あまりに急な叔母の旅立ち
19日、叔母が亡くなったと聞き帰省しました。先月訪ねた時、いつもと変わらず快活にあれこれ話をしていました。つい十日ほど前には、いつものように特に用件もない電話があったばかりです。病気をしていたわけでもなく余りに急な旅立ちでした。
子がいなかったからでしょうか、昔から甥や姪をよく可愛がる叔母でした。話すといつも明るく笑いころげ、居心地の良さに私をはじめ甥や姪は帰省するたびに叔母を訪ねました。料理とお茶のお師匠さんとして近隣の若い人たちにも慕われていました。
12年にわたり家で看病してきたつれあいに4年前に先立たれました。その頃からやや認知症の気配が現われ、十数人いる甥や姪は訪ねるたびに 「施設に入ることを考えようね」 と話していましたが、まだ日々の暮らしに困る程ではありませんでした。
年齢に不足はありませんが...
叔母は、亡くなる前日に腹痛を訴え掛かりつけ医を受診しました。腸閉塞と診断した医師は入院を奨め、渋々ながら甥に付き添われて市内で最も大きな病院に行きました。腸に吸引チューブを挿入し溜まった腸液や食べ物を排出する措置が取られました。
「1週間ほど経過を見ますが、それで退院できるでしょう」 との診断に叔母もホッとしていたようです。しかしその夜、原因は不明ながら挿入したチューブが外れ翌午前11時、付き添った甥と偶々帰省中の叔母(実妹)に看取られ絶命しました。
葬儀は、叔母のすぐ近所に住み最期を看取った甥が方々に連絡・手配を行い、同じく最期を看取った叔母が喪主を務めました。季節柄、時間に猶予がなく、お盆明けの交通事情の中、慌ただしい葬儀となりましたが、親族一堂に会し亡き叔母を偲びました。
享年84。丈夫ではありませんでしたし年齢に不足もありません。しかし余りに無念の思いが残る急な旅立ちでした。焼き場では人の一生の儚さに心乱れるのが常とはいえ、骨上げで小さな壺に納まってしまった叔母にひとしきり涙がとまりませんでした。
いつも大山に見まもられて...
予定を繰上げた帰省となりました。グループホームの父は、殆ど寝たきりでゼリー食を少しと点滴で命を繋いでいます。同じホームにいる母は、通夜・葬式の日、「一緒に家に帰ろう」 と誘いましたが、「お父ちゃんが心配だから」 とホームに戻りました。
冒頭の写真は、帰り途でみた早朝の大山です。夏山らしいやや素っ気ない雄姿と、峰にそって走る夏雲が印象的でした。年々過疎がすすむ郷里ですが、大山はいつも変わらず郷里の人々と暮らしを見まもり、私はいつも大山に見まもられ郷里を後にします。
【過去ログ目次一覧】
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
コメントありがとうございました
> もう閉じられたのかと思ってました。
夏休みのつもりでしたが...。
9月には術後検診(5年2月)、CTに加え今回は骨シンチもあり、
その報告を機に再開しようと思っていました。
旅立った叔母にちょっと背中を押されたかな...。
> 前の日記「明日に架ける橋」が素晴らしくてファンであった弟に送りましたよ。
> 姉の愛は通じた事でしょう。
ありがとうございます
コメント欄を閉じたブログ記でしたから唯一の反応です。
家族思いの弟さんですから コンちゃんの愛、十分通じていると思います。
> おば様、ご愁傷様でした。
> 治るの思ってらしたのに、翌朝亡くなるなんて…
> すべて運命と思わなくては仕方がないのでしょうか?
人は(自死は兎も角)最期を選べませんね
儚さに とりわけ思いのほか小さかった骨上げで 涙が止まりませんでした。
この前の日記の明日に書ける橋が素晴らしくて、ファンであった弟に送りましたよ。
兄弟ですので、「観ました」しか返事が来なかったけど、姉の愛は通じた事でしょう。
おば様、ご愁傷様でした。
治るの思ってらしたのに、翌朝亡くなるなんて…すべて運命と思わなくては仕方がないのでしょうか?
