天空海闊

命の考察

兄弟なる死

私のところにおまえはいつかやってくる。
おまえは私を忘れない。
それで悩みも終わりだ。
それで鎖も切れるのだ。

まだおまえは縁遠く離れているように見える。
愛する兄弟なる死よ。
冷たい星として、おまえは
私の苦しみの上にかかっている。

だが、おまえはいつか近づいて
炎に包まれるだろう・・・

おいで、いとしいものよ、私はここにいる。
私を抱いておくれ、私はおまえのものだ!

                
              ヘルマン・ヘッセ



現代臨床医学は、人間に死が迫ると感覚の一面が鈍るか無くなるかして、生理的に死の痛みや苦痛を感じなくなると言います。痛み止めのモルヒネと同様の効果を持つエンケファリンやニンドルフィンといったある種のホルモンが脳内に分泌されて、まるで夢を見ているような気分になったりするらしいのです。

傍目には死の苦しみを味わっているように見えても、本人は、その苦しみの直接的な意識を持たなかったり、意識があっても、ある種の変調によって快感を覚えたりして、死を安らかなものにする自然安死力を、人間は備えていると言います。年を取れば取るほど死の苦しみは少ないとも言います。

それが真実なら、すべてのものが、何の心配もなく、仏教の涅槃に見られるような安らかな「往生死」を遂げることができるのです。

 しかし、死は予想している以上に早く、思いもかけない時にやってきますし、まだ死にたくないと思いつつも無念のうちに死を迎えなければならないのも事実です。

 事故死や突然死、人為的な暴力による大量死が増加している現代社会の中で、たとえば、事故で亡くなった両親の遺体の前で呆然と立ちつくす子どもの絶望的な悲しみや戦火の中での無惨な死を、「往生死」の理念は救うことができません。こうした、本人の意図では殆ど回避できない境遇に於ける差異の大きさは、天の下での公正さの点でも相当の疑問が残ります。

そこに、死の問題の深みがあり、人知を超えた天(神)の介入こそ命に光を与えるものになることでしょう。
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