 『僕の話にクチをはさまないでくれ』と怒ります。少しユーモラスで聴講されている方の優しい表情がうかがえます。実際はもっと脱線、混乱することが多いのでしょう。番組制作上の意図とは言え「認知症の第一人者が認知症になった」ことを象徴する場面でした。
講演会で話が脱線する長谷川さんをたしなめる付添いのまりさん(娘さん)
長谷川さんは認知症医療の第一人者ですが、現在は患者として主治医の診察を受けています。主治医に『この頃、物忘れが多く鍵をかけたかどうか何度も確認に引き返す』と訴えますが、まりさんは『父はもう長い間、自分で鍵をかけることはしていません』と。
長谷川さんは想像の世界で、認知症に罹った自分自身を見ているのかもしれません。
長谷川さんの主治医は 『威厳をつぶさないよう周りからサポートしてほしい。順調に歩まれた先生の人生の尊厳がつぶれるのを止めてあげたい』と。主治医に限らず家族は、そして何より本人が、それは最も望みつつ容易に叶わないことではありますが…。
取材から日がたつにつれ長谷川さんの口数は少なく、横になる場面も目立ち言葉にも力がなくなります。『今、こういうことを言ってもいいのか、言わないほうがいいのか、わからなくなってきた。人間の力の限界ってあるんだなぁ』。
そして英語で記された『Where are you? Where am I ? Where is Mizuko?』。
“ Where is Mizuko? ” に胸がいっぱいになります。
Where am I ? には、三年前、腎がんで旅立った瞳さんのブログ記「おやすみの日」の一節を思いました。近所の子ども達がママさん達と遊ぶ光景を眺めながら心象風景を記したその最後に… 『私はいますか? どこにいますか? 笑っていますか?』。
デイサービスでゲームをしても ちっとも楽しそうには見えない長谷川さん
「デイサービス」は本人のためにも家族の負担を減らすためにも認知症対策としても大切だと、長谷川さんは唱えてきました。しかしデイサービスに行く長谷川さんの表情は冴えません。如何にもつまらなさそうで、やがて「もう行かない」と言い出しました。
そのことを問われた長谷川さんは、認知症の人にとって何がいいかを周りが勝手に決める前に『何がしたいのか? 何はしたくないのか? そこから出発してもらいたい』。
そして『家族の負担!っ言うけど、じゃあ僕が死んだら周りはホッとするのかな? 負担が減ったと喜ぶのかな?』。 実際、鬱の状態になり『死にたくなっちゃった。遺書を書くって言ったんだが、瑞子に ”かっこ悪いからやめなさい” って言われちゃった』と。
体調が良いときは まりさんと手をつないで散歩する長谷川さん
まりさん『お父さん、わたし幾つ?』。長谷川さん『35』。まりさん『35? わぁ~嬉しぃ!』。この時の長谷川さんはちゃんとわかって答えた『35』でした。
まりさんは『父は家族を愉しませることが大好きな人です。それはずっと変わらない。そう思える。そう思えるようになってきた』のだそうです。
長谷川さんは次第に体調のすぐれない日、夢か現実かわからないことが増えます。有料老人ホームへの入居を考え体験宿泊しますが、思ったことは 『我慢! 家に帰りたい!』ばかり。家に帰り、ごちゃごちゃした書斎で 『ここが一番落ち着くんだ』と。
医学の専門書300冊などが並ぶ書斎にて。窓には十字架も…。
かつて認知症医療を人生のテーマに据えた長谷川さんに、先輩が送った言葉は「君が痴呆(認知症)になったとき初めて君の研究は完成する」でした。なんともアイロニーに満ち心に刺さる、しかし核心を衝く言葉ではあります。
番組の制作者から「認知症とは何か?」と問われた長谷川さん。『余分なものがはぎとられちゃうんだよね、認知症になるとね。認知症って、良く出来てるよ。心配はあるけど、心配するその気づきがないからね。神様が用意してくれた一つの救いだ』。
そして認知症になって見える景色について問われると、『変わらない。普通だ。夕日が沈むとき、富士山が見えるとき、みんな普通だ。会う人も普通。変わらない』。
長谷川さんはベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」が好きで、奥様の瑞子さんの弾くピアノを瞑想しながら聴き入ります。そのシーンに私は父の最晩年を想い、長谷川さんと奥様の過酷であろうこれからに思いを巡らせました。それは記すべきではないと思いつつ敢えて記すのも、番組制作者とはまた異なる優しさだと自分を励まし記しました。
辻井伸行さんによるベートーヴェン「悲愴」… 悲愴!の言葉とは異なる優しみあふれる旋律です。
