十八で郷里を出て半世紀たちました。郷里を出るときも郷里を出てからも、いつか郷里に帰りそこで暮らしたいと思ったことはただの一度もありません。郷里が憎いからでも厭だからでもなく、そして珠玉の思い出がいっぱいにつまった郷里ではあっても・・・。
郷里の海を見るのが好きでした。山を見るのはもっと好きでした。満天の夜空の星は文字どおり銀河!でした。高度経済成長真っ只中の都会にはない空でした。かび臭も塩素臭もない水道水をごくごく飲んでいました。それは今も殆ど変りはないと思います。
朝日に映えて聳え立つ紫深き大山を日毎に仰ぎ励みつつ若き学徒の集う園(母校の校歌より)
加山雄三「夜空の星」。ラジオから流れる歌を聴きながら「都会の子はほんとうの夜空の星を知らんだろうなぁ」と思っていました。如何にも都会育ちでコンプレックスを煽られる加山雄三より、詰襟を着て律儀に歌う舟木一夫の歌謡曲がよほど好きでした。
高校時代、ベンチャーズのテケテケがはやり幾つものロックバンドがありました。文化祭ともなると、どのバンドも「ブルドッグ」「パイプライン」などを競って演奏する中、「キエン・セラ」「鈴懸の径」などを演奏するエレキバンドもあり多彩でした。
郷里は境港市。漁港ですが、時々ラワン材を積んだロシア船が入港しました。ロシア船には女性船員もいて、真冬でも港から遠く離れた砂浜でビキニで日光浴をしていました。白磁器のような肌が眩しく、ハラショー! スパシーボ! の二語で交流しました。
「弓が浜」にふさわしい青松白砂の向うに出雲半島。弓が浜と出雲半島の間の海峡が境港。
対岸の出雲半島山上に極東をカヴァーするレーダー基地があり、私の高校時代は米軍管理下にありました。ESSで訪ねた基地内のロビーにはスロットマシンが置かれ、コーラを自由に(タダで)飲めました。当時の日本社会には存在しない遊具、飲料でした。
山上にある白い建物が森山レーダー基地。現在は自衛隊と米軍の共同管理下にあると思います。
郷里の方言を「浜弁」と言います。鳥取県の東部は旧因幡藩、優しく穏やかな言葉です。西部は旧伯耆藩、米子は商人風の角(カド)のない言葉ですが、境港は荒っぽい漁師言葉です。卒業時、その浜弁を「都会に出ても忘れまい」と同期で誓い合いました。
浜弁の高校生の会話。『〇〇くん ウチのこと好いちょう?』『いや 別に・・・』『かくしたらいけんけんね』『別にかくしちょらんけん』『好いちょうなら好いちょうって言うだがや』『まあ 少しは好いちょう』『ウチは〇〇くんをいっぱい好いちょうけんね』
浜を埋立てた先にヨットハーバーが造られ、様々な大会が催されます。後方の山並は中国山脈。
郷里で暮らした年月の三倍近くを関西で過ごしていますから、浜弁は忘れていませんし聞く分には問題ありませんが、喋るのには抵抗があります。どちらがネイティブか?と問われれば、どうにも難しく答えられません。二重国籍のような感じでしょうか・・・。
弓が浜の真ん中あたりは田畑が広がり、ラッキョウやネギが特産です(絵は亡き叔父の作品)
郷里を出るときの「帰ろうとは思わない」には青雲の志もあったかもしれません。しかし長く関西で暮し、二重国籍のような或いは浮草のような感覚の所為でしょうか、もうたくさん!といった少しやさぐれた感覚もあります。わかりづらいでしょうが・・・。
郷里で父の三回忌をしました。お坊さんは『三回忌を以てほんとうに喪があける』と。父は、喪が明けなくても明けても「ワシに構わず自由にしていいよ」と優しく言ってくれているように思います。しかし健在!の母は容易に自由にはさせない風情です(笑)
ふるさとの野山で初めて芽生えた あどけない二人の 小さな愛 空よ 教えてほしいの・・・
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【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
郷里の海を見るのが好きでした。山を見るのはもっと好きでした。満天の夜空の星は文字どおり銀河!でした。高度経済成長真っ只中の都会にはない空でした。かび臭も塩素臭もない水道水をごくごく飲んでいました。それは今も殆ど変りはないと思います。
朝日に映えて聳え立つ紫深き大山を日毎に仰ぎ励みつつ若き学徒の集う園(母校の校歌より)
加山雄三「夜空の星」。ラジオから流れる歌を聴きながら「都会の子はほんとうの夜空の星を知らんだろうなぁ」と思っていました。如何にも都会育ちでコンプレックスを煽られる加山雄三より、詰襟を着て律儀に歌う舟木一夫の歌謡曲がよほど好きでした。
