既に古希を過ぎた私。父が今の私の歳であった時、そこから28を引いた歳の私を振返ります。その歳から更に27を引いた歳の息子を思います。父との歳の対比、同様に息子との歳の対比…。格別に意味のあることではありませんが、そのように来し方に思いを巡らせます。

今年は 遠藤周作没後25年。未発表原稿の発見についてETV特集「封印された遺稿」(10/9) を視ました。遠藤周作が亡くなったのは73歳の時、現在の私とほぼ同じ歳です。生きていれば98歳の遠藤、そして生きていれば100歳の私の父。様々な感慨をもって番組を視ました。

遠藤周作の未発表の遺作が発見されたのは昨年6月。没後、長崎の遠藤周作文学館に寄贈された遺品の中に2枚の自筆原稿と104枚の清書原稿があり、資料整理をしていた若い学芸員が「これは見たことがない、読んだこともない」と気づき、大きなニュースになりました。

遠藤自筆の原稿は「燭影」(当初の表題?)が消され「影に對して」と上書されています。
清書までされた小説がなぜ封印されたのか…。 遠藤周作自身と思われる小説の主人公「勝呂」は、父親との烈しい葛藤と母親への深い敬愛の狭間で苦悩します。殆ど事実を下敷きとした典型的な私小説であり、余りにリアルな描写が "封印" に繋がったと推測されています。

少年時代の遠藤周作と父 常久 … 遠藤の硬い表情に父への心情が窺えます。
「勝呂」の父は "平凡が一番" という安定志向の人物で『いかにもみみっちく自分の生活に満足しきっている老人』と描写されます。それに対して ヴァイオリンに人生を懸ける母は『五本の指が機械のように働きつづけ 弦の端から端を絶え間なく這いまわる』と描写されます。

ヴァイオリンをもつ母 郁子の遺影 … 郁子の死顔は正視に耐えないほど苦痛に満ちていた由。
小説「影に對して」の "影" とは 遠藤周作にとって 父の影であり母の影に他なりません。父と母の間には諍いが絶えず『父のきつい声や母の泣声がきこえる。その声を聴かぬために耳に指を入れ布団に中でじっとしていた自分の姿が痛いほど甦ってくる』と描かれています。

「影に對して」に描かれる "アスハルトの道" は 安定した日常を望む父 常久を象徴しています。
両親は遠藤周作が10歳の時に離婚、遠藤は兄とともに父の許で暮らします。離婚後、父親がすぐ再婚したのに対して母は孤独の裡にこの世を去り、小説では『母は貧しいアパートで誰からも看取られず死んでいった』と。遠藤周作自身の悲しみ、口惜しさが伝わってきます。

"砂浜の道" には母 郁子の「高みをめざし生きた足跡を残す」人生の意が込められます。
作品が "封印" された背景を考えると、遺族としても "封印" し続ける選択肢はあったと思います。しかし遠藤周作のご子息※は『父のために眠らせることも考えた。しかし作家というものは書いたものは世に出したいのではないか、と考え出版を決めた』と語っています。
※ 遠藤龍之介氏 … この名に父 遠藤周作の「思いの丈」を思いました。
遠藤周作は学業は奮わず劣等感に苛まれていましたが、母は『あなたは文章が上手だから小説家になったらいい』と。32歳のとき「白い人」で芥川賞を受賞しますが、その2年前に母が亡くなったことが受賞へのインセンティブに働いたのかもしれない、と私は思いました。

踏み絵に足をのせる司祭ロドリゴ…映画「沈黙 サイレンス」より。
受賞作「白い人」には ナチスに協力し拷問をさえ愉しむ人物が描かれました。代表作「沈黙」では幕府が信者を拷問し棄教に導く光景が生々しく描かれ、主人公の司祭ロドリゴも棄教し背教者※として命を繋ぎます。「人間の弱さ」は 遠藤周作の生涯のテーマと思われます。
※ 司祭ロドリゴの "背教" に至る描写には様々な解釈とともに作品への批判もあります。
ご子息の龍之介氏は、父 遠藤周作に誘われ最晩年の祖父 常久を見舞いに訪れます。父を憎みつづけた遠藤周作でしたが、その帰りに龍之介氏を蕎麦屋に誘い、そこで『もういいんじゃないかな』とポツリ!もらした由。その赦しの数年後、遠藤周作は73年の生涯を閉じます。