では、次の日記を読みますね。
コメントくださりありがとうございました
> デ某 さんのこと、きっともう切り替えていらっしゃると思いますが、
> 生ある限り、死はいつも隣り合わせ…
> 解っていても、急には対処が… 。難しいですね。
切り替えられるものと 切り替えがたいものが ごちゃまぜになっています
四十九日に親類で集まる予定ですが、私は遠慮させていただくつもりでいます。
それがいちばんの切り替えになりそうです。
> チューブの件、たまに医療過誤で見かける様な… 、
> 念のため、付き添いがいた方が良かったかもしれません。
私は医療ミスだと思っていますが、
でも 誰のため 何のためにそれを問題にするのか...となると 黙してしまいます。
それを見越した病院側の「沈黙」なのかもしれません。
> 呼吸器がコード切れたり...現場ではいろんなことが起こる可能性を否定できません。
事前に「危ない状態」との説明は一切なく 寧ろ「一週間で退院できます」と。
甥と叔母(亡くなった叔母の実妹)が駆けつけたのは亡くなる直前でした。
そう思いつつ それ以上に踏み込むことが私には出来ません。
> お母様、お父様の心配されてホームへ...ちょっとずつ変化が見られ良かったですね。
> 少しずつ 皆が快方へ向かいます様、願って止みません。
ありがとうございます
須らく "少しずつ" でも "Step by step" ではなく "Little by little" と思っています。
> 私は 来月早々に 進行チェックです。また 放射線治療かもしれません( 泣)
大変だなぁと いつも尽きることなく思います。
他にも 腎がんの転移で闘病される方の日々に触れ... ほんと!厳しく思います。
aimacoさんに良い結果が得られますよう 心よりお祈りいたします
お久しぶりです。お言葉ありがとうございました
> 突然の訃報・・・。
> 従妹が60歳で突然無くなり、1ヶ月前に従妹の(叔母)の葬儀に参列したばかり
> お風呂から出てくるのが遅いと...見に行ったら湯船に沈んでいたそうです
なんとも ほんとうに ... 言葉をなくします。
私の現職にあった頃の前任者は「帰宅したら娘が倒れていた」と。
まだ22歳の突然死、ひとり娘を亡くした衝撃は容易に癒されませんでした。
> 後悔のないように生きたいと思いつつ、
> なんとかなるさと甘えている自分もいます。
後悔のない人生はないと思います、いつも後悔、後悔、後悔の連続...
ですから自分自身が旅立つ時は「仕方ない」「自業自得」と思うことでしょう。
周りの者にも早い目にそう!言っておかなければなりません。
> お母さま、お父さまが心配だから、って素晴らしいですね!
> 人間って変われるものなんですね
けして 母が変ったとか 目覚めたとは思いませんが、
母ではない もう一人の母が たしかにいました。
そうした一面に触れて驚きましたし 心から嬉しく思いました。
まさに ”Amazing Grace” でした。
突然の訃報には何故?という言葉しか思いつきませんでした。
従妹が60歳で突然無くなり、その1ヶ月前に従妹の母(叔母)の葬儀に参列したばかりでしたから。
お風呂から出てくるのが遅いとご主人が見に行ったら湯船に沈んでいたそうです。
あの時にああすれば良かったとか、あとになればいろいろ思うことがたくさんありますよね。
後悔のないように生きたいと思いつつ、なんとかなるさと甘えている自分もいます。
お母さま、お父さまが心配だから、って素晴らしいですね!
人間って変われるものなんですね(*^-^*)
この間たくさんコメントをくださりありがとうございます
> そんなことがあったのですね。命について考えてしまいます。
命について考えるときは 周りに良くないことが起きていることが多く
ほんとうは 命について考えない状況が穏やかでいいのですが...。
でも 時には命について深く考えてみようと... 神さまが囁くのかもしれません。
> どんな人間にもいつかは訪れることとしても、
> 覚悟を持ったり自覚を持ったりするのは容易ではないなあと思います。
永遠にして究極のテーマですから 正面から迫られると ただただ右往左往...
生涯に いったい幾つの葬式に参列するのかわかりませんが、
そうした機会に ぼちぼち... 考えましょう
> デ某さんの言葉はいつもやさしく重みがあります。
重いのは 言葉ではなく「体重」と「気」ばかりです
ちょっと気持ちを軽くしてから 改めてしっかり考えたいと思っています。
そのためにも peteruさんの旅行記は必読ですよ
命について考えてしまいます。
どんな人間にもいつかは訪れることとしても、覚悟を持ったり自覚を持ったりするのは容易ではないなあと思います。
デ某さんの言葉はいつもやさしく重みがあります。
書きづらい内容にコメントくださりありがとうございました
> 僕の中学3年の同クラスの同級生31人が 25年間で次々と突然死をし、
> 火葬場へ行きお骨上げをし あの小さな骨壷変わるのを悲しみながら見て...