高校時代、ベンチャーズのテケテケがはやり幾つものロックバンドがありました。文化祭ともなると、どのバンドも「ブルドッグ」「パイプライン」などを競って演奏する中、「キエン・セラ」「鈴懸の径」などを演奏するエレキバンドもあり多彩でした。
郷里は境港市。漁港ですが、時々ラワン材を積んだロシア船が入港しました。ロシア船には女性船員もいて、真冬でも港から遠く離れた砂浜でビキニで日光浴をしていました。白磁器のような肌が眩しく、ハラショー! スパシーボ! の二語で交流しました。
「弓が浜」にふさわしい青松白砂の向うに出雲半島。弓が浜と出雲半島の間の海峡が境港。
対岸の出雲半島山上に極東をカヴァーするレーダー基地があり、私の高校時代は米軍管理下にありました。ESSで訪ねた基地内のロビーにはスロットマシンが置かれ、コーラを自由に(タダで)飲めました。当時の日本社会には存在しない遊具、飲料でした。
山上にある白い建物が森山レーダー基地。現在は自衛隊と米軍の共同管理下にあると思います。
郷里の方言を「浜弁」と言います。鳥取県の東部は旧因幡藩、優しく穏やかな言葉です。西部は旧伯耆藩、米子は商人風の角(カド)のない言葉ですが、境港は荒っぽい漁師言葉です。卒業時、その浜弁を「都会に出ても忘れまい」と同期で誓い合いました。
浜弁の高校生の会話。『〇〇くん ウチのこと好いちょう?』『いや 別に・・・』『かくしたらいけんけんね』『別にかくしちょらんけん』『好いちょうなら好いちょうって言うだがや』『まあ 少しは好いちょう』『ウチは〇〇くんをいっぱい好いちょうけんね』
浜を埋立てた先にヨットハーバーが造られ、様々な大会が催されます。後方の山並は中国山脈。
郷里で暮らした年月の三倍近くを関西で過ごしていますから、浜弁は忘れていませんし聞く分には問題ありませんが、喋るのには抵抗があります。どちらがネイティブか?と問われれば、どうにも難しく答えられません。二重国籍のような感じでしょうか・・・。
弓が浜の真ん中あたりは田畑が広がり、ラッキョウやネギが特産です(絵は亡き叔父の作品)
郷里を出るときの「帰ろうとは思わない」には青雲の志もあったかもしれません。しかし長く関西で暮し、二重国籍のような或いは浮草のような感覚の所為でしょうか、もうたくさん!といった少しやさぐれた感覚もあります。わかりづらいでしょうが・・・。
郷里で父の三回忌をしました。お坊さんは『三回忌を以てほんとうに喪があける』と。父は、喪が明けなくても明けても「ワシに構わず自由にしていいよ」と優しく言ってくれているように思います。しかし健在!の母は容易に自由にはさせない風情です(笑)
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吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
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吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
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閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
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えりこちゃんさま
コメントあがとうございました
嬉しくて久しぶりに「えりこちゃん」と呼ばせていただきました
で レスポンスが遅れ 申し訳ありません
> お父様、もう三回忌だったんですね。
葬儀の翌年が一周忌、翌々年が(数えで)三回忌となりますので まる2年(3年連続)。
殆ど毎月のように帰省し、お墓・仏壇におまいりしていますので、
法事でお坊さんに来ていただく時だけいつもと異なり 格別!の感慨がわいてまいります。
> お父様・・・私の父と同じ日に旅立たれましたか?
父はこの27日で9回忌を迎えます。
はい。命日は10月27日、えりこさんのお父様と同じです。
明日が命日・・・父親を偲ぶ日が同じ日とは本当にご縁を感じます。嬉しいです。
> お誕生日はムスコと同じ日だったように記憶していますので、
> ご縁を感じちゃったりしてまーす
9月3日が父の誕生日、そのひと月前の8月3日が愚息の誕生日です。
三日つながり・・・ぐるりと?ご縁を感じま~す!
