私には今度会ったら殺したいというほど憎い人がいる。もう、現世では会うことはないだろうが、この世ではない所で出会っても殺してやるという激しい憎しみ。それも一人ではない。
人はどうなのだろうか。愛を持って人を許しているのだろうか。
この歳になるとそういう感情をもて余す。怨嗟にまみれた醜悪な鬼にはなりたくはない。かといってこの感情を上手く手放す事が出来ない。胸が苦しくなる時がある。
それが、ある方のブログを読ませて頂いてハッとする事があった。
「もし、あなたが苛められているとしたら、それは感謝した方が良い。その苛める人はあなたの悪運を吸い取ってくれているのだから」というような趣旨の記述が何故だかスッと胸に降りてきた。
勿論、科学的には何の立証も出来ない事ではあるがこの考え方に何とはなしにすがってこの感情を手放したいと思うようになった。
考えてみれば私の憎い人々に人生をねじ曲げられたことは確かだけれど、しかし、簡単に人を信じない性格を私にくれたことも確かだ。
お陰で合同結婚式に参加することもなかったし、詐欺にもあわず今日まで生きてこれた。
私が受けたであろう悪運を避けられたのかも知れない。
憎しみが少し薄れた。
ずっとこのままであってほしいのだが、、。
では、自分自身に問う。
「お前は誰かに殺したいと思われるほど憎まれていないか」
答え。ないと言い切る自信はない。
だから私も誰かの悪運を吸い上げている可能性はあるね。
そんなもんだよね。人間は、この世は。