若いときの 若い友人の突然死...。
私も何度かめぐりあい そのたびに 或る種 懼れの感覚をもちつつ悼みました。
私の学生時代まで 郷里では土葬が主で、祖父は土葬で弔いました。
その所為でしょうか、
火葬に骨上げは付きものですが、私にはいつも違和感がつきまといます。
火葬は避けがたいとしても 私については
願わくば 妻か息子に限り骨を拾って貰い 郷里の海に散骨してほしいと...。
> 上手く言葉が見つからない無知な自分ですが、
> 今は悲しみを堪えず涙を流し親しみ悲しむ事が大切に思います。
訃報は 広く告げず 近親の者でひそやかに...ですが、つい ブログUPしました。
申し訳ありません。
> 秋口の旅路、目的の一つにデ某さんとお話しが出来たらと思い計画しております。
関西の秋口はまだ猛暑が残るのが心配ですが、
体調を整えられ(体調第一に)旅に出られますようお祈りします。
日程が近づきましたら ぜひご連絡くださいね。お待ち申し上げます。
僕の中学3年の同クラスの同級生31人が、25年間で次々と突然死をし、幾度と無く火葬場へ行きお骨上げをしあの小さな骨壷変わるのを悲しみながら見てきました。
お骨上げの時に涙が止まらない気持ち、痛いほど分かります。
親しい人が突然逝ってしまう。
すいません、上手く言葉が見つからない無知な自分ですが、今は悲しみを堪えず涙を流し親しみ悲しむ事が大切に思います。
秋口の旅路、目的の一つにデ某さんとお話しが出来たらと思い計画しております。
夜分遅くのコメント、すいません。
コメントありがとうございました
前のほうのやりとりも含めて 後ろに移動させていただきました。
> 峰に添って湧き上がる雲と、雄大なのに空に熔けてしまいそうな大山が
> デ某さんの悲しみを静かに伝えているよ
うです。
季節により or 日々刻々 装いをかえる大山
見るものの心を映し この峰の雲にも 様々な容姿とメッセージを思いました。
> 年寄りはいつ何があるか分からないと言いますが、
> 去年の母の死も思いがけないものでした。
いくら覚悟しても 覚悟ほど その時々に乱れるものはありませんね。
覚悟しても 準備しても 突然!思いがけず!扉が叩かれます。
お悲しみのほどを いま改めて思います。
> 不意に途切れてしまった親しい人とのつながりを...受け入れることは難しいものです
ひとの心と 過ぎ行く時が 少しずつ心を溶かしはしますけど... 難しいですね
> 母は入院して、私達はその日を迎える準備ができましたが、
> デ某さんは突然で、喪失感ははかりしれません。
突然!過ぎて現実感が乏しく ややもすれば喪失感が追い遣られます。
帰省しては訪ねていましたから これから帰省のたびに喪失感を覚えるのかも...。
> ブログは休むと宣言されたのに こんなに早くたくさんコメントが付くなんて...
> 私も何だか気になって 覗いてしまうのですが、皆さんもそうだったですね。
1か月ほど休み 9月の術後5年(2ケ月)検診の報告から再開を考えていました。
でも このことがなければずるずるもっと休んでいたような気がいたします。
叔母はこのブログの存在を知りませんが、向こうにPCはあるのでしょうか...
