デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー、海外旅行記、吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

敗戦記念日によせて

2017-08-15 14:58:37 | 新聞・TV・映画・舞台・書籍etc.


 ビカソ「ゲルニカ」。独軍の無差別爆撃で廃墟と化したゲルニカ(スペイン)が描かれています。実物は存じませんが、原寸大の陶板画を鳴門美術館で見て、岡本太郎「明日の神話」が日本の「ゲルニカ」なら、「ゲルニカ」はスペインの「明日の神話」と・・・。

  今朝の朝日新聞第一面。「ヤミ民泊」よりも「小型機墜落」よりも小さく・・・下段隅に「きょう終戦72年」と。最早この国に8月15日はなかったかのようです。軍人・民間人あわせて日本人290万人(世界で6~8千万人)が殺された戦争だったのですが・・・

 

 左は「焼き場に立つ少年」(米軍属カメラマン J.オダネル氏撮影)。敗戦直後の長崎。幼い妹の亡骸を焼き場に運んだ裸足の少年の直立不動の姿に胸が詰まります。その後、どのような人生を歩まれたのか・・・ご存命であればたぶん80代半ばでいらっしゃいましょう。

 ヴェトナム戦争中の1972年、AP通信のカメラマンが撮った右の写真はピューリッツァー賞を獲得しました。裸の少女はキム・ファンさん(当時9歳)、英国の記者に救われ英国へ、その後カナダ国籍を取得し現在は紛争下の子供達の救済に活躍されています。




 13日、千里ニュータウンにある女子大の講堂で開かれた佐藤しのぶさんのコンサートに参りました。第一部は「口づけ」「愛の喜び」「ある晴れた日に」のほか、清水徹太郎さん(テノール)の独唱「乾杯の歌」も加わり、愛の歓びにみちたステージでした。

 圧巻は第二部。荒廃した戦後の日本が花に満ちて甦ることを願って作曲した團伊玖磨さん「花のまち」、ご存知の「さとうきび畑」、なかにし礼さんの平和を願う渾身作「リメンバー」、そして「約束」、エピロークには「花は咲く」を心こめて謳われました。


 「原爆許すまじ」という歌があったなぁ・・・とYou tube.をさがしていて、京都の少年少女合唱団がワルシャワで歌った「原爆許すまじ」「虹の橋」に出遭いました。澄明な歌ごえが心深くにとどき、なんどか繰り返し聴いた後、正午になり・・・ひとり黙祷しました。



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8 コメント

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Unknown (すけつね)
2017-08-15 18:30:00
《原爆許すまじ》を久しぶりに聴くことができました。
ありがとうございました。
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Re: すけつねさん (デ某)
2017-08-15 20:55:08
すけつねさん
思いがけないコメント・・・ありがとうございました

小学校低学年の頃、学校で「原爆の子」の上映会がありました。
その時、「原爆を許すまじ」を初めて聴いたように思います。

今、「みたびゆるすまじ」の言葉の重さを改めて思います。
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☆平和への誓い☆ (ふじのりんご)
2017-08-16 10:03:09
デ某様
折角、報せて下さった≪しのぶさんのコンサート≫ 行けずじまいでした
歌の力
素敵なコンサートだったんですね、1部2部の曲を拝見して共感しました。

昨日は終戦の日でしたね、
テレビ中継で日本武道館 全国戦没者追悼式が放映されてましたが、、
猛反省して二度と・・・しない!と宣誓して欲しいです。

キム・ファンさん 悲惨な状況から救われて、今活躍されていると~~心鎮まる思いです。
有難うございました。
返信する
Re:ふじのりんごさん (デ某)
2017-08-16 10:26:32

ふじのりんごさん
コメントありがとうございました

> しのぶさんのコンサート 
> 歌の力 素敵なコンサートだったんですね
終演後、少しお話をきく時間がありました
「歌手が戦争と平和を語るには勇気がいります。
 今 自由に語れない窮屈な時代になりました。
 でも今日は思いきり語り歌いました」と。

> 1部2部の曲を拝見して共感しました。
プログラムに彼女の志操がよく現われています
アンコールは「ふるさと」。
客席との大合唱になり しのぶさん思わず涙を・・・