私はキリスト教に無縁の少年時代を送り、やがて京都に来て そこかしこにキリスト教会があることに驚きました。そして或る日 「日曜礼拝」 の看板が出された教会に入りました。その時の牧師さんの"説教" は今も鮮明に憶えていますが、洗礼を受けるには至りませんでした。
二十代半ば、書店で遠藤周作「イエスの生涯」を目にし 即購入しました。イエスとはどのような人物でどのような生涯を送り、弟子達はどのようにイエスを受け容れ従ったのか。恰も “評伝” のように記された書を夢中に読み かつての牧師さんの説教より遥かに得心しました。
キリスト教を迫害するならず者であったパウロが どう回心し信仰を深めて行ったのか。イエスの “復活” を目にしたパウロの生々しい驚きは、遠藤周作自身の生々しい驚きでもあったと思います。それから四十数年たった今も私の心の中をざわざわと…キリスト教が騒ぎます。
数年前、京都コンサートホールで「メサイア」公演があった際、早目に出かけ かつて下宿したあたりを歩きました。歩きながら、日曜礼拝に訪れた教会が昔のまま其処にあることに少し心が震えました。その夜のメサイア公演は いつになくこころ湧き立つものがありました。

初めて日曜礼拝に訪れた京都下鴨のA教会…でも昔はこんな無骨な電線はありませんでした。
白鳥英美子さんの澄明なアカペラで "Amazing Grace" を!
【 NHK-ETV「こころの時代~宗教・人生~」】遠藤周作没後25年 遺作「深い河」を辿る
<前篇>11/6(土) 13:00~14:00 <後篇>11/7(日) 5:00~6:00
【補遺】… 2022.11.6 記
昨年の今の時期に書いたブログ… 我ながら なかなかの労作ではあります。
昨年も この時期 腰痛に悩まされましたが、今!ほどではなかったです。
今、動くたびに唸り 時に悲鳴?をあげています。辛いで~す。
今日のお昼~6時間の訪問者はゼロ。去る者 日々に疎しなり。

【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
名残の季節 https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ce82e1c580f64c8ab8d43e2c674a481d

今年は 遠藤周作没後25年。未発表原稿の発見についてETV特集「封印された遺稿」(10/9) を視ました。遠藤周作が亡くなったのは73歳の時、現在の私とほぼ同じ歳です。生きていれば98歳の遠藤、そして生きていれば100歳の私の父。様々な感慨をもって番組を視ました。

遠藤周作の未発表の遺作が発見されたのは昨年6月。没後、長崎の遠藤周作文学館に寄贈された遺品の中に2枚の自筆原稿と104枚の清書原稿があり、資料整理をしていた若い学芸員が「これは見たことがない、読んだこともない」と気づき、大きなニュースになりました。

遠藤自筆の原稿は「燭影」(当初の表題?)が消され「影に對して」と上書されています。
清書までされた小説がなぜ封印されたのか…。 遠藤周作自身と思われる小説の主人公「勝呂」は、父親との烈しい葛藤と母親への深い敬愛の狭間で苦悩します。殆ど事実を下敷きとした典型的な私小説であり、余りにリアルな描写が "封印" に繋がったと推測されています。

少年時代の遠藤周作と父 常久 … 遠藤の硬い表情に父への心情が窺えます。
「勝呂」の父は "平凡が一番" という安定志向の人物で『いかにもみみっちく自分の生活に満足しきっている老人』と描写されます。それに対して ヴァイオリンに人生を懸ける母は『五本の指が機械のように働きつづけ 弦の端から端を絶え間なく這いまわる』と描写されます。