【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
ある程度防ぐ方法が言われていても、結局は認知症になるかならないかは選べないから、そういうこともあるんでしょうね。
こればかりは、他の病気のように、自分を自分で研究出来ないから、何が良いか理解出来るのは難しいですよね。
私の母は亡くなる2か月前位からちょっと認知症のようになりましたが、病院の看護師さんや先生や患者さんが大好きで楽しそうで、みんなが良い人に見えちゃって楽しそうでした。
だから、本当に死の恐怖から守ってくれた神様からのプレゼントって本当に感じ、私から見ても羨ましい位でした。
短かったのは大きかったですが・・・
これもどういうタイプになるかも選べないですよね(;^_^A
自分や家内の明日のような気もしましたね。
ピアノを弾かれる奥様や、ずっとサポートし続ける娘さんには感動すら覚えました。
そして、人の心理として他人には見せたくなかろう、プライベートの姿をよく撮らせたなーとも感じました。
私の父は80歳で、布団から起きて母の前でう~んと仰向けになって逝ったと聞きますがが、それまで普通の生活をしていて、病も痛みもなく、正にピンピンコロリだったようですが、私もそうありたいと、今でも思っているのでこの映像には少々ショックでした。
でも、ご本人とご家族のこのようなビデオを見せていただいたことには感謝せざるを得ませんね。
Anneさん
コメントありがとうございました
> ネットでも「認知症の第一人者が認知症になった」のタイトルはかなり多く見かけました!
認知症にも アルツハイマーはじめかなり明確に診断できるものもあれば
物的証拠はないけど 状況証拠を積上げ 認知症と診断される症例もあります。
医学の進歩で様々なことが判ってきていますが、
がんと認知症は「わかっていないこと」が圧倒的に多く、残念ながら治療法は限られますね。
> ある程度防ぐ方法が言われていても...認知症になるかならないかは選べないから...
『病気になる場合、次のどれになさいますか?』なんて...
予防も「確率」の問題ですから、罹る病気は選べません。
> 自分を自分で研究出来ないから、何が良いか理解出来るのは難しいですよね。
それでも「病人」は 病気の原因、メカニズムに迫る宝!ですから、
個人情報の保護をクリアーしつつ様々なデータの蓄積によって解明に迫ってほしいところです。
> 私の母は亡くなる2か月前位からちょっと認知症のようになりましたが、
> 病院の看護師さんや先生や患者さんが大好きで楽しそうでした。
> 死の恐怖から守ってくれた神様からのプレゼント...私から見ても羨ましい位でした。
総ての病気、裏を返せば 総ての「生」は、究極 人知を超えるところに...。
命に終わりがくることは、誰にとっても明日は我が身。
その明日は 誰もが幸せな最期でありたいですね。
ともあれ そんなことはまるきり考えないのが 健康!
そんなことをつい!思うのは 老化! ってことかなぁ(笑)
この言葉に 衝撃を受けました!
TV見ていません。 再々放送がきっとあるはず
お気づきの時はお知らせ下さいませ。
ユニセフ募金のための押し花小物つくりに
忙しくしていて・・ブログの更新もままなりません。 お元気で!
小父さん
お訪ね&コメント ありがとうございました
小父さんさん!と記すべきかもしれませんが...さん!は一つに(笑)
> 私もこの番組、食い入るように拝見しました
> 自分や家内の明日のような気もしましたね
私は 父がアルツハイマーでしたから、こうした番組は避けたいのがほんとうの気持ちでした。
でもこのたびはなぜか...。
認知症の中でも「嗜銀顆粒性」という或る程度ゆるやかなタイプに惹かれたのかもしれません。
> ピアノを弾かれる奥様や、ずっとサポートし続ける娘さんには感動すら覚えました。
私は、父に十分なことをできませんでした。
姉もそうですが、母との確執が少しあり、父には申し訳なさが残りつづけています。
ですから、奥様やお嬢様には感動を超える重みを感じながら視ました。
> 他人には見せたくなかろう、プライベートの姿をよく撮らせたなーとも感じました。
番組制作者の意図と思い遣りを随所に感じました。
その思い遣りは、もしかしたら綺麗事に見せるかもしれないなぁと思いつつ...。
でもリアリズムとは、あからさまな単なる「写し」ではありますまい。
何のために どんな意図をもって 事の本質に迫るか! にあると思います。
> 私の父は80歳で、布団から起きて母の前でう~んと仰向けになって逝ったと...
