今月初め、学生時代の友と琵琶湖畔の別荘に集いました。同じ事をなんど言っても「旧~っ!」「耳にタコ!」と言われない心地良さに(笑)記憶は時空を超えて遡ります。下の写真はその琵琶湖畔にある パン屋さん&テラス風喫茶 より眺めた湖と比叡の山並です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a3/4b5ce1207c4dc534f881b9f7901dbc65.jpg)
ロクニーサン・・・ロクテンニーサン・・・6.23・・・1960年6月23日。日米新安全保障条約の批准書が交換され条約は正式に発効しました。この条約に抗議するデモ隊は国会を包囲、岸内閣は総辞職しました。時は巡り当時の岸総理の孫が安倍晋三現総理です。
樺美智子(かんばみちこ)「ひと知れず微笑まん」
『 誰かが私を笑っている 向うでもこっちでも 私をあざ笑っている でもかまわない 私は自分の道を行く・・・ でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう それでいいのだ・・・ ただ許されるものなら 最後に 人知れずほゝえみたいものだ 』
「ロクニーサン」も「樺美智子」も既に死語辞典入りしているでしょうね。樺美智子さんは、当時 国会周辺でデモ隊と警官隊が衝突した際に圧死しました。その頃の私は小学生でしたが、TVのニュースで デモ隊と警官隊が衝突するシーンを鮮明に憶えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5d/52353cab65cb1da44754dfcca185a0ac.jpg)
それから10年・・・「70年安保」と称された時代が私の学生時代と重なります。岸信介の実弟、佐藤栄作総理の時代です。「全共闘」華やかなりし?時代ですが、世論の共鳴は急速に薄れ「70年安保」は格別に盛り上がることもなくフェードアウトしました。
「60年安保」世代の挫折を描いた柴田翔「されど我らが日々」を経て1970年前後には 高橋和己「我が心は石にあらず」、高野悦子「二十歳の原点」、李恢成「我ら青春の途上にて」が世に出ます。時代は重く昏く、遂には何もかもが希薄な時代へ・・・。
この時代の書は どこか朽ちた落葉のような 或いは色褪せた暗色の服のような装丁・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/38/150136383c6e54523595af2aed8fbb9d.jpg)
やがて学生運動の時代から労働運動の時代へ。私が勤め始めた70年代前半には大きな「ゼネスト(ゼネラルストライキ=全国一斉ストライキ)」が度々打たれ交通機関は数日にわたってマヒ、自宅待機を余儀なくされました。尤も自宅待機では本など読みノンビリ・・・。
学生もインテリたちも、そして遂には労働運動も燃え上がることはなくなりました。「大学自治」という言葉さえきかれなくなり、分裂していた労働運動は統一が進むたびに寧ろ求心力を喪いました。今、新聞もTVも「第四の権力」に程遠い時代を迎えました。
「六月の空と雲と花」by QP
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/a1/6eaa6c6a0755fb1456155784d4668fe2.jpg)
1970年から半世紀近くが過ぎました。いま、こうして平日の昼間っから書斎にこもりブログなど書いている・・・。「共謀罪」法の国会強行採決は粛々と行われ、一部を除きそれを質しも糾しもしないマスコミ報道。私たちは怒りも憤りもしない時代を迎えました。
ピート・シーガー「おぉ 自由」
Rarudoさんからいま「腎がんのメモリー39」にコメントがとどき、小林麻央さんの訃報を知りました。また・・・天にひとりを増しぬ。心ちぎれつつ ご冥福をお祈りいたします。
![](http://banner.blog.with2.net/?id=1555826&seq=2)
【過去ログ目次一覧】
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a3/4b5ce1207c4dc534f881b9f7901dbc65.jpg)
ロクニーサン・・・ロクテンニーサン・・・6.23・・・1960年6月23日。日米新安全保障条約の批准書が交換され条約は正式に発効しました。この条約に抗議するデモ隊は国会を包囲、岸内閣は総辞職しました。時は巡り当時の岸総理の孫が安倍晋三現総理です。
樺美智子(かんばみちこ)「ひと知れず微笑まん」
『 誰かが私を笑っている 向うでもこっちでも 私をあざ笑っている でもかまわない 私は自分の道を行く・・・ でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう それでいいのだ・・・ ただ許されるものなら 最後に 人知れずほゝえみたいものだ 』