ヴァイオリンをもつ母 郁子の遺影 … 郁子の死顔は正視に耐えないほど苦痛に満ちていた由。
小説「影に對して」の "影" とは 遠藤周作にとって 父の影であり母の影に他なりません。父と母の間には諍いが絶えず『父のきつい声や母の泣声がきこえる。その声を聴かぬために耳に指を入れ布団に中でじっとしていた自分の姿が痛いほど甦ってくる』と描かれています。

「影に對して」に描かれる "アスハルトの道" は 安定した日常を望む父 常久を象徴しています。
両親は遠藤周作が10歳の時に離婚、遠藤は兄とともに父の許で暮らします。離婚後、父親がすぐ再婚したのに対して母は孤独の裡にこの世を去り、小説では『母は貧しいアパートで誰からも看取られず死んでいった』と。遠藤周作自身の悲しみ、口惜しさが伝わってきます。

"砂浜の道" には母 郁子の「高みをめざし生きた足跡を残す」人生の意が込められます。
作品が "封印" された背景を考えると、遺族としても "封印" し続ける選択肢はあったと思います。しかし遠藤周作のご子息※は『父のために眠らせることも考えた。しかし作家というものは書いたものは世に出したいのではないか、と考え出版を決めた』と語っています。
※ 遠藤龍之介氏 … この名に父 遠藤周作の「思いの丈」を思いました。
遠藤周作は学業は奮わず劣等感に苛まれていましたが、母は『あなたは文章が上手だから小説家になったらいい』と。32歳のとき「白い人」で芥川賞を受賞しますが、その2年前に母が亡くなったことが受賞へのインセンティブに働いたのかもしれない、と私は思いました。

踏み絵に足をのせる司祭ロドリゴ…映画「沈黙 サイレンス」より。
受賞作「白い人」には ナチスに協力し拷問をさえ愉しむ人物が描かれました。代表作「沈黙」では幕府が信者を拷問し棄教に導く光景が生々しく描かれ、主人公の司祭ロドリゴも棄教し背教者※として命を繋ぎます。「人間の弱さ」は 遠藤周作の生涯のテーマと思われます。
※ 司祭ロドリゴの "背教" に至る描写には様々な解釈とともに作品への批判もあります。
ご子息の龍之介氏は、父 遠藤周作に誘われ最晩年の祖父 常久を見舞いに訪れます。父を憎みつづけた遠藤周作でしたが、その帰りに龍之介氏を蕎麦屋に誘い、そこで『もういいんじゃないかな』とポツリ!もらした由。その赦しの数年後、遠藤周作は73年の生涯を閉じます。

私はキリスト教に無縁の少年時代を送り、やがて京都に来て そこかしこにキリスト教会があることに驚きました。そして或る日 「日曜礼拝」 の看板が出された教会に入りました。その時の牧師さんの"説教" は今も鮮明に憶えていますが、洗礼を受けるには至りませんでした。
二十代半ば、書店で遠藤周作「イエスの生涯」を目にし 即購入しました。イエスとはどのような人物でどのような生涯を送り、弟子達はどのようにイエスを受け容れ従ったのか。恰も “評伝” のように記された書を夢中に読み かつての牧師さんの説教より遥かに得心しました。
キリスト教を迫害するならず者であったパウロが どう回心し信仰を深めて行ったのか。イエスの “復活” を目にしたパウロの生々しい驚きは、遠藤周作自身の生々しい驚きでもあったと思います。それから四十数年たった今も私の心の中をざわざわと…キリスト教が騒ぎます。
数年前、京都コンサートホールで「メサイア」公演があった際、早目に出かけ かつて下宿したあたりを歩きました。歩きながら、日曜礼拝に訪れた教会が昔のまま其処にあることに少し心が震えました。その夜のメサイア公演は いつになくこころ湧き立つものがありました。

初めて日曜礼拝に訪れた京都下鴨のA教会…でも昔はこんな無骨な電線はありませんでした。


<前篇>11/6(土) 13:00~14:00 <後篇>11/7(日) 5:00~6:00
【補遺】… 2022.11.6 記
昨年の今の時期に書いたブログ… 我ながら なかなかの労作ではあります。
昨年も この時期 腰痛に悩まされましたが、今!ほどではなかったです。
今、動くたびに唸り 時に悲鳴?をあげています。辛いで~す。
今日のお昼~6時間の訪問者はゼロ。去る者 日々に疎しなり。


