
Painted by QP
つい一週間ほど前、学生時代からお付き合いのある音楽(作曲)家から電話をいただきました。平安時代の宮廷を背景とした室内オペラを書きあげたが上演する機会がない、などという話でした。その長い電話の最後に「ところで〇〇〇は元気にしているか?」。
〇〇〇とは私の先輩であり、前記音楽家とはとりわけ親しくされていました。しかしここ数年は音信もなく気になっていたようです。〇〇〇先輩には或るOB会でそれなりにお目にかかっていますが、そう言えばOB会も含めて暫くご無沙汰しているなぁ…。

〇〇〇先輩の活躍の舞台に程近い中国道「勝央」SAにて
そして一昨日、〇〇〇先輩(74歳)の訃報に接し一週間ほど前の電話を思いました。6月には勤務先で同期だった友人が旅立ったばかりです。先輩のお一人は 「こうして自分の番が来るまで見送って行くんやなぁ」と。自分の番はいつ来るのか何番目なのか…。
でも生きているからこそ悼むことができます。生きているから弔い悲しみ泣き偲ぶことができます。先に旅立ったひとたちは追悼のひとことさえ言えません。自分の番がいつかはわかりませんが、悼み弔い偲ぶことは生きている自分の使命の一つではあります。

先に旅立ったひとたちは、あの空の向こうの何処かで、今しがた旅立った仲間をあたたかく優しく迎えてくれていることでしょう。『地には一人を減じたり…さはれ天に一人を増しぬ』という詩があります(セラ・ゲラルデナ・ストック作)。心にしみる言葉です。

先輩も度々行かれたであろう蒜山高原(米子道:蒜山SAより)
仲間うちのサイトに友を悼むことばがつぎつぎ寄せられています。
『なんでそんなに急いで旅立ってしまったの? 悲しいよ 寂しいよ 辛いよ』『あなたの年賀状に記された “百万本の蝋燭は変革の光、一本の蝋燭は命の灯”。一本の命の灯は消えてもみんなの心に灯った光は輝き続けます』
『ともに青春時代を送った仲間が一人また一人といなくなってしまう。本当に寂しく心もとなく感じます』
『世が世なら私達が言葉をかけることも憚られる高貴な生まれだったというあなた。訛りのある独特の言い回し、優しい目で語り掛ける話しぶりは聞く人の心を和ませ素直に耳を傾けられる存在でした』『数少ない同期。先に逝くなよな』『貧乏学生で食事にも事欠いていた小生にイナゴの佃煮をもってきてくれた。ともにパンを齧りながらイナゴをポリポリ。そのうち小生も行くからな、もうちょっと時間はかるけど…』
『棺を囲んでハミングで献歌... 涙がどっとあふれました』
奥様の郷里に移住を決められるに際し『どこに居ても困った方々を助けるのが自分たちの役目だ、と背中を押してくれた』(奥様の会葬御礼挨拶より)

自作の詩をおくりたいのに 詩になりません。ことばになりません。
谷川俊太郎の詩 「あなたはそこに」 の一節をおくります。
先輩のご冥福を心よりお祈りします。どうか安らかにお眠りください。
ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる
目をみはり私をみつめ 繰り返し私に語りかける
あなたとの思い出が私を生かす
早すぎたあなたの死すら私を生かす
初めてあなたを見た日からこんなに時が過ぎた今も

【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
人生の棚卸し(2) https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/22b3ffae8d0b390afee667c0e9ed92ed
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c