「ロクニーサン」も「樺美智子」も既に死語辞典入りしているでしょうね。樺美智子さんは、当時 国会周辺でデモ隊と警官隊が衝突した際に圧死しました。その頃の私は小学生でしたが、TVのニュースで デモ隊と警官隊が衝突するシーンを鮮明に憶えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/93/4840c4d3f7c02a3404ab7c0faf8d4c2b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5d/52353cab65cb1da44754dfcca185a0ac.jpg)
それから10年・・・「70年安保」と称された時代が私の学生時代と重なります。岸信介の実弟、佐藤栄作総理の時代です。「全共闘」華やかなりし?時代ですが、世論の共鳴は急速に薄れ「70年安保」は格別に盛り上がることもなくフェードアウトしました。
「60年安保」世代の挫折を描いた柴田翔「されど我らが日々」を経て1970年前後には 高橋和己「我が心は石にあらず」、高野悦子「二十歳の原点」、李恢成「我ら青春の途上にて」が世に出ます。時代は重く昏く、遂には何もかもが希薄な時代へ・・・。
この時代の書は どこか朽ちた落葉のような 或いは色褪せた暗色の服のような装丁・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/95/dc380b9fb2cd587572beb218b712c8a1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/02/ee1897893c73b3346a6f61f3d7e9c6cf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/38/150136383c6e54523595af2aed8fbb9d.jpg)
やがて学生運動の時代から労働運動の時代へ。私が勤め始めた70年代前半には大きな「ゼネスト(ゼネラルストライキ=全国一斉ストライキ)」が度々打たれ交通機関は数日にわたってマヒ、自宅待機を余儀なくされました。尤も自宅待機では本など読みノンビリ・・・。
学生もインテリたちも、そして遂には労働運動も燃え上がることはなくなりました。「大学自治」という言葉さえきかれなくなり、分裂していた労働運動は統一が進むたびに寧ろ求心力を喪いました。今、新聞もTVも「第四の権力」に程遠い時代を迎えました。
「六月の空と雲と花」by QP
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/a1/6eaa6c6a0755fb1456155784d4668fe2.jpg)
1970年から半世紀近くが過ぎました。いま、こうして平日の昼間っから書斎にこもりブログなど書いている・・・。「共謀罪」法の国会強行採決は粛々と行われ、一部を除きそれを質しも糾しもしないマスコミ報道。私たちは怒りも憤りもしない時代を迎えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onpu.gif)
Rarudoさんからいま「腎がんのメモリー39」にコメントがとどき、小林麻央さんの訃報を知りました。また・・・天にひとりを増しぬ。心ちぎれつつ ご冥福をお祈りいたします。
![にほんブログ村 病気ブログ 腎臓がんへ](http://sick.blogmura.com/kidneycancer/img/originalimg/0000744506.jpg)
【過去ログ目次一覧】
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
六月はいつも60年安保のことと樺美智子さんのことを思います。
でももう若い人はわからないのでは。
私の中では六月の雨(涙)→樺美智子さんの死という連想が働きます。
そんな歌を作りましたが、結社に提出するつもりなので当分はネットには書けないですが。
沙羅さん
早速のコメントありがとうございました
少し硬派な?ブログ記は・・・敬遠されるかなぁ と思いつつ 書いてしまいます。
> 6月23日は・・・安保条約発効の日とはちゃんと知りませんでした。
「6.23」のほか「4.28(沖縄デー)」「10.21(国際反戦デー)」など・・・
共有できる同時代感がどんどん狭まります
> 六月はいつも60年安保のことと樺美智子さんのことを思います。
> でももう若い人はわからないのでは。
樺美智子さんも 私の世代は既にリアルではなく、語り継がれたもの・・・でした。
まして 50代以下の方には・・・ですね。
> 私の中では六月の雨(涙)→樺美智子さんの死という連想が働きます。
私には「涙」を超えるものがあります。
少し時代を経て 道浦母都子さんの世代には 烈しさがほとばしりますね。
> そんな歌を作りましたが・・・結社に提出するつもりなので・・・書けないです。
いずれUPされるのを楽しみにしています。
私にも イメージのインパクトがありますが、今は歌になりません。
ブログに記されていた黒田和美さんの歌