【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
名残の季節 https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ce82e1c580f64c8ab8d43e2c674a481d
まだまだ早い死です。
遠藤周作は、高校生の頃電車通学の友でした。
電車は二駅でしたが、ホームのベンチで電車を待っている間に、狐狸庵先生のエッセーを楽しみました。
未発表の原稿があったんですね。
父親と母親との関係は、人がそれぞれ違うように、家庭ごとに違うのでしょうね。
母との確執は、母が天国に召されたことで終わりましたが、己の我の強さは母譲りなのだろうと最近思います。
アカペラの歌声で癒されます。ありがとうございます。
遠藤周作さんのこのETV特集「封印された遺稿」
録画もして視ましたよ 製本されず世に出されず
周作さんの深い昔の心像でしたね
この特集をデ某さんキッチリまとめられてブログアップ有難うございました
私の心に刺さったのは
お父様とお別れになった お母様がたった一人孤独に貧しいアパートで看取られず亡くなられたこと
駆けつけた周作さんの母の孤独をみたときに 脳裏に
お父様 それに再婚相手の女性との生活の何事もなかったような暮らしぶり
作家である周作さんの なんとも言われぬ怒り父親への軽蔑もあったのではないでしょうか
男とはこんな生きものであろうかと徒然は思いました
このような題材をデ某さんだからアップできたのでしょう
この放送を見てストーリーへの想いは深かったのですが
徒然のブログへはアップできる能力はありませんでした
デ某さん有難うございました
ご子息の龍之介氏の「もういいんではないかの」感慨も優しさですね
デ某さん 失礼します
山崎豊子さん「〇〇地帯」のような拙ブログに早速のコメ ありがとうございます
> 遠藤周作 ... 73歳の旅立ち。
肺結核で肋骨を何本も失う手術を経て二年半に及ぶ入院生活...
遠藤さんご自身は「よく生きた」と思われたかもしれませんね。
私が 今!旅立つとすれば「まぁまぁ生きた哉」でしょうか?
> 狐狸庵先生のエッセー。
私もよく読み ... よく読んだ分 遠藤さんの小説世界にやや引き!ました。
実生活では殆ど笑うことがなく
出版社の編集室に遠藤さんが来られるとピリピリした雰囲気が漂ったそうです。
やはり本拠は小説世界、エッセーは別世界だったと思います。
白鳥英美子さんのアカペラ ... 聴きほれますね。
関係ありませんが 「白鳥」について
今日の朝日「天声人語」に 若山牧水の歌の背景が記されていました。
牧水『白鳥は哀しからずや 海の青そらのあをにも染まず ただよふ』。
なんと...この「白鳥」とは、
牧水が恋焦がれた年上の人妻「小枝子」という女性を「白鳥」に喩えた、と。
脱線し始めると際限なくなりますので この辺で...
コメント ありがとうございました
> 録画もして視ましたよ
番組を(しかも録画して)視られた方が此処にいらっしゃったこと...
それもまた "巡り遭い" "邂逅" というべきかもしれません。
それだけで とても嬉しく思いました。
> 製本されず世に出されず...
> この特集をデ某さんキッチリまとめられてブログアップ...
以前でしたら「新聞・TV・読書...」のカテゴリーとするところですが、
総て「名残の時間」のカテゴリーにしています。
心に深く触れたことを私なりに残して終わりたいと...。
> 私の心に刺さったのは
> お母様がたった一人孤独に貧しいアパートで看取られず亡くなられたこと
第三者の目にも酷いと映るほどの死に顔であったこと...
遠藤周作の衝撃の深さ 慟哭を想いました。
> 周作さんの なんとも言われぬ怒り 父親への軽蔑もあったのではないでしょうか
子として 人として ...
せめて喪に服し こころ静める時間があって然るべし と思われたにちがいありますまい。
> ご子息の龍之介氏の「もういいんではないかの」感慨も優しさですね
