All painted by Qp …… 重いテーマゆえ随所に与勇輝さんの作風模写並びに季節の花を特集しました。
栗本薫「ぼくらの時代」は、私が三十になったばかり・・・多忙の割にはよく読書した頃に読みました。賞をとった作品は必ず読むという無定見な私、江戸川乱歩賞の受賞作ということで読み、推理小説としては一風毛色の変わった作品にそれなりに惹かれました。
以後2、3作読んだものの、殆ど印象に残らないまま忘れていました。栗本薫さんが、中島梓という筆名でも書いていることは知っていましたから、つい先日、図書館で偶々目にした中島梓「転移」。お名前と書名に吸い寄せられるように借り受けてきました。
その「転移」を呼んでいるとき、腎がん友の旅立ちの報に接しました。面識はありませんが、病に対峙する姿勢に共感し学ぶところの多い方でした。「転移」は中島梓(栗本薫)さん自ら「病状報告と遺書を兼ねて」と記している書・・・改めて感慨深く読みました。
中島梓さんは乳がん切除(1990年)、胆嚢・十二指腸切除(2007年)、2008年には膵臓を原発とする肝臓へのがん転移がわかり手術、抗がん剤治療へ。『もうじき死ぬかもしれないということになってみると、ものの考え方、感じ方がすごく変ってきた』と。
『本当に本音だけを書いて行きたいな。でも人を傷つけるようなことは書かないようにと思ったりします』『これがどのようになって行くのかわかりませんが、取り敢えず湖に小舟を出してみることにしましょう』とこの書の巻頭「プロローグ」に記しています。
日記は2008年9月5日『やはり体調は低下している』との書き出しで始まります。11日。日経のインタビューに『(検査)数値はそれほど上っていないが、免疫力が低下しているので記者の咳が気になる』『夜、背中の痛みで眠れない。相当具合が悪い』。彼女は文筆家のほかジャズピアニストでもあります。13日『2曲を弾く。<時の過ぎゆくままに>と<オールド・ダイアリー>』。花束を貰って、『びっくりした』。
10月1日。『あれこれたくさん経験してきたし子供も生んだし・・・江戸時代なら平均寿命なんだし』『でもあと10年生かして下さい。まだやりたいことがあります、と訴える自分がいる』『食べたい、食べられるのはインスタントラーメンに甘いものにやわらかい食パン』。4日『ライブ一つ一つ、一曲一曲が、もしかして最期になるかもしれない』。6日『起きてカーテンを開けてもちっとも明るくならない。暗い朝だ』。
10月8日。ホスピスの記事に『そろそろ考えなくてはいけないのだろうか。普通の生活ができるようになるのだろうか。それがはっきりしないのが辛い』『今回のCTで今後の運命がきまる』。13日。上野千鶴子「おひとりさまの老後」を読み『おひとり様で老後を送るのは主人。私は先に死んでしまうのがほぼ確実』。19日。散歩して『全身がとても歓んで太陽を浴びている。木々と自然と水と太陽と風のパワーをもらう』。
11月3日『上昇気流に乗ったと思っていたのに、またグンと下向きになってしまった。夕食の準備をする気力も体力もない』。同4日は一転『きょうは昨日より百倍調子がいい』『これまで生まれてきた人間はすべて死んだのだ。それをどうして怖れ拒むのか。死んではならない、貧乏ではいけない、無名ではいけない、有名で健康、金持ちで不死身でなくてはならないと言わぬばかりの西欧の人間至上主義が私は恐ろしい』。
11月14日『親友Sさんとお寿司を食べに行った。着物をきて、シャレこんで、カウンターに』『赤身のマグロがなんとも言えぬほどおいしかった。こんなにおいしいマグロを食べたのは初めての気がする』と思うが、翌15日『割り切れない、不条理、なんで私だけが、と思う部分が心に残っていて、心の中でざわざわする。苦しんで、受け容れて、己れを作って行く・・・ことによってだけ人は本当の自分自身と和解できる』。
11月19日『あぁ旅がしたい。さしづめポルトガルとイタリア、国内なら京都も行きたいが、やはり長崎』『体重が2kg減っていた。このまま抗がん剤を続けられるのだろうか』。20日、CTと診察。『転移が一つ増えてしまったうえ前からあった三つがそれぞれ大きくなっていた』『肝機能は良かったが、腫瘍マーカーは大変な数値で、意気消沈して家に帰る』『疲れて眠っていたらダンナが傍らで手を揉んでくれていた』。
11月25日『雑誌に膵臓がんの闘病が出ていた。術後に肝転移した場合、最長で生きたのが15月と言った話が延々・・・気が滅入った』。『がんになったことはそんなに厭ではない。その試練を光に変えれば総ての苦しみは光の源になると思っていた。しかし死にたくない。久々に泣いてしまった』。29日。『色んな危機があってこうして一緒にいて、今は女房が死ぬの生きるの・・・私と結婚して(夫は)可哀想だなあって思う』。