> 私の生まれ故郷は、今デ某さんがお住まいのところですが、
もう懐かしの我が家には他の方が住んでおられます。
そうでしたね。天神さんの縁日にはともこちゃんといらっしゃる由、
ご一緒させていただきたいほどです(笑)
なお妻がえりこさんのご出身の高校で講師をしていたご縁もあります。
> 母の住んでいる堺のマンションが私の実家。
> 住んだことはないけど「ただいまー!」と帰ります。
そりゃお母さまのいらっしゃるところが一番!の故郷ですから
> 電車で明治製菓やサンスターのあたりを通り過ぎるたびに懐かしさがこみ上げてきますねえ。
私は高槻に住んで四十数年、その間、高槻の町もすっかり変わりました
JR駅は木造平屋でしたし、西武SCは出来たばかり、松坂屋もイオンもまだなく・・・。
市バスには車掌さんが同乗していましたからねぇ。
> 本籍を滋賀県人としての年月の方が長くなっているのですが、
> 芥川や摂津峡の風景、北摂の山並み(ポンポン山も!)、地味ですけど心に染み付いています。
愚息はすっかり滋賀県人になっています(笑)
私もそのうち憧れの琵琶湖畔で暮らすようになるのかなぁと(笑)
芥川、摂津峡、ポンポン山・・・は変りませんねぇ。
変わったと言えば私のブログ名に「ポンポン山」が使われたことぐらいかなぁ(笑)
> すぐに帰れる距離にいるから、かえって油断してなかなか足を運べていませんねえ。
油断なく大いにお運びくださいまし
> とりとめない書き込みですみません🤣
ありがとうございました
とりとめなくレスさせていただきました。
また機会がありましたらお訪ねくださいね
ご家族ともどもに ご健勝、ご多幸でいらっしゃいますようお祈り申し上げます
法要のための帰省お疲れ様でした。
お父様、もしかしたら私の父と同じ日(年は違いますが)に旅立たれましたか?父はこの27日で9回忌を迎えます。
たしかお誕生日はムスコと同じ日だったように記憶していますので、またまたご縁を感じちゃったりしてまーす(^ ^)
私の生まれ故郷は、今デ某さんがお住まいのところですが、もう懐かしの我が家には他の方が住んでおられます。だから、今母の住んでいる堺のマンションが私の実家。住んだことはないけど「ただいまー!」と帰ります😊
とは言え、やっぱり時折電車で明治製菓やサンスターのあたりを通り過ぎるたびに懐かしさがこみ上げてきますねえ。
もう本籍を滋賀県人としての年月の方が長くなっているのですが、芥川や摂津峡の風景、北摂の山並み(ポンポン山も!)、地味ですけど心に染み付いています。すぐに帰れる距離にいるから、かえって油断してなかなか足を運べていませんねえ。😅
とりとめない書き込みですみません🤣
ムベさん
コメントいつもありがとうございます
> やわらかい京言葉で辛辣なイケズを言う、そんな古里が好きではないのに、
> 自分の中から、そのような言い回しが吹き出して来るとき・・「ああ・・」と嘆息します。
平安京・平城京と二つの古都暮らしをなさっているムベさん、
なんだか厭そうにお見受けしますが
それって とても羨ましがられること!だと思いますよ。
私、京都に来て下宿暮らしを始めたとき、
そこのおかみさんの京言葉に触れるたびに「平安絵巻」でも見るようにウットリ・・・
京言葉は言わば「女の七難隠す」言葉だと思います。
嘆息などつかれず 大いにはんなりお過ごしやしておくれやす(笑)
> 唐傘差して、爪革を被せた利休下駄をキュキュキュキュと行き交った・・・風景
そのくだり・・・まるで映画の1シーンの「ト書き」のようです
> 目にも耳にも焼き付いているのですが、
> たとえ訪ねてみても、そんな風景はもう私の中だけになりました。
祇園とか千本の五番町、西陣あたりも然りながら、
新町か小川通を今出川を越えずっと北に上ったあたりに・・・ありそうな光景に思われます。
真冬の雪の積もった朝・・・ムベさん、そのあたりをそぞろ歩きませんか?(笑)
> デ某さんの古里の記事に、遠くなった古里を思い出してしまいました。
ムベさんのコメントから私は
学生時代の京都の、身体の芯から冷える冬の朝を思い出してしまいました。