時は人のこころを 斯くも見事なほど自然に溶かし癒してくれるものなのですね。
私は 父に対していつも敬愛の念を抱いていましたから
遠藤周作のこころの深部を読みとることは至難かもしれません。
しかし憎悪も敬愛も 血の繋がる肉親にあっては表裏一体のようにも思いました。
なお、明6日と明後7日に 遠藤周作「深い河」を辿る番組が放送されます(再放送)。
拙ブログ本文に追記しましたので ご参考までに。
また 5年前に放送された 「遠藤周作没後20年」のドキュメントについて
拙ブログ 2016.10.15 に紹介しています。
お時間がおありでしたらご一読いただければ幸いに存じます。
https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/61f3317d950f3de0e22dbcf3119b2a46
早速、予約したのですが、
6日(土)13;00~14:00
7日(日)5:00~6:00
でした。ちょっと違っていました。ふふふ・・
遠藤周作さんのお母様と同じ名ってこと初めて知って、なんだかちょっと嬉しいです。
たとえ、苦痛の中で亡くなられたとしても、彼女は本当に命を燃やして生きてこられたのでしょうね。私は死の間際がすべてではないと思っています。
ただ、それを見られた遠藤周作さんの心が痛むことは良くわかります。
後に残る者のために穏やかな死を望みますが・・。
「高みをめざし生きた足跡を残す」そのものだったのですね。
良いお母様であられたことは、息子の才能を見抜いて将来を示されたことでわかります。
京都の教会・・、同じではないですが懐かしく思いました。
最近は昔のことをよく思い出して、今日もクリスチャンの祖父が祈っていたいた姿などを思い出していたばかりです。
祖父も母もクリスチャンでしたが、彼らは私を残して早くに天国に行き、私に生きる助けを残してはくれなかったのですが、ふっと祖父の祈りの姿を思い出して、イエスさまに私を託す祈りをしてくれていたのだと気付きました。
だから今日と言う日があるのだと・・、この歳になって感謝しました。ふふ・・
孫たちにも何も遺せない私ですが、祈りによってイエスさまに託してあることで、十分なのだとも知りました。イエスさまは真実なお方なので、必ず守ってくださることを経験していますから・・。
「沈黙」は信仰の初めごろに読んだ懐かしい本です。
創作ゆえに、遠藤さんの信仰に拠る神さまが語られているので、疑問を感じる部分があります。
私の経験による神さまは、饒舌で打てば響くように応えてくださり、ユーモアがあって、時には、辛辣でグサッと心を射貫くみことばも示されます。
血の通った生ける神であり、そのようなお交わりによって生きている私は、遠藤周作さんの信仰を「沈黙」に見て残念に思うのです。
ああ、なんだか自分のことばかりしゃべり過ぎました。お許しください。
澄んだ歌声のアメージンググレース、心に沁みます。ありがとうございます。
コメントありがとうございました
そして ETV放送時間の間違いのご指摘に感謝いたします。早速!訂正しました
> 遠藤周作さんのお母様と同じ名 ... なんだかちょっと嬉しいです。
ほんとうですね。それも ご縁だと思います。
> 彼女は本当に命を燃やして生きてこられたのでしょうね。
> 私は死の間際がすべてではないと思っています。
命と死は "不連続線" or "弁証法的" と言いますか ... 間断なく間際!が続く世界に思います。
それを実感できるのは 誰にとっても唯一! 間際のその時!ではありますが...。
母の死に臨んだ遠藤周作の 心身の痛みが癒されるのは
父親に対する "赦し" のみであったと思います。
その時!のために半世紀余の時間が必要だったのだと思います。
"穏やかな死" とはなにか ... そのことに現実に向き合う年齢になりました。
> 「高みをめざし生きた足跡を残す」そのものだったのですね。
> 良いお母様であられたことは、息子の才能を見抜いて将来を示されたことでわかります。
息子(娘)の才覚を読むこともまた親の才覚の一つ。