> 昨日は終戦の日でしたね、
> 全国戦没者追悼式が放映されてましたが
> 猛反省して二度と・・・しない!と宣誓して欲しいです。
加害!について総理に遂に反省の言葉はなく
それでも天皇さんは
「過去を顧み深い反省とともに・・・」のおことば。

> キム・ファンさん 
> 悲惨な状況から救われて、今活躍されていると・・・
ユニセフの活動はじめグローバルに活躍されていますが
一方で 裸で逃げまどう写真を「少女ポルノ」と弾劾し
FACEBOOK では削除する動きが広まっている由。
関西風には「なにをサラシのフンドシ」です。
返信する
愚かな挑発 (風のフェリシア)
2017-08-17 21:08:20
原爆による惨状を知ってか、知らずしてか、愚かな挑発を繰り返す誰かさん。志願兵も殺到しているとかで、情報統制と偏った教育の恐ろしさも実感。
なんだかな~の心境。
本当に久々「原爆を許すまじ」を聞きました。
日本は(そして私も)もっと伝えなければ。
返信する
Re:風のフェリシアさん (デ某)
2017-08-17 21:59:13
風のフェリシアさん
コメントありがとうございました

> 原爆による惨状を知ってか、知らずしてか、
> 愚かな挑発を繰り返す誰かさん。
尊大な刈上げの青年をカリスマと言うのであれば、まさに造られたカリスマかと・・・
しかし「知ってか、知らずしてか」は私達自身に跳ね返りそうな言葉でもあります

> 情報統制と偏った教育の恐ろしさも実感。
情報統制(操作)は、彼の国に限らないのが悲しく口惜しいです
在(有)るものを無い!と言い張り、
良心に基づきだされた文書を「怪文書」と吐き棄て、
勇気ある発言をした人を「素行に問題のある人」と貶め、
欺きとおした者は長官にご出世なさるのですから。

> 本当に久々「原爆を許すまじ」を聞きました。
> 日本は(そして私も)もっと伝えなければ。
伝えたいことは山ほどありますが、いつも虚しく・・・
その点、右の論客は無茶苦茶!元気ですよねぇ

実はもう更新するところでした
滑り込み?のコメントありがとうございました
返信する
戦争 (遠音)
2017-08-18 06:47:40
今年は 戦争に 敗戦に 原爆に触れる更新を
しませんでした。
どう書いたら良いのかー言葉を見失っていたからでした。
今日ゆっくりとデ某さんの記事を読み
フェリシアさんのコメントを読み
ひとつ気が付いたことがありました。
それは 戦争の中で子どもではあったけれど
私は生きていたのだということです。
その時、子どもたちはどうしていたのか
その時子どもの目から見た大人たちは
どんな生活をしていたのかを私の視線から
だけですが 知っているのです。
話し、書かなければなりませんねー
返信する
Re:遠音さん (デ某)
2017-08-18 08:24:53

遠音さん
丁寧なコメントありがとうございます

> 今年は 戦争に 敗戦に 原爆に触れる更新をしませんでした。
> どう書いたら良いのかー言葉を見失っていたからでした。

三回にわたり戦争、核について記しました。
記しながら 自身どこか焦点が定まらない・・・との焦燥感を覚えつつ記しました。
遠音さんのコメントに「自分だけやないんやなぁ」と思い 妙に安堵しました。

> デ某さんの記事を読み フェリシアさんのコメントを読み
> ひとつ気が付いたことがありました。
> 戦争の中で子どもではあったけれど 私は生きていたのだということです。

私は「戦争を知らない子どもたち」世代です。
でも郷里の砂浜にはしばしば不発弾(魚雷)が流れつき
町内の方々に進駐軍の将校クラスが住み
少年野球の日米対抗?は グラブを揃えた進駐軍側に対し 私達は素手で立ち向かいました。
街角には傷痍軍人が物乞いに立っていました。
まだ方々に戦争の臭いが残っている時代でした。

> その時、子どもたちはどうしていたのか
> 子どもの目から見た大人たちはどんな生活をしていたのか
> 私の視線からだけですが 知っているのです。
> 話し、書かなければなりませんねー

ぜひ!リアルに・・・書いてくださいね。
虚しさを覚えつつ 私も私の中に残る戦争の残香?を書きたいと思います。
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