ならぬ堪忍するが堪忍、を実感する日々…
○ シンプルさは空極の洗練である。
レオナルド•ダ•ヴィンチ
雑多は不備や多難に繋がる。
○ どんな遠くに旅をしても、その距離だけ内面へも旅をしなければ、どこへも行きつくことはできません。
リリアン•スミス
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智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくに人の世は住みにくい 。
『草枕』冒頭に出てくる名句である。
夏目漱石の文章が廃れないのは、人生の普遍的な問題に光を当てているからだと感じる。
人との交流が欠かせない故に、生きることは難しい。互いに微妙に異なり、定まりなく動く波のような人の心。互いへの深い理解には、四季の変化にも似た広いバリエーションが必要であり、少し話したぐらいでは思いは通じないのが当たり前なのだ。
例えば恋愛→結婚にしても、経験が乏しい私が述べても説得力が無いが、僅かな期間(状況次第で異なる)で互いの人となりの底の部分を理解したつもりになれば、私のように後々の後悔につながる。互いに反りが合うかどうかの確認は欠かせないかも知れない。
単発的な状況において考える場合、人の想いや感情を悪く受けとればキリがないし、善良に捉えすぎると、「人を人と思わないような」組織や人物に搾取されかねないと言った悲しい現実がある。
それでも、後から考えると多少のすれ違いがあったにしても、
「その時、その人なりの精一杯の想いが示された」ことが分かることがある。
その場で気付かないことが多いが、それでもそれに気付いただけでもよし!なのである。
すぐ気付けない自分を責めても、感情が止まってしまう。
多少勝手な考えだとしても、「自分で自分を褒める」ことができれば、心が軽やかになり、更に人の思いに気付きやすくなる。こうしたことは枝葉で、本質的なことは又別なのだが...
どちらにしろ、人の殆どは夭折する。束の間でも生きてよかったと思える時間が増えれば、御の字である。