もう平成も最後、昭和は遠くなりにけり・・・ですね。
朝晩、寒い日がつづきます。
くれぐれもお風邪など召されず お元気にお過ごしくださいますようお願い申し上げます。
自分の中から、そのような言い回しが吹き出して来るときがあって・・、
「ああ・・」と嘆息します。
唐傘差して、爪革を被せた利休下駄をキュキュキュキュと行き交った、
あのしっとりとした風景も、目にも耳にも焼き付いているのですが、
たとえ訪ねてみても、そんな風景はもう私の中だけになりました。
デ某さんの古里の記事に、遠くなった古里を思い出してしまいました。
いせえびさん
コメントありがとうございます
> ご実家はより大山に近い米子と思っていましたが、境港でしたか。
大山の一番!良い姿が見られる境港に生まれ育ちました。
実家の二階ベランダからも大山を眺望できます。
> 境港は隠岐の行き帰り、
> 境水道大橋を渡って3度島根半島をめぐり、松江に出たことがあります。
仰るとおり境港は隠岐航路の港ですが、
灯台下暗し・・・私は実は隠岐に行ったことがありません
松江のお城「千鳥城」はなかなかの名城、なかなか良い町です。
余談ながら、昔、好きだった娘の家は「千鳥屋」という洋服店でした(笑)
> 市内は有名になる前の水木しげるロードを歩いたことがあります。
まだ妖怪のブロンズ像がそれほど多くなかった頃でしょうね。
妖怪ロードで土産物店は繁盛していますが、
商店街としての機能が廃れてしまったのが残念です。
> 国道際に車を止めて弓ヶ浜越に大山をながめていました。
そのアングルが一番!です。
港タワーもありますので、機会がありましたらその展望台からもご覧ください。
タワーのすぐ隣、皆生温泉と同じ泉源の「みなと湯」でひと風呂浴びるのも宜しいかと(笑)
> トワ・エ・モアの「空よ」、なつかしいですね。
> 私もいつかアップしようと思っていましたが、先を越されてしまいました
ブログ記にふさわしい曲は・・・と考えていたとき
『ふるさとの野山に・・・』の歌詞がふっと浮かび、「空よ」にしました。
どうぞ後先など気にされずUPなさってくださいまし。
また歌をめぐるやりとりを楽しませていただきたいと存じます。
ありがとうございました
ご実家はより大山に近い米子と思っていましたが、境港でしたか。
境港は隠岐の行き帰り、また境水道大橋を渡って3度島根半島を(海にほぼ平行に走るので半島という気がしませんが)めぐり、松江に出たことがあります。
市内は有名になる前の水木しげるロードを歩いたことがあります。
国道際に車を止めて弓ヶ浜越に大山をながめていました。
トワ・エ・モアの「空よ」、なつかしいですね。
私もいつかアップしようと思っていましたが、先を越されてしまいました(^^)。
pukarikoさん
久しぶりの切れ味おもろい?コメント、嬉しく読ませていただきました
> 東京のT市で暮らし始めて20日が経ちました。
pukarikoさんらしさ!って何なのか?よく存じませんが
なんとなくpukarikoさんらしくないなぁ・・・なんて思っていました。
意外と?フツ~の母親(おばあちゃん)っぽいなぁなんて・・・。
> まるでこの町にずっと住んでるような顔して オートロックを通り抜け、
はい!はい! シティマダム?っぽいイメージが浮かんでまいりました
> 出会う人と挨拶を交わし、スーパーのレジのおばちゃんとおしゃべりし、、、
はい!はぁい! そこは大阪のおばちゃんぽく!ですね
> で、あんなに恋しかった横浜よりも大阪に帰りたい
> と思っている自分に驚いています。
ほ、ほんと~ですか
私も そんなpukarikoさんに驚いています。
> 何なんでしょうね。
なんなんでしょうね、ほんまに・・・
> 私も根無し草の居心地の悪さというか、
> 中途半端さをずっと感じつつの人生ですが、
いぇいぇ、しっかりストレートに生きてはりま~す
セイタカアワダチ草の雰囲気を感じま~す。
> 逆にどこでも生きられそうな、
> イヤになったらよそへ行けばいいだけのこと
> 身軽でいいやん、と開き直りつつあります。
そうですそうです、そのちょ~しで~す!