12月1日。『完全に無気力なって・・・いっそ早く死んだほうが楽かな、などと思う』『毎日、体重が減って行くのはやっぱりなんだか、怖い』。良い結果には良い気分になって・・・『血液検査の数値は悪くない。体調が劇的に改善された感じがする』。しかし7日にはまた気弱に戻る。『今日はいったいどんな楽しいことが待っている日になるのだろう、と胸を膨らませて起きられるというのは若い頃だけの特権かもしれない』。
12月11日『背中痛が酷く、強い鎮静剤をのむと5分もたたないうちに痛みがす~っと身体中で治まってきた。これはやはりただごとではない薬だ』。12日『きょうは暖かな穏やかな一日。テキメンに身体の具合がいい。びっくりするぐらいテキメンだ』。が、浮き沈みは烈しく16日になると『内臓がでんぐり返ったような痛さ。下腹がぐちゃぐちゃになっている』。25日も『猛烈に具合が悪くどうにもならない』。
2009年1月3日。おみ籤で大吉を引き『病軽ろし治る、にみんな歓ぶ』。ふと仕事が気になり『ずっと小説が書けないままにいる。書きかけの3本を早く片付けたい』。5日『原稿を20枚。これが私の事実上の仕事始になった』。9日『先生方はCTの結果を深刻に受けとめたようだが、私は見かけだけは元気そうらしい』。13日『1日の70%はうつらうつら眠ってばかり。お茶漬け一口流し込んでも気分が悪くなる』。
1月15日『音をたてて生きる意味が萎えて行く。もう長くなくていいと水底に吸い込まれるように思う』『傷みが治まると精神も治まる。傷みが人の精神に与える影響は大きい』。17日『必死に世の中に寄り添おうとしたものが一気に崩壊、巣穴の中で気持ちが良いことだけを望んでいる』。31日『明日から2月。やっぱり2月も生きていたい。あと1年・・・もうちょっとの寿命をどうか神様が私に与えてくれますように』。
2月4日『もう一度会って話をしたかったなぁと思いつつ、結局会えないまま、亡くなったと聞くことがふえた。会いたいと思ったときは会っておきたい。それが永遠の別れになるかもしれないのだから』『小説を書いていない私は、かりそめの存在に過ぎない。どれだけ一所懸命 現世の人間のふりをしてもやっぱりかりそめの存在なのだ』『すべては夢なのかもしれない。小説が本当で、あとのすべて夢なのかもしれない』。
2月10日。中島梓さんがこの日記を書いた日からちょうど10年たちました。
『がんは確実に成長しつつある。次のCTでまた成長していたら、末期が近づいてきていると思わなくてはいけない。どれだけ親に心配をかけたくない、子供を苦しめたくないと思ったところで、この病気をなかったことにすることは出来ない』。
ここまでまだ書の3分2ですが、親しいがん友の日記を読んでいるような苦しさに3分の1を残し一気に2009年5月12日、絶筆となる最期の日記にとびました。
1か月単位でしか計画を立てていなかった彼女に主治医から『大変残念ですが、1週間・数日単位でしか考えないほうがいいように思う』と告げられてなお彼女は綴ります。『これからこそ書かなくてはならない。結局のところまだ私の命は動いている』。
本当に最後の最期となる日記は 5月17日 です。しかしそのページには 『ま』 の一文字のみ。この日彼女は昏睡状態となり5月21日19時18分 永遠の眠りにつきました。
辻井伸行さんのアイスランド公演アンコール曲・・・ショパン「ノクターン」。最後、映像も音もフリーズした一瞬の後、鳴りやまぬ拍手、スタンディングオベーション・・・腎がん友と中島梓さんの旅立ちとオーバーラップしレクィエムのように聴きました。
【追記】今朝の新聞に八千草薫さんが暫くお仕事を休まれると報じられました。昨年1月、すい臓がんを手術され、今年新たに肝臓への転移がわかったため治療に専念される由。いつも美しく気品のある女優さん。お元気に戻って来られますよう心よりお祈りします。
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風のフェリシアさん
お早うございます。コメントありがとうございました
返信が遅くなり申し訳ありません
> 栗本薫→,中島梓とは別人。友とおもっていました。で、勝手に男性だろうと憶測。
間違えますよね、「薫」「梓」は男女ともにある名前ですし
さらに書名が「ぼくらの時代」に至っては 愈々!