> 病も痛みもなく、正にピンピンコロリだったようです
> 私もそうありたいと、今でも思っているのでこの映像には少々ショックでした。
私も小父さんのお父様のようでありたいと思います。
その一方、心の何処かに「自らの命の終わりをみつめたい、確かめたい」思いもあります。
我ながらゼイタクなことです(笑)
> ご本人とご家族のこのようなビデオを見せていただいたことには感謝...
奥様の自然な笑顔、所作がとりわけ印象的でした。
「周りの者」が、実は周りではなく当事者と一体の者 である姿に深く心をうたれました。
早速にお訪ねくださってありがとうございました。
またお時間がおありのとき お気軽にお訪ねくだされば幸いに存じます
遠音さん
ご多用のところコメントくださりありがとうございました
> 長谷川さんに先輩が送った言葉は
> 「君が痴呆(認知症)になったとき初めて君の研究は完成する」
> この言葉に 衝撃を受けました!
衝撃の言葉 深い言葉 心うたれる言葉が随所に...。
長谷川さんの患者さんだった方が五線紙に記された言葉も 奥様の言葉も お嬢様の言葉も
そして長谷川さんがふと洩らされた言葉
『家族の負担!っ言うけど、じゃあ僕が死んだら周りはホッとするのかな?
負担が減ったと喜ぶのかな?』も衝撃でした。
> TV見ていません。再々放送がきっとあるはず。お気づきの時はお知らせ下さいませ。
気づきましたら必ずご連絡差し上げます。
> ユニセフ募金のための押し花小物つくりに
忙しくしていて・・
> ブログの更新もままなりません。 お元気で!
私と異なり よく更新していらっしゃいます。
遠音さんがつづけていらっしゃるユニセフの活動に心より敬意を表します。
私もささやかなことをつづけていますが、羞かしくて記せることではありまセーヌ河です(笑)
ではでは したっけねぇ~
さすがデ某さん、しっかりポイントを押さえて、
番組を見ていない人にも伝わるレポになっていて、すごいです(^-^)
認知症になったらどうなるのか、
家族はどう関わればいいのか、デイサービスのありかたは・・・
どれもすぐに答えの出るものではなく、ずっと考え続けられている問題ですが、
病気の当事者、それも専門家の当事者が、我が身を晒して発信されたことが貴重です。
長谷川氏は現役のころは家庭を顧みず、家事子育てすべて奥様任せだったと。
そんな氏が、今は子どもが母親を慕うように奥様に頼っている・・・
「夫のオムツを変えるたびにお尻をつねってるの。昔の仕返しよ」
という奥様を施設で見たことがあります。
氏は、「ありがとう」と素直に言っておられて
奥様もそれで救われていると思います。
どうか氏より長生きされますように、と思わず思いました。
pukarikoさん
コメントありがとうございました
お蔭様で 深夜の再放送を録画し ゆっくり視ることが出来ました
> 番組を見ていない人にも伝わるレポになっていて...
直に視ていただくに越したことはありませんが、
視られなかった方と幾らかなり共有したい思いで綴りました。
> 認知症になったらどうなるのか、家族はどう関わればいいのか、デイサービスのありかたは・・・
「どうなるのか」その現れ方は... がんなど他の病気もそうですが、千差万別!ですね。
私は 父の晩年を思い浮かべ また(確率的?にも)我が身の明日を思いつつ 視ました。
少子高齢化と医療の問題も含め 更に深刻な大問題となる要素を孕んでいます。
> 病気の当事者、それも専門家の当事者が、我が身を晒して発信されたことが貴重です。
はい。前に がん医療に従事された医師が がんで亡くなられるまでのルポもありましたね。
特異な例ではなく 実はありふれた例ですが、取り上げるにふさわしい大切な視点だと思います。
> 長谷川氏は現役のころは家庭を顧みず、家事子育てすべて奥様任せだったと。
> そんな氏が、今は子どもが母親を慕うように奥様に頼っている・・・
そうでしたね。
氏の『僕が死んだら周りはホッとするのかな? 負担が減ったと喜ぶのかな?』は心を衝きました。
でも実際は、もしそうなれば、周りにいた者には
氏のいなくなった世界がどんなに虚ろであるか...