> 再開が訃報だったことは残念ですが、無理せず時々書いて頂くと嬉しいです。
無理して 時々 書きます(笑)
時々 また覗いてくださいね
年寄りはいつ何があるか分からないと言いますが、去年の母の死も思いがけないものでした。
不意に途切れてしまった親しい人とのつながりを、やすやすと受け入れることは難しいものです。
母は入院して、私達はその日を迎える準備ができましたが、デ某さんは突然で、喪失感ははかりしれません。
いつも変わらない大山に見守られて悲しみは少しは癒えたでしょうか。
それにしても、ブログは休むと宣言されたのに、こんなに早くたくさんコメントが付くなんて、デ某さんは人気者ですね。
私も何だか気になって、覗いてしまうのですが、皆さんもそうだったですね。
再開が訃報だったことは残念ですが、無理せず時々書いて頂くと嬉しいです。
コメントくださいまして ありがとうございました
> 叔母様のご冥福をお祈り申し上げます。
コメントしづい話に 恐縮です。ありがとうございます
> 腸閉塞は急激に悪化するので高齢者には怖い病気ですね。
> でもそれほど苦しまれなかったようで
> 不謹慎な言い方かもしれませんが、幸せな終わり方だったのではないでしょうか
手遅れにならない限りは 「命に別状」のない病気だと思います。
チューブで排出できないと手術になりますが、それ以前の問題だったようです。
叔母は「なぜこんな管がついてるの?」と看護師さんに言った由...。
叔母には 納得の行く死ではなかったでしょうが、
それでも それなりに羨ましがられる人生であったことを 幸いに思います。
> 多くの人に慕い慕われ、明るく笑って日々を過ごし、
> 人さまに迷惑をかける前にサッと姿を消す...カッコいい去り方と思います。
叔母のつれあいは12年間 自宅で寝たきり(事実上...植物人間状態)でした。
4年前に虹をわたったとき 叔母の「余生」の殆どが 既に費消されていました。
でも それまで当人は 「この人が生きてるからね」と...。
つれあいの分まで サッとかっこよく この世を去って逝きました。
> 老醜をさらさず、生きかた同様の旅立ちだったかと。
> カッコよすぎて残された者は戸惑いますね。
> いつまでも偲んであげてください。
もっと長生きしても たぶん「老醜」の似合わない生き方をしたと思います。
認知症の気配も「可愛さ」の装いとして...。
そんなことを思い 偲びたいと存じます。
ありがとうございました
こうしたブログ記に コメントくださいまして ありがとうございます
> 人間は誰もが偉大な存在だと思います。
> 叔母様もがんばって人生全うされたのでしょう。
偉大な存在であり 同時に 儚い命でもあると...
叔母の84年の生涯...身体は丈夫ではありませんでしたから よく生きました。
> お父様、ゼリー食が続いていますか。 母も半年そんな食事でした。
> いつか神様がお迎えに... でも それは本人が選ぶんだと思います。
たとえゼリー食であれ 食べる力!は 生きる力であり 生きたい力ですね
お迎えについて 意外にも心の準備の方が寧ろ出来ているのに
どういう葬式にするか... など具体の準備は何一つできません。
準備はするな! と言われているような気がいたします。
> わたしも、母が旅立って 100日になろうとしているいま、
> 母が生きてきた道を思い返しています。
お亡くなりになられて百か日ですか...。
親と子... いつも交わる道ではあります。
「親が亡くなると人生観がかわる」と言われますが、幸い両親は生きています。
自らの人生の終活をする前に 為すべきことがいっぺんに訪れてきそうです。
> 尊い命、そう思います。
尊くて 愛しくて そして儚い命ですね
生きているからこそ命... 大切に生きたいと存じます。
> そして、自分がどう生きるべきかを あれこれ考えています。
たくさんの花の命とともに 日々を生きていらっしゃるデスタントドラムスさん
ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました
コメントありがとうございました
> 叔母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
恐れ入ります、心よりお礼申し上げます
> チューブが外れてしまうということがあるのですね。
> ご遺族の方にとっては納得できないような、お心残りのことと思います。
市内で最も大きな病院ですが、残念ながら何の説明も頂けませんでした
こちらから何か言わない限り そういうものだ...と聞きました。
親族の中でも「84歳でもあるし 仕方ない」と
> 孤独な最期を迎えられる方もありますのに
> 以前から皆様から気遣って頂いたり 見守られて最期をお迎えになられて...