> 偏屈な私は、芥川賞受賞作品、男性の作、翻訳ものに偏った読書をしていました。
偏屈だとは思いません。若干!偏向気味?ではありますが...
> 女性の本でまともに読んだのは「たけくらべ」だけ。トホホ。
思想的に偏向しているのでお奨めしませんが、私、曽野綾子を結構!読みました
またむか~し!森村桂さんのシリーズも...。
> 「〇ぬのは怖くない」と私も思う一人です。
「〇ぬ」ことについて、私は「怖い」より「淋しい」が心を占めます。
親しい方の死に際しても「悲しい」「痛々しい」より はるかに「淋しい」。
> この青い惑星に...が誕生してから、〇ぬことに
失敗した人はいないので
父の死亡診断書に「老衰」と記されていました。
晩年は認知症でしたが、悲しみも淋しさも怖さもない仕合わせな旅立ちであったと思います。
最終的に誰も失敗しない終わり...。
終わりのその先にあるものも 悲しみでも淋しさでも怖さでもないのかもしれません。
あるいは 終わりの先にあるものは 別の新たな始まりでしょうか。
> 突然の変調ですが、この地球に生命が誕生してから
突然!に当惑しない人はいますまい。
フェリシアさんの新たなブログ名「ひとり朽ちる」に私の心はうたれ
フェリシアさんの受け身が仄かに私の心身に伝ってまいります。
何億光年かの限りなく遠い未来 この地球に生命がなくなる日、
その日まで 夥しい数の生命が生まれつづけ 生まれ変わりつづけるのだと 思いました。
偏屈な私は、芥川賞受賞作品、男性の作、翻訳ものに偏った読書をしていました。
女性の本んでまともに読んだのは「たけくらべ」だけ。トホホ。
「〇ぬのは怖くない」と私も思う一人です。この青い惑星にが誕生ししてから、〇ぬことに失敗した人はいないので(^^)
突然の変調ですが、この地球に生命が誕生してから
コンさん
コメントありがとうございました
>> 「明日から2月、やっぱり2月も生きていたい」
> とてもわかってあげられないけど、しみますね。
ブログに闘病のご様子を綴られ旅立たれた方を何人か存じています。
ほんとうに・・・こころにしみます。
> 実は一冊も読んだことありません。
> 本屋にずら~っと並んでたのは知ってましたが…若い男性かと思っていました。
コンさん、かつて書店に勤めていらっしゃいましたものね。
中島梓さんは 私より少し下の世代の方です。
でも時代感覚としては ほぼ共有できる世代だと思います。
> 教えてくださってありがとうございます。
> 辻井さんのノクターンも感動しました。
「栗本薫」名で書かれた「ぼくらの時代」、
お時間がおありのとき図書館でご一読ください。
辻井伸行さん、天才の才!が歳とともにますます大きく花開きますね。
嬉しく誇らしく思います。
> 八千草薫も永遠の憧れです。
> ちゃんとまわりに迷惑をかけないように発表して、生き様もすばらしいですね。
いつも控え目に目立っていらっしゃいます(笑)
「永遠の憧れ」と仰るお気持ち、よくわかります。
> 2月の15日も6月の27日も服部図書館で出ます。
> よろしければ聴きに来てください。特に6月は私が担当です。
今月15日は びみょ~?です。
6月はまだわかりませんが、手帳にメモしました。
さて、今から確定申告に行ってまいります。
アナログ人間ですから 手書きしたものをいつも手渡しに参ります。
今年は二桁!還りそうです(勿論 万単位で)
「明日から2月、やっぱり2月も生きていたい」
とてもわかってあげられないけど、しみますね。
実は一冊も読んだことありません。本屋にずら~っと並んでたのは知ってましたが…若い男性かと思っていました。
教えてくださってありがとうございます。辻井さんのノクターンも感動しました。
八千草薫も永遠の憧れです。ちゃんとまわりに迷惑をかけないように発表して、生き様もすばらしいですね。
こんなところで何ですが、2月の15日も6月の27日も服部図書館で出ます。よろしければ聴きに来てください。特に6月は私が担当です。
ふきさん
コメントありがとうございました
相変わらず? 早起き or 宵っ張りでいらっしゃいますか?