> デ某さんのお母さまほど我が母には頼られてもいませんし
と言うことは pukarikoさんのほうが わが家よりまだマシ!ってことでしょうか?
まあ いずれにしても とうに腹は括り 肚もすわりましたから、動じません。
ではでは 大阪にお帰りになられ
お母さまとの日々の再会(再開?)を楽しみにさせていただきます。
いましばらくの東京人(シティマダム)暮らしを堪能なさってくださいまし
夢子さん
コメントありがとうございました
> 父を送り丸9年、母を送り丸6年の歳月が過ぎました。
> 時の流れとは早いものですね。
時の流れも時の速さも 生きている身には ままなりません。
私の父は95歳で天寿を全うしましたが、
父とおなじほどに敬愛した義父は70代半ばで旅立ちました。
もう20年余が過ぎ、私、義父の年齢に近づきつつあります。
遺された者の歳に 過ぎ去った年月の様々な思いが ぎゅっと重なりますね。
> 夢子の心を置き去りにして時間はどんどん過ぎていきます。
置き去りにされたように夢子さんが感じていらっしゃるとしても
けして置き去りにはされていらっしゃいません。
寧ろご両親の年齢に近づく日々・・・
今月 誕生日を迎えられた夢子さんに
『また一歳、近づいてきたね』と歓んでいらっしゃると思います。
ずっとず~っと先 ご両親の歳をこえてご両親にお目にかかってくださいね。
> 夢子の場合、故郷はすぐそこにあるのに・・・
> なかなか行くことが・近寄ることができない遠~い所です。
お墓参りに限らず、琵琶湖の様々な自然に触れられては如何でしょう。
私 かつて琵琶湖一周ウォーキングにチャレンジした際、
何処を歩いても琵琶湖は「いいところやなあ」とつくづく思いました。
いま 琵琶湖畔に愚息一家が住むようになり
ますますその感をつよくしています。
> 両親の思い出も姉との他愛のないやりとりも
> 未だに忘れることができずに一人涙することもあります。
お姉さまが早くに旅立たれた悲しみが
夢子さんの心にずっと長くとどまっていらっしゃるのでしょう。
忘れないことも 涙されることも かけがえなく大切なことだと 私は思います。
> どうしようもないことですよね、
> 無理に忘れる・忘れなければならないことでもないと思うから。
はい。そう思います。
どうしようもない、というより、そのようにされることが寧ろ今は大切なことと思います。
忘れるエネルギーも忘れないエネルギーも たぶん同じ質量のような気がいたします。
> 前を向いて自分自身に与えられた命をまっとうすることが一番大切なことだとは、、、
私は 夢子さんは 意外と!前向きでプラス志向だと思っています、意外!と・・・(笑)
もしかしたら凡人さんもそう思っていらっしゃるかもしれません
お命、これから長~く十分!すぎるほどまっとうなさってくださいね
> 姉の分も生きると決めたから、いろんなことも辛抱してきたし、
> 今もできているんだと思います。
> 上手く言葉にすることができずもどかしいのですが・・・
そして・・・お姉さまの分も幸せになってくださいまし
まだまだもっともっと幸せになる余地、容量がありますよ、きっと!
言葉にするのは もっとずっと先で良いと思います。
> お母さまの介護いろいろと大変だとは思いますが大切にしてあげてください。
> 夢子のように後悔しないために。
私の場合 母のことはもう大変!過ぎて
母に対しては きっと後悔することはないと思います(笑)
血液検査の数値など私より立派な母ですから、
もしかして私より長く生き、
「先に逝く不幸をお赦し下さい」なんてことを私が言わなければならないかもしれません
夢子さん、コメントとても嬉しかったです。
そして 誕生日おめでとうございます
また来年の誕生日に向けて 素晴らしい一年を過ごされますようお祈りいたします
ふじのりんごさん
コメントありがとうございました
> お父様の3回忌 お疲れ様でした。
一周忌は従姉妹、従兄弟全員に集まって貰い「いとこ会」の雰囲気でした。
今回は 平日でもあり 敢えて家族のみ、母と姉と妻と私の四人、
父にも より寛いでいただいたような気がしています。
> 思い出に残る優しいお父様と、健在で頑張ってくれているお母様と、
> どちらも同じ重みを感じますね!