逝かれる数日間は、多くの方の記憶の中を旅されて、いよいよ逝かれたのですね。
とてつもない寂しさは、これまでに何度となく経験したので、デ某さまのお気持ちお察しします。
いつかは迎える自分の番までは、私も思い切り寂しさも悼みも感じ尽くしたいと思います。
生きているということですものね。
わが先輩への哀悼のおことば...ありがとうございました
"仲間うち" で記すべきことながら
わが人生の "棚卸し" の一つとしてブログUPしました。
"いつかは迎える自分の番" をリアルに考えるようになったのはここ数年です。
身近な人の旅立ち、自身の三度の手術 ... それぞれに思うところがありました。
順番は ... 早い遅いではなく いつか!で十分かな。
そのいつかのとき 心が静かでやさしくあれば!と。
少し秋めいてまいりました。
お風邪など召されませんようお過ごしくださいね
一週間前の会話は虫の知らせでしょうか。
そう言えば蝉の声はすっかり聞こえなくなり、夜には窓際の虫の声がうるさいくらいです。
様々な虫の声を聞きながら、なんという虫か名前を言い当てられたらうれしいかな?と、寝返りを打ちながら思っています。
台風の後、秋晴れの空を期待していたら、蒸し暑さと秋雨前線がやって来たというニュース。
若者たちのメロディーが、若かりし頃の気分を少しだけ蘇らせてくれました。ありがとうございました。
コメントありがとうございました
明日 新見(岡山県)で告別式があります。
かつて郷里との往復は新幹線~伯備線。
新見には高校時代に転校して行った親友がいたので
ここを通るたびに彼のことを思い出していました。
虫の声って 風流に想うこともあれば 煩く感じることも...。
虫の鳴き声のあの一定のリズムが そうさせるのでしょうか。
ときどき ... 鈴虫を飼いその鳴き声を楽しんでいた昔を思います。
「若者たち」は1965年にリリースされました。
亡くなった先輩の学生時代と重なるなぁ、と思ってUPしました。
鉄道事故で若くして亡くなった私の元上司は
カラオケではきまって「若者たち」を歌いました。
そして 歌いながらしばしば涙ぐんでいました。
一週間前の電話と一昨日の訃報にはきっと何かの繋がりがあったんでしょうね。
そう言えば、私も会社OBの同僚から「お~っ、退院してきたぞ~、又病院に見舞いに行ってもらっても悪いから・・・」と朝電話もらったその日の夕方に会社の現役の女子社員から「会社OBの同僚」が亡くなったと連絡を受けた時は信じられなかったものです。
蒜山高原には岡山の幼馴染と登るつもりだったのが実現できませんでしたね。
「ほんとうに出会った者に別れはこない・・・」
深いですね。
これは真実だと思います!
ザ・ブロードサイド・フォー「若者たち」はギターを抱えてよく唄ったものです。
動画の中に久方ぶりに黒澤久雄氏を拝見しました。
御先輩の冥福をお祈りします。
色々な方からお話を伺う度にそう思います。
皆さんが悲しんで いっぱい思い出して上げる事が
きっと 送別ですよね。
こころからの哀悼を。
デ某さんも 気になるところがありましたら
メンテナンス確りして下さいね。
自分にとっての名医は 自分です。
この頃そう思うようになりました。
したっけネ~ 遠音
コメント、わが先輩への哀悼のことば...ありがとうございました
訃報には しばしば前触れ、兆しのようなものに思い至ることがあります。
人生には形こそ様々であれ 幾度か そうしたシーンがありますね。
かつて私の同僚は 長い闘病を経て出勤、「お蔭様で元気になりました」と挨拶まわりされ
その翌日に再入院、数日後に訃報が届きました。
覚悟の退院、出勤...であったのだと思います。
きっと 笑顔でお別れをされたかったのでしょうね。
蒜山高原。
米子道が開通する前は四十曲峠などカーブの多い山越えの国道で帰省しました。
亡くなった先輩は蒜山に程近い町で何かと活躍されていたと伺いました。
> ほんとうに出会った者に別れはこない
ほんとうの出会い ... 谷川俊太郎の紡ぎ出すことばの深さに心をうたれます
あたたかいコメント いつもありがとうございます
予知能力 ... 天からの啓示のように 突然!降り注ぐように思われます。
また 後になって あぁそう言えばあの時! と思うことがしばしばあります。
> 皆さんが悲しんで いっぱい思い出して上げる事が ... きっと 送別ですよね。
> こころからの哀悼を。
ありがとうございます。
明日に告別式を控え仲間内のサイトに続々哀悼のことばが寄せられています。
そこには私の知らなかった先輩の一面、再発見があり
改めて素晴らしい先輩であったことを嬉しく思っています。
> デ某さんも 気になるところがありましたら メンテナンス確りして下さいね。
> 自分にとっての名医は 自分です。
いつもお心にかけてくださりありがとうございます。
気になるところをメモしていますと
しばしば医師の仰る「様子をみましょう」が案外!正鵠を射ているように思います。
時間の経過とともにいつの間にか「治っている」ことが結構!あります(笑)
『自分にとっての名医は自分』... 蓋し名言だと思いました。
びみょ~な違和感... など最も判っているのは確かに自分自身です。
明後日からもう!大相撲が始まります。早いですね
大鵬のお孫さん納谷は十両目前、大いに期待しています。
時ならぬ猛暑に見舞われた北海道の気温も少し戻ったことと存じますが、
くれぐれもお身体たいせつにお過ごしくださいますよう
心よりお願い申し上げます
谷川俊太郎さんの詩と「若者たち」、しんみりジワジワしました。
私の亡き夫と、それから今年結婚半年でご主人を亡くされた写真家さんのことを想いました。
果てしなく遠いところまで歩いて来たなぁと思います。
これから歩く道は果てしなく遠いのだろうか、短いのだろうか。
どちらにしても一日一日を新しい気持ちで歩き始めるしかないのですね。
デ某さまのご先輩のご冥福をお祈りいたします。
コメントありがとうございました
> 想いが遠くへ飛んで駆け巡り、コメント欄に辿り着くのに数日かかります。
コメント欄に辿り着いてくださって嬉しいです
フログUPから2~3日はこの欄を閉じてはなりませんね。
> 谷川俊太郎さんの詩と「若者たち」...
> 私の亡き夫と、今年結婚半年でご主人を亡くされた写真家さんのことを想いました。
谷川俊太郎さんの詩には 虚を衝かれるように様々な気づきをいただきます。
詩人とは斯くなる人なのだと 思います。
「若者たち」... には60年代の貧しく真摯に生きようとした生きてきた若者の群像があります。
その中に少しだけかつての自身の断片を思いましたし
今 そうした旧き日々を慈しむようにふり返ります。
みよさんとご友人の亡くなられたおつれあいのご冥福をこころよりお祈りします。
果てしなく...よく歩いてきたなぁ と思います。
これから...どこまで歩くのかなぁ、と思います。
そうした連続線であり 不連続線でもあるように思います。
> 一日一日を新しい気持ちで歩き始める...
はい。そうありたいですね。
でも、これまで生きてきたようにしか生きられない気もいたします。
小椋佳「孤高の鷹」の一節を思いました。
『誰のようにも生きられず 誰のようにと生きもせず』
> ご先輩のご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます。
素晴らしい絵を描きつづけてくださいね。
素晴らしい写真を撮りつづけてくださいね。
スケッチ行、撮影行、くれぐれもお気をつけて!