近所に住む甥と偶々帰省していたすぐ下の妹である叔母が 最期を看取りました。
何も話せなかったものの、話しかけた言葉には しっかり頷いていたそうです。
> お叱りを受けるかもしれませんが、お幸せだったのではないでしょうか。
> これもご生前に叔母様が皆様に尽くされたからかもしれません。
pukarikoさん ↓ からも同様のコメントを頂きました。
親族の間にも「〇〇ちゃんは良い死に方をした」との声がありました。
少し認知症の気配が現われ始めていましたから 「よくしたものだ」とも...。
叔母が父より先に逝くとは つゆ思いませんでしたので
実は 父が逝けば 父のいるグループホームを奨めよう...と思っていました。
> お母様も お父様のことがとても気がかりなのですね。
> だからこそ、ご自身のお気持ちがしっかりされているのだと思います。
実は 母のこの言葉は私にも姉にも妻にも意外!でした
それほど「家に帰る」ことに母は執着していましたから。
そうした一面を知ったことも 叔母の功徳であり 供養となるようにも思います。
> デ某さんもご両親さまも 残暑厳しい折、どうぞご自愛下さいませ。
ありがとうございます
「伯耆富士」と言われる大山を眺めるたびに
mikihanaさんが暮らしていらっしゃる正真正銘!の富士山を思います。
お母さまともどもに どうぞご自愛ください
コメントくださりありがとうございました
> 十数人いる甥や姪は 訪ねるたびに 「施設に入ることを考えようね」
> そんな心配を姪・甥にしてもらえるなんて、
> おばさまがどんなに優しく生きてこられたかわかります。
遠くに嫁いだ他の叔母と甥姪たちは 帰郷すると この叔母の家に滞在しました
そんな甥や姪には この叔母の家は「里帰りする家」でもありました。
私の姉も 帰省して母と諍いになると この叔母の家に避難?していましたし。
優しさとともに 淋しがりで 頼りにされば寧ろ歓んでいたかもしれませんね。
> こういう人は迷惑をかけないでいくようにできているのでしょうかね...
> 突然でしかも残念な事ですが...命のはかなさを思い知らされます。
頼られ方(甘えられ方)と同様 頼り方(甘え方)も上手なひとでした
小さい頃から何かと父を頼りにし 結婚してからも
たとえば病気になると つれあいではなく父に病院に付き添って貰っていました。
命の儚さ... つくづくそう思います。
ほんとうに儚いものと 身にしみて知りました。
> ご冥福をお祈りします。
こうした話題は控えたいと思いながら つい勢いで書いてしまいました
ありがとうございました
腸閉塞は急激に悪化するので高齢者には怖い病気ですね。
でも叔母様の場合、それほど苦しまれなかったようで、
不謹慎な言い方かもしれませんが、
幸せな終わり方だったのではないでしょうか。
多くの人に慕い慕われ、明るく笑って日々を過ごし、
人さまに迷惑をかける前にサッと姿を消す・・・
カッコいい去り方と思います。
老醜をさらさず、生きかた同様の旅立ちだったかと。
カッコよすぎて残された者は戸惑いますね。
いつまでも偲んであげてください。
叔母様もがんばって人生全うされたのでしょう。
お父様、ゼリー食が続いていますか。
母も半年そんな食事でした。
いつか神様がお迎えに来る日が
来ることでしょう。でも、
それは本人が選ぶんだと思います。
わたしも、母が旅立って
100日になろうとしているいま、
母が生きてきた道を思い返しています。
尊い命、そう思います。
そして、自分がどう生きるべきかを
あれこれ考えています。
チューブが外れてしまうということがあるのですね。
ご遺族の方にとっては
納得できないような、お心残りのことと思います。
でも孤独な最期を迎えられる方もありますのに
以前から皆様から気遣って頂いたり、
見守られて最期をお迎えになられて、
お叱りを受けるかもしれませんが、
お幸せだったのではないでしょうか。
これもご生前に叔母様が皆様に
尽くされたからかもしれません。
お母様もお父様のことが、とても気がかりなのですね。
だからこそ、ご自身のお気持ちがしっかりされているのだと思います。
デ某さんもご両親さまも
残暑厳しい折、どうぞご自愛下さいませ。
そんな心配を姪・甥にしてもらえるなんて、おばさまがどんなに優しく生きてこられたかわかります。
こういう人は迷惑をかけないでいくようにできているのでしょうかね・・・
突然でしかも残念な事ですが・・・
命のはかなさを思い知らされます
ご冥福をお祈りします。
コメントありがとうございました
> デ某さんやご親族のお気持ちを思うと
上手く言葉が見つかりません。
> 叔母様のご冥福をお祈りいたします。
そうして悼んでいただき 私は勿論 叔母もよろこんでいることと思います
このブログは 実は来月の「術後5年検診」の報告まで閉じるつもりでした。
叔母はこのブログの存在さえ知りませんが、