父は 健在であった時も 認知症になっても いつも穏やかな人でした。
気難しいところも手がかかるところもなく
亡くなるまでいつも周りを癒してくれる存在でした。
ただ母はきついところ、我儘なところがあります。
母はいつも家が恋しく 外泊のためにほぼ毎月!に近い帰省を余儀なくされています。
心身共にかなりの負担ではありますが、そうした思いは棚に上げ鍵をかけています(笑)
> 法要の都度 色いろ思い出すのが供養になるとか・・
法要も然りですし、
帰省するたびに仏壇にお線香を上げますので、供養はいっぱい!しています(笑)
> 境港市、素敵な町ですネ
> 郷里をお持ちで羨ましいです、憧れます
お褒めくださり くすぐったいですけど嬉しいです。
郷里はいつも重荷のように感じつつも、
それでも郷里を褒められるのはまた格別の嬉しさがございます。
> 大阪生まれ、大阪そだち、そのまんまです 笑
コテ!コテ!の浪速女でいらっしゃいますね
学生時代の友人は不思議に地方出身が多いのですが、
コテ!コテ!の大阪人もおりまして、ほんまにコテコテです。
ただし吉本風?でも河内風?でもなく 言わば船場風と言いますか、穏やかなコテコテです。
> 結婚した相手が宮崎出身で、初めて帰省した延岡市は人が温かくて優しい町でした
> 以来、第1の故郷と思っています
宮崎出身の私の先輩、後輩はたくさんかつ多彩です
みんな一様に気候、風土の良さを感じさせます。
おつれあいも そうした雰囲気のある方でいらっしゃることと思います
第二!ではなく、第一!の故郷と仰るところに、
おつれあいのお人柄が浮かんでまいります
東京のT市で暮らし始めて20日が経ちました。
まるでこの町にずっと住んでるような顔して
オートロックを通り抜け、出会う人と挨拶を交わし、
スーパーのレジのおばちゃんとおしゃべりし、、、
で、あんなに恋しかった横浜よりも大阪に帰りたい
と思っている自分に驚いています。
何なんでしょうね。
私も根無し草の居心地の悪さというか、
中途半端さをずっと感じつつの人生ですが、
逆にどこでも生きられそうな、
イヤになったらよそへ行けばいいだけのこと
身軽でいいやん、と開き直りつつあります。
デ某さんのお母さまほど我が母には頼られてもいませんし(・_・、)
mikihanaさん
コメントありがとうございました
> お父様の三回忌で帰省されたのですね。
27日が命日ですが、一週間ほど早く・・・。
まる2年、アッという間でした。
> ご自分のことも含めて いろいろ考え感じることも多かったのでしょうか。
> 本当の喪が明けてほっとされたことでしょう。
父は 生きているときは勿論 認知症になり自分をなくす過程にあっても そして亡くなっても
なにもかもを教訓として遺しました。
ただ 認知症になり亡くなるまでの10年余、
一度でいいですから 昔の父に戻ってほしいと願っていました。
> 故郷と言われると私もどこかな。
> 親の転勤や学校の関係で 実家の辺りには 母がいても 詳しくありません。
> 宙ぶらりんの私です。
mikihanaさんも転勤族のご一家でいらっしゃいますね。
私にとっては 「憧れ」であり 「羨望」のご一家です(笑)
故郷は リセットしたくても出来ないところが 一番!辛いところではあります。
「宙ぶらりん」・・・ぴったり!の良い表現、無重力空間の響きがあります。
そういう故郷、郷里であれば!と思います、
ないものねだりのゼイタクかもしれませんが・・・
mikihanaさんの次にコメント下さったふじのりんごさんは大阪の方ですが、
おつれあいは宮崎のご出身、mikihanaさんがこの前まで住まれた第二の故郷の由。
こういうこともブログの面白い一面でしょうか・・・。
でも mikihanaさんには 今お住まいの富士山を仰ぐ絶景の地が やはり一番!かと存じます。
遠音さん
旅先の長崎からコメント、ありがとうございます
> 三回忌は やはり逝ってしまった人への一つの節目のようなものでしょうか・・
> 心の始末は なかなか出来ませんが・・