改めて知るところとなりましょう。
> 「夫のオムツを変えるたびにお尻をつねってるの。昔の仕返しよ」
> という奥様を施設で見たことがあります。
その夫さんに同情します...私の妻がしばしばそう言いますから(笑)
そのまた逆になれば、私は妻のお尻を撫でてやりますけどねぇ
> 氏は、「ありがとう」と素直に言っておられて 奥様もそれで救われていると思います。
> どうか氏より長生きされますように、と思わず思いました。
奥様には お嬢様の存在が大きいと思います。
この番組を視て わが夫婦に娘がいないことを...妻のために本当に残念に思いました
思わず...私が長生きしなければ!と思ってしまいました
奥様が弾かれる「悲愴」に、うっとりと聞き入っておられましたね。
終わったのが残念そうで、いつまでも聞いていたそうでした。
人の助けが必要になり、自分の描いたとおりには生きられなくなるのは、
長生きには避けようのない現実だと思います。程度の差はあるのですが・・。
どんなふうに老いても笑顔があれば、それは本人も家族にとっても、
大きな救いだと思います。
家具のない部屋で、施設は嫌だと言われるのは身につまされました。
其処は酸素が無い部屋のように見えました。
だんだん衰えて行く中で、最後まで生き生きと生かしてあげるには、
取り繕いのない自由を出来る限り守ってあげることだと思いますが・・、
家族には大変なことですね。
本当に老いは私自身のことです。
ムベさん
コメントありがとうございました
> とても味わい深く見させていただいた番組でした。
はい。様々に感じ 思い 考えることの多い番組でした。
実は 視るかどうか迷うところもありましたが、
pukarikoさん、ムベさんがブログに記していらっしゃることにも触発され...再放送を視ました。
> 奥様が弾かれる「悲愴」に、うっとりと聞き入っておられましたね。
> 終わったのが残念そうで、いつまでも聞いていたそうでした。
長谷川さんには どんな名ピアニストより 奥様の弾く「悲愴」が一番!なのでしょうね。
それぞれの脳裏、心の中に それぞれにとって珠玉の名曲アルバムがあります。
> 人の助けが必要になり、自分の描いたとおりには生きられなくなる
> 長生きには避けようのない現実だと思います。
思い通りになる人生は誰にも難しいことではあります。
それでも せめて一つだけでも 自ら思い描く晩年! となれば...最晩年の居場所かもしれません。
> どんなふうに老いても笑顔があれば、それは本人も家族にとっても 大きな救いだと思います。
仰るとおりだと思います。
認知症になってからの私の父の笑顔には本当に癒されましたから...。
ただ 最晩年の父は 表情を喪くし 痛みとか不快感のみ訴えるようになりました。
最期...電話を受け駆け着けたときは既に呼吸停止にあり
「おとうちゃん、やっと楽になれたね。おつかれやったね」と思いました。
> 家具のない部屋で、施設は嫌だと言われるのは身につまされました。
> 其処は酸素が無い部屋のように見えました。
「酸素が無い部屋」ですか...。
そういえば 書斎に戻られた長谷川さんの身体、血液に酸素が巡るように見えました。
> だんだん衰えて行く中で、最後まで生き生きと生かしてあげるには、
> 取り繕いのない自由を出来る限り守ってあげることだと思いますが・・、
> 家族には大変なことですね。
施設(グループホーム)とは「最期の看取り」についてしばしば確認、再確認をしました。
医師からも しばしばそれを求められました。
そのたびに「人として望みがたい延命措置は家族としては望みません」と申し上げました。
ただ、医師からは時に「では亡くなられてもいいのですね」と強い口調で言われ
つい!「できるだけ長く...」と言ってしまうこともありました。
難しいです。終わった今でもなお難しいです。
> 本当に老いは私自身のことです。
誰にとっても老いは「自分自身のこと」とはいえ
それを頭の中で!ではなく 目前の現実として考え思うには
それにふさわしい或る年齢が必要なようです。
そして私自身も既にその年齢を迎えつつあります。
ブログのコメント欄、再開されたのですね。
またそちらでもやりとりできることを楽しみにしています