旅立つ意思に「書きなさい」の思いもあったのでしょう。
> お父さまを思いやるお母さまのお姿に
> 歳を重ねても、いつまでも温かく愛情ある夫婦でいる事の大切さを感じました。
「家に帰る」ことに執着する母ですから、「ホームに帰る」には驚きました
善いことばかりではありませんが、
父も母も 長く歳をとるなりに 様々な一面を見せてくれますね。
> お疲れが出ませんように くれぐれもご自愛くださいね。
ありがとうございます
mokaさんも この猛暑に負けず 体調を整え 爽やかな秋をお迎えくださいね
コメントしづらいブログにコメントくださり ありがとうございます、恐縮です
> 年齢に不足はないとはいえ 親しい人のあまりに急な旅立ちが、
> 残されたものに与える衝撃は計り知れませんよね。
かつて 療養所にいた叔母を訪ねた時 ぱあ~っと表情を明るくし
それはもう嬉しそうに迎えてくれました。
お茶の関係で京都に来る機会も多く 学生時代にはよくご馳走になりました。
いまは寧ろそうした思い出を 私のなかで懐かしく甦らせています。
> 叔母さまのご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました
此処でのやりとりも 虹の彼方に向かう叔母への餞と思い ありがたく存じます
デ某さんやご親族のお気持ちを思うと
上手く言葉が見つかりません。
叔母様のご冥福をお祈りいたします。
お父さまを思いやるお母さまのお姿に、
歳を重ねても、いつまでも温かく愛情ある夫婦でいる事の大切さを感じました。
デ某さん、
お疲れが出ませんように
くれぐれもご自愛くださいね。
コメントありがとうございました
久しぶりに書き 久しぶりに六花さんのコメントに触れ とても嬉しいです。
> 今年は老いた身にはとても応える猛暑ですね。
「老い」には関係なさそうですよ
帰省先の境港(鳥取県)の最低気温は22~23℃でしたが、
関西の最低気温はそれより更に5℃高い27~28℃の「南国の夜」です。
> 何が起きるか分からないを併せ持つ老人 六花もその一人だとしみじみ・・・
やや耳が遠くなり話もくどくなった叔母には 顔を近づけて語りかけていました
ですから 私の感覚の中にまだ叔母の匂いさへ残り 現実感のなさに戸惑います。
叔母は独り身、独り暮らしでしたけど、
六花さんにはご子息もお嬢様もお孫さんもいらっしゃって心強いと思います。
何があってもすぐ!大切にサポートされ 心強いことと思います。
> 叔母様は みなさんに慕われて
> その方で無ければわからない幸せな最期
でしたね。
十数人いる甥と姪は マレーシアにいる甥を除けば全員!揃いました
いつまでも天真爛漫で たくさん愛した分だけ たくさん愛された叔母でした。
> デ某さんもきっと寂しさの中に居られることでしょう。
> たくさん偲び 泣いてあげて下さいネ。
葬式に参列できなかった方が、夜、叔母の家を訪ねると「真っ暗だった」と...
その後 わが家に来られ そう仰られました。
虚を衝かれ...みんな言葉を喪くしました。
いちばん寂しかったのは 亡くなった叔母自身だったのでした。
> お父様 お母様 何だか幸せそうですね。
> きっとお父様はお母様のために生きていらっしゃると思えてなりません。
> 息子は有る意味 最高のサポーターですね。
家族で話し合い いわゆる延命治療はしないことにしています。
そうした中でも 父の命は脈々と繋がれています。
しかし父の亡き後の母については つい思考が停止してしまいます。
「息子」に限らず、遺される者もみな命を分かちあう宿命ではあります
> 年齢に不足はありませんが...なんて書かないで下さい。
> あと六花もそう言われるまで5年しか無いのだなぁーと 思って仕舞いました。
小さい頃ジフテリアに罹り、中学生だった父が病院まで数km背負って行った由
戦後 結核で背中からメスを入れられ サナトリウムで療養したこともあります。
よくぞ生きてきた叔母であり 「年齢に不足は...」と書きました。
六花さんは ご病気などご苦労された分 健やかに長く愉しく生きましょうね
ありがとうございました
お掛けする言葉が見つかりません。
叔母さまのご冥福をお祈り申し上げます。
応える猛暑ですね。
何が起きるか分からない 併せ持つ老人
六花もその一人だとしみじみ・・
叔母様は みなさんに慕われて
その方で無ければわからない幸せな最期
でしたね。
デ某さんもきっと寂しさの中に居られることでしょう。
たくさん偲び 泣いてあげて下さいネ。
お父様 お母様 何だか幸せそうですね。
きっとお父様はお母様のために生きていらっしゃると思えてなりません。
息子は有る意味 最高のサポーターですね。
年齢に不足はありませんが・・何て書かないで下さい。
あと六花もそう言われるまで5年しか無いのだなぁーと
思って仕舞いました。
最もそれでいいのですがね。
叔母様のご冥福をお祈り申し上げます。