天空海闊

死とは何か②

勧善懲悪、正義に訴えたいとなると、カルト宗教や聖典なるものにハマる傾向が有る。

私も同様であったが、それらは相対的なもの、解釈次第である事実を忘れている。

自己評価も実は高くないので、結果として義をめぐる不毛な議論、または独りよがり(内心の承認欲求で他人の評価に過敏)を続けがちである。自説を装っても過去の遺物を摘んでいるだけであり、死の捉え方もその縁上にある。

そうした状況にある方たちにとって不都合な内容を含んでいるのが下記の体験である。

 

 

ある医師の体験

ここで、特に注目したい部分がある。

 

続く

コメント一覧

又三郎
不安に満ちて
旅への憧れにせきたてられ
とぎれとぎれの夢から覚めて
私は聴く
私の竹林が
夜 歌をささやくのを

休息するかわりに
慣れ親しんだ軌道から離される
走り去り 飛び去り
無限へと度するために
ハスキー
この本を読みだすと 異界に誘われるのです。 アタマが 痺れるように思います。
今宵は、この本を取り出して読みましょう。
手風
ハスキーさんの「理解」の意味とは異なるかもしれませんが、下記のような言葉がありました。

地上の現象はどれも比喩なのです。どんな比喩もひとつの開かれた門で、魂は、その心構えがあれば、昼も夜もすべてのものが一体になる世界の内部へ入って行くことができるのです。 
 
ヘルマン•ヘッセ  「 庭仕事の愉しみ」より
ハスキー
いつ死を迎えてもいいけど、その前に片づけをする必要があります。
買い込んだ毛糸。布地。
本はいつか誰かが読むかもしれない。
死後の世界、それを経験してから、伝えてくれた人たちの事。 いつかは理解できるのでしょうか?
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