『黎明に未だしあれば胸焦がす叩け揺さぶれ六月挽歌』
烈しく迫るものを感じ たじろぎつつ両の腕で抱きしめたい心境でもあります。
『六月挽歌』は60年代70年代への挽歌とその時代を生きて死んでいった象徴的な人たちへの挽歌です。
樺美智子さんの個人名は出てきませんが、歌集全体を漂っているものはあります。
デ某さんにはお勧めの歌集です。
アマゾンの古本で手に入ると思います。
六月にいつもこの歌集を読むと胸が熱くなります。
再コメントありがうございます
沙羅さんのブログ記にコメントすべきでしたね・・・申し訳ありません。
> 黒田和美さんは1943年生まれ福島泰樹主宰の月光所属の歌人・・・詠い方は激しいです。
東郷雄二さんのサイトで経歴その他をみて
「経歴でも歌風でも道浦母都子さんと重なる部分が多いなぁ」と思いました。
ただこのサイトでは道浦さんについては一切触れられていないのではありますが・・・。
そこに紹介されていた黒田和美さんの歌
『六月の雨かも知れぬ打たれたる肩に紫陽花色の痣あり』
『わが裸身白くちひさく畳まれて君のてのひら深く眠らむ』
これは・・・道浦さんの歌と言われても違和感をもたない、と思いました。
> 60年代70年代への挽歌とその時代を生きて死んでいった象徴的な人たちへの挽歌です。
> 樺美智子さんの個人名は出てきませんが、歌集全体を漂っているものはあります。
前記サイトにて10首ほどに触れ、仰っていることがよくわかりました。
> デ某さんにはお勧めの歌集です。
ありがとうございます。読ませていただきます。
こんなに気にかけていただいて、心から感謝いたします。
明日の抗がん剤初体験を頑張る気になれました。
「私たちは怒りも憤りもしない時代を迎えました。」←これには激しく同感です。
私たちの世代には、既成社会に向けられた若者の怒りは、
やがて学校破壊や家庭での暴力に向かい、
若年化しながらいじめや自殺という内向きの怒りに変化してきた気がしているのですが、
間違っているでしょうか?
風のフェリシアさん
コメントありがとうございました
きょうは 一週間遅れで「父の日」のお祝いに愚息一家が訪ねてきて・・・嬉しくも疲労困憊。
こんな時刻のレスになってしまい申し訳ありません。
> ブログ巡りをしまて、デ某さんの記事も遡って読ませていただきました。
読んでくださりありがとうございます。
遠音さん経由の糸が繋がり 信じて祈ることができました。
> こんなに気にかけていただいて、心から感謝いたします。
> 明日の抗がん剤初体験を頑張る気になれました。
Stand by you. ですから!
今日は愚息にもFOLFOXのことなどいろいろ教えて貰いました。
きっと良くなりますからね、がんばりましょう。
> 「私たちは怒りも憤りもしない時代を迎えました」←これには激しく同感です。
このブログ記・・・もう閉じよう と思っていたところにフェリシアさんのコメントでした。
コメント欄、閉じなくて良かったです(笑)
今の一強!体制への憤りが 寧ろそれを許した国民の側への怒りにかわりそうで
そんな自分を「情けないなぁ」と思います。
共感してくださって 心を入れかえました(笑)
> 私たちの世代には・・・若者の怒りは、
> 内向きの怒りに変化してきた気がしているのですが・・・
私の心の中のジレンマと同じ現象が 若者たちの中に疼くように在るのかもしれません。
そこをよくみつめ共感し支えることも 我々世代の役まわりだとすれば
我々にも「存在理由」が確かにあるようです。
がんばって長生きする価値も理由も歓びも!
明日から もう今日!からですね、抗がん剤治療!
良い結果を信じてがんばりましょう
安保は自分の青春とともにあり 貧しい入院患者でした。
70年は背に一人をおんぶ、もう一人の幼子の手を引き 学生たちが角材を持って叫んでいるところに遭遇し 必死でその場を離れることしか出来ませんでした。
何と言う無力さでしょう。
>私たちは怒りも憤りもしない時代を迎えました・・
おっしゃる通りかも知れませんが 老人の目線で
自分の出来るところから 訴えてみたいと
今思いを新たに・・
本は全部読みましたが・・忘却です。
いけませんね・・
知り合いのお父様が東大卒で、それも学生運動が盛んな時代だったようです。
私は直接会話してないけれど、息子である私の知り合いはこの頃の話をお父様とするとぶつかるんだと話していました。
当時東大生だったお父様はどんな話をしているのか気になるところです。
そう言えば内容と関係無くて申し訳ないのですが、
両親の遺品にホトトギスの俳人たちの短冊とか扇子があってその価値が分からずに現在悩んでいます。
高浜虚子が私の実家(富士宮の旧家の本家だったため)に滞在して富士山を回ったらしく、虚子以降で彼の弟子堤俳一佳とか水原秋桜子『海辺にて』とか・・・
他にも一緒に色々な方の短冊があるのですが読めなくて(;'∀')
一緒にあるのでホトトギスの俳人だと思います。
でも高浜虚子以降だからたくさんあっても価値はないんでしょうねえ・・・
両親が大切にしていたのでどうしたものか悩んでいます。
そういうものってどうしたらいいんでしょうか?