才覚のある方はその才覚により子の進む方向を指し示し
才覚のない者は ただ一つ!愛情の深さと自らの生き様を以て指し示せば...と。
> 京都の教会・・、同じではないですが懐かしく思いました。
京都には 私にとって三つのプロテスタント教会と 一つのカソリック教会があります。
其々 青春と人生の一時期に大きな関わりがありました。
その其々が "ご縁" or "お導き" と言うべきかもしれません。
> 最近は昔のことをよく思い出して...
"来し方" は "行く末" より遥かに長く鮮明で確かなもの!ですからね。
私も 先を考えるエネルギーがなくなり 過ぎにし日々を愛しく思うばかりです(笑)
> 祖父も母もクリスチャンでした
> ふっと祖父の祈りの姿を思い出し...イエスさまに私を託す祈りをしてくれていたのだと...
連綿とつづいているのは "血" であるととも "祈り" なのだと... 私もそう思いました。
> 孫たちにも何も遺せない私ですが、
> 祈りによってイエスさまに託してあることで、十分なのだとも知りました。
信仰心の心許ない私は 私の祈りの形として
せめて幾らかなり平和な世の中を残すために微力を尽くしたいと思っています。
> 「沈黙」は信仰の初めごろに読んだ懐かしい本です。
> 遠藤さんの信仰に拠る神さまが語られているので、疑問を感じる部分があります。
遠藤周作にノーベル文学賞が贈られなかった背景に重なるところではあります。
教義も信仰も まして文芸の世界にあっては 世界の総てが題材であり主題となりましょう。
> 私の経験による神さまは...
とても饒舌にユーモアを以てコメントいただき ありがとうございました(笑)
> ああ、なんだか自分のことばかりしゃべり過ぎました。お許しください。
今日は 夕刻から かつての同僚四人と久しぶりに気を許し 会食を大いに愉しみました。
其々に過ぎにしことと現在を語り聴き心を満たしました。
同様に ムベさんが記され そして私が記したことも...
其々に交じりあい響きあい心が満たされる夜になったと 私は思うのです。
> 澄んだ歌声のアメージンググレース、心に沁みます。ありがとうございます。
まるで "天の声" のような澄明な白鳥英美子さんのうたごえ...
聴いていただき こちらこそ嬉しく感謝申し上げます
しっかり 前編 後編間違いなく録画しましたので
OKです (*'▽')
だから沈黙の神ではないのです。
「神は愛の働く塊」は、「神は愛です」という聖書そのままです。
「人は存在」その通りだと思いました。
神には、イエスを与えるほどに愛する「存在」であり、
人には、皆比べ得ない「存在」。
大切なことに気付かされました。
「オニオンスープがおいしい。」
私は、そのことを伝えたくてブログを続けていたのだと・・。
私も「信仰」というよりは「信頼」と言う方がピッタリします。
だから宗教とも違うのです。
ただ、おいしいオニオンスープに酔っているみたいなものです。
ただ、単細胞の私には、なぜガンジス川などを徘徊(失礼)する
必要があるのか・・それが理解できませんでした。
でも、2回ももちろん見ます。
そうして、グダグダ言って楽しみます。
教えてくださってありがとうございました。
早速に反応!してくださり ありがとうございます
後篇は明朝 ... それも朝食前!の放送ですね。
私は数日「寝かせて」から 前後篇併せて視るつもりです。
徒然さんも ごゆっくり…どうぞ(笑)です。
朝食は(ブログも)コメは苦手! 手軽にパン食! って方が増えましたね。
コメ派としては淋しいですが、それも "時の流れ" でしょうか。。。
早速!もう前篇をご覧になったのですね。速攻!のコメント ありがとうございます
私は 明朝の後篇の録画が終わってから ... ゆっくり じっくり 視たいと存じます。
私 実は「深い河」は 不遜ながら...
遠藤周作としては "不出来の作品" に思っています。
ですから 逆に この番組に期待するところもございます。
ムベさんのコメントへの返信は また前後篇を視てから!と思っています。