実家の空き家も新しい方に
引き渡して
次は
祖母が建立して58年
経とうとする目前の
10月に
墓終いを終え
父が檀家だった納骨堂に
移すことに決まり
県外から泊まりがけで
妹夫婦たちと
同じホテルに泊まる従妹と
最近
昔の話をしたり
墓終いの段取りを
弟がしてくれていて
それに則って
どう言う風に
していくのかを
話したり
している。
母は
私が10代の頃から
何回も入院していて
病気が悪くなって
亡くなっていくまで
色々な病院に付き添って
段々と
母と娘の立場が
変わり
でも
小さい頃から
あまり甘えたり出来なかった
私にとって
最後の病院と
その一つ前の
病院の
付き添い介護は
苦しい事も多かったけど
従妹も還暦になり
いろいろな体験を経て
感じてくれることや
私が覚えていることを
話して行くことで
従妹と叔母さんの
関係性も
良くなって行って
私の体験は
心の澱だったけど。
兄弟ではなく
従妹と叔母に伝えることで
私自身も
やっと
心の氷が溶けるみたいに
これから
もっと歳を取り
いつか亡くなって行く時に
手放せる事が出来るかもと
思えるようになってきた。
ずーっと
自分の中で
モヤモヤとして
きついことが多かった。
生まれる前の
前世で
徳を積んでいなかったのだと思う。
実家の片付け
墓終いと
兄弟だけで
大人になってから
会う機会が持て
少し離れていた
気持ちが
少しまた近づいて
良い距離感になり
また
都内の生活の方が
長くなって行く
兄弟にとっても
心の中に
故郷を思い出せる日が
出てきていると思う。
50代60代になり
親も亡くなり
また介護する立場になり
これから
自分たちも
いずれ
老いていくのだと言う
事実にも目を向け始めている。
明治生まれの祖母も
従妹が度々
言うように
家から見える
桜島が
私も最近本当に
愛おしく思えて
車で娘と
団地から降りていく
坂の途中に
左側に綺麗に見えると
ホッとしたりする。
こう言う気持ちで
明治生まれの祖母も
35年間
あの寒い実家で
50代半ばから
頑張って私達孫の事
日常の事
暮らしを丁寧に
節約して
生きていたんだなあと
感慨深く思うことだった。