ちょっと色々とご存じなので良いアイデアをお聞き出来ないかとこちらに書かせて頂きました。
すみません<m(__)m>
コメントありがとうございました
> QPさんの絵がきれいで
> 何時もいつかお会いしてみたい方のお一人です
QPが泣いて歓びそうなコメントをありがとうございます
姫路の山奥は涙の洪水でありましょう。
> 安保は自分の青春とともにあり 貧しい入院患者でした。
世代的に もしやそうかも・・・と思っていました。
安保と貧しさと病棟と・・・まるで一つの時代が象徴されているようです。
昏い青春とはいえ・・・遠音さんの中に今もきっとキラキラ輝くものがおありだと思います。
> 70年は背に一人をおんぶ、もう一人の幼子の手を引き
> 学生たちが角材・・・に遭遇し 必死でその場を離れることしか出来ませんでした。
70年にも確かに未だそうした名残りはありました。
あの時代の鉄パイプとヘルメットは 果たして誰に向けられていたのか・・・
虚空が軋むような感想を今もなおもちつづけています。
>>私たちは怒りも憤りもしない時代を迎えました・・・
> 老人の目線で 自分の出来るところから訴えてみたいと 今思いを新たに・・・
老人の・・・などとおっしゃらないでくださいね。
遠音さんのみずみずしい感性と思慮深さに・・・
いつも現在進行形で教えられ学んでいます。
> 本は全部読みましたが・・・忘却です。
私も パラパラとめくらなければ思い出せなくなりました
でも 思い出せないことも 書に対する一つの態度?だと 開き直りましょう。
それでも 突然のように閃き 真夜中に書棚を捜させる書もありますしね
風のフェリシアさんの抗がん剤初日!はまずまずの由。
サヌ・ヒロさんのおつれあいも 抗がん剤が効いてがんが縮小・・・明日オペを迎えられる由。
苦しい中に希望の灯りが光り嬉しいです。
ではでは・・・いつものように したっけねぇ~!
コメントいつもありがとうございます
> 私自身はこの時代は全然分からないんですけど、
> 知り合いのお父様が東大卒で、それも学生運動が盛んな時代だったようです。
お知り合いのお父様の学生時代・・・いわゆる東大闘争の頃でしょうか。
「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」の時代ですね。
是否は兎も角、あの世代の東大生たちがこの10年の日本をリードしてきたように思います。
> 私は直接会話してないけれど、
> 息子である私の知り合いはこの頃の話をお父様とするとぶつかるんだと話していました。
> 当時東大生だったお父様はどんな話をしているのか気になるところです。
ぜひ!直接お会いされ「どんなお話をされるのか」お確かめくださ~い
今の東大生より骨のある世代だと思います(でも骨ばかりでは・・・)
それにしても彼らの骨は誰が拾うのでしょうね?
> 両親の遺品にホトトギスの俳人たちの短冊とか扇子があってその価値が分からず・・・
それはやはり専門家にまずご覧頂くべきかと思いま
貴重な未発見史料であることも考えられますから。
日本近代文学館あるいは自治体の教育委員会(文化財担当)にご相談なさってください。
> 他にも一緒に色々な方の短冊があるのですが 読めなくて
> 一緒にあるのでホトトギスの俳人だと思います。
お宝の山・・・羨ましいです。専門家に見せるまえに大いに愉しみましょう(笑)
> でも高浜虚子以降だから たくさんあっても価値はないんでしょうねえ・・・
> 両親が大切にしていたのでどうしたものか悩んでいます。
史料価値と遺品価値は異なることもありますが、
やはり!まずは!客観的に価値づけされればと思います。
> ちょっと色々とご存じなので良いアイデアをお聞き出来ないかと・・・。
それこそ お知り合いの東大卒のお父様にご相談されれば!?
最もふさわしい対応をご助言いただけましょう。
直接にお話する良い機会にもなりますので、ぜひ!