> 栗本薫が逝ってから10年経ちましたか…
私は実は亡くなられたことを存じませんでした。
それぐらい私の中で彼女は遠い存在でした。
> 「ぼくらの時代」も 中島梓の「転移」も 読んでいます
私の知りあいのお嬢さんが、中学~高校生の頃に達者な文章を発表!していました。
いつも一人称は「ぼく」、知らなければ男の子の書く内容でもありました。
栗本薫の影響でもあったのかなぁ、と 今にして思います。
彼女、いま四十代半ば、バリバリの外科医です。
> 自分と同世代同級生?の女流作家では 林真理子 群ようこ… 中島梓もそうです
望月真理子の書で読んだのは「京都まで(最終便に間に合えば)」ぐらいでしょうか。
ただ図書館で雑誌を開くと彼女のエッセイや対談を思わず?読んでしまいます(笑)
> 前者のふたりは柔らかく緩い 中島は固くて真面目で強い
> 同世代の女性が花咲き誇っていた時代を 懐かしく思い出します
多くを読んでいませんし、それぞれ 似ている!とは思いませんが、
時代への嗅覚 or 感性と言いますか…そこのところに共通するものを感じます。
それぞれブレイクされた頃は、ふきさんも世界にブレイク!された頃ではありませんか?
私の亡くなった従姉のつれあいはその少し前(60年代終わり~70年代初め)に欧州をボヘミアン…
帰国してから神学を学び牧師になりました。
ボヘミアン クリスチャン ラプソディかな?(笑)
> 50歳で自分の人生をリセットした私は 肝が座った … そんな中での中島梓さんの旅立ちでした
> 後日「転移」を読んだ時も冷静でした
私には 少し若い世代の中島梓さんより 少し旧い世代の森村桂さんの自死が印象的でした。
高校生の頃に彼女の作品をたくさん読んでいましたし…少なからぬ衝撃でした。
> 起こして下さった事で 何度も何度もその文章を読み返しています 万感胸に迫りました
メモをとりながら読み進めるのはせいぜい年2~3作、そのうちの一冊でした。
文章を写していると、作者の「呼吸」を疑似体験するものですね。
庄司薫「赤頭巾ちゃん…」など一連の文体の影響を受けているように思いました。
なお庄司薫は 福田章二の名による「喪失」が寧ろ代表作だと思っています。
> 10年前の自分とは全然違います
> 生きるを「感じる」私に気づかされました 柔らかく緩くですが
「死ぬる」を感じることと「生きる」を感じることは まさに表裏かなぁ。
私は今どちらかと言えば「死ぬる」自身を思います 薄く緩くですが(笑)
> 中島梓はあっちの世界から 緩い奴らを見て 地団駄しているかもしれません
> 「善人は若死にする」 中島は善人すぎました
このくだりでふきさんの心の立ち位置をおぼろげながら理解しました。
私は悪人かなぁ… 少なくとも善人ではなさそうですけど… 長生きできるのかなぁ?
> 善人が少なくなったかもしれない日本は ちょっと大変な事になっています
> いずれまた我々も 中島梓の傘下に入る事は間違いありません
「いずれまた我々」の我々!には ふきさんは勿論ながら 私はそこに入るのでしょうか?
どちらかと言えば悪人の私ですが
いずれ入るにあたっては 善人の傘下に入ることを切望!いたします。
「ぼくらの時代」も 中島梓の「転移」も 読んでいます
自分と同世代同級生?の女流作家では 林真理子 群ようこ…がいますが
中島梓もそうです
前者のふたりは柔らかく緩い 中島は固くて真面目で強い
同世代の女性が花咲き誇っていた時代を 懐かしく思い出します
50歳で自分の人生をリセットした私は 肝が座ったと言いますか
そんな中での中島梓さんの旅立ちでした
後日「転移」を読んだ時も冷静でした
今回デーさんが起こして下さった事で
何度も何度もその文章を読み返しています
万感胸に迫りました
10年前の自分とは全然違います
生きるを「感じる」私に気づかされました
柔らかく緩くですが
中島梓はあっちの世界から 緩い奴らを見て 地団駄しているかもしれません
「善人は若死にする」
中島は善人すぎました
善人が少なくなったかもしれない日本は ちょっと大変な事になっています
いずれまた我々も 中島梓の傘下に入る事は間違いありません