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今日は、私たち二人だけで、そのお庭で遊ばせていただくのです。(もちろん、持ち主様に許可いただいてますょ。)その庭は、裏山へと続いていて、野山の一部分。茗荷(みょうが)があるのです。夫と共にこの家に来させていただくまで、私はみようが採りなど、したことがなかった。そう、このお庭は素敵。茗荷があって、蕗(ふき)があって、梅の木(梅の実)、銀杏(ぎんなん)がある。自然の恵みがいっぱいで、これが自給自足していた昔の人の生活の知恵だと思う。なんて、豊かな生活でしょうか。
都会人の(夫と)私は、本当に茗荷(みょうが)採りにワクワクする。茗荷の葉の根元を少しかき分ければ、茗荷が顔を出している。土と似た色なので、最初はなかなか見つからない。でも中には、もう(黄色い)花の咲いたものもあり、それが目印となって、だんだん、眼が慣れるのか、いっぱい茗荷があるのがよく見えてくる。茗荷を手に包み、ポキンと採れば、茗荷の香りが強く鼻をかすめ、そして土のにおいにつつまれる。なんて、うれしい時だろう。茗荷と土のにおいの中に、私はいる。(いやしんぼの心は、「(みょうがを)(刻んで豆腐にのせ、かつお節かけると最高とか、冷たいそうめんの薬味がよいか」などと、ありありとその食べる瞬間を想像している)
(土と茗荷の)におい楽しみ、「食べると美味しい」というのを思い浮かべ、必死に得物を探す。当に幸せな時間ですょ。
(これはおまけ、ナンバンキセルかしら…)