逝ってしまった人それぞれに対して それぞれに節目を感じるように思います。
それでも お坊さんに「ほんとうの喪が明けた」と言われて
思わず 仏壇の父の遺影を見つめました。
「心の始末」は お坊さんの引導にて亡き父がつけたくれたように思いました。
> 故郷は 何処にしようかな?と考えるほど 父の転勤であちこち歩きましたが・・
> 言葉はほとんど違いませんから 戸惑いはありません。
私には 故郷はいつも重く窮屈で 転勤族のご一家を羨むところさえありました。
法務局、海上保安庁、税務署などの子の転校を見送るたびに「いいなぁ」と。
私は 「故郷」というより 家族や親類縁者あるいは地域の人々の存在そのものを
いつも重苦しく窮屈に感じていたのかもしれません。
> いまは故郷なしで良いかなって考えています。
故郷らしきものがない方は故郷のある人を羨み
逆に 関西弁で言う「コテコテの故郷」がある者にはいつも故郷が重くのしかかる・・・。
「故郷なしで良いかなっ」っていうのが 一番!良さそうです(笑)
> ようやくパソの環境が整い、なーんだの生活です。
よくぞお一人でパソを上手に操っていらっしゃいます
私は 本来!機械オンチで不器用ですから、今だにスマホを持たずガラケー&タブ、
遠音さんに心から敬意を表します。
> さて ¥100円の水を買いにチトセピアに行って来ましょうか!
札幌の「千歳」ではなく長崎の千歳なのですね
水・・・「奥大山の名水」などといった類のペットボトルは、
関西ではすでに2ℓを70~80円で販売しています。
> 長く生きていると水を買う生活にも出会うんですね~~
> 摩周湖の伏流水が懐かしい?です。
郷里の水道水は 大山からの伏流水を大深度配水管で各戸に送っています
ですから摩周湖の伏流水に負けないぐらいの名水が普段に飲めます。
その点は 郷里が一番!と自慢したくなります(笑)
> では また。
遠音さんのひとり旅の幸いを心からお祈りしています
くれぐれもお風邪など召されませんようにね。
夢子の心を置き去りにして時間はどんどん過ぎていきます。
夢子の場合、故郷はすぐそこにあるのに・・・なかなか行くことが・近寄ることができない遠~い所です。
両親の思い出も姉との他愛のないやりとりも未だに忘れることができずに一人涙することもあります。
どうしようもないことですよね、無理に忘れる・忘れなければならないことでもないと思うから。
前を向いて自分自身に与えられた命をまっとうすることが一番大切なことだとは、、、姉の分も生きると決めたから、いろんなことも辛抱してきたし、今もできているんだと思います。
上手く言葉にすることができずもどかしいのですが・・・
お母さまの介護いろいろと大変だとは思いますが大切にしてあげてください。
夢子のように後悔しないために。
思い出に残る優しいお父様と、健在で頑張ってくれているお母様と、
どちらも同じ重みを感じますね!
法要の都度 色いろ思い出すのが供養になるとか・・
境港市、素敵な町ですネ
郷里をお持ちで羨ましいです、憧れます
大阪生まれ、大阪そだち、そのまんまです 笑
結婚した相手が宮崎出身で、初めて帰省した延岡市は人が温かくて優しい町でした
以来、第1の故郷と思っています
ご自分のことも含めて
いろいろ考え感じることも多かったのでしょうか。
本当の喪が明けてほっとされたことでしょう。
故郷と言われると私もどこかな。
親の転勤や学校の関係で実家の辺りには
母がいても詳しくありません。
宙ぶらりんの私です。
心の始末は なかなか出来ませんが・・
故郷は 何処にしようかな?と考えるほど
父の転勤であちこち歩きましたが・・
でも 言葉はほとんど違いませんから
戸惑いはありません。
いまは故郷なしで良いかな
って考えています。
ようやくパソの環境が整い、なーんだの生活です。
さて ¥100円の水を買いにチトセピアに
行って来ましょうか! 長く生きていると
水を買う生活にも出会うんですね~~
摩周湖の伏流水が懐かしい?です。
では また。