勧善懲悪、正義に訴えたいとなると、カルト宗教や聖典なるものにハマる傾向が有る。
私も同様であったが、それらは相対的なもの、解釈次第である事実を忘れている。
自己評価も実は高くないので、結果として義をめぐる不毛な議論、または独りよがり(内心の承認欲求で他人の評価に過敏)を続けがちである。自説を装っても過去の遺物を摘んでいるだけであり、死の捉え方もその縁上にある。
そうした状況にある方たちにとって不都合な内容を含んでいるのが下記の体験である。
ここで、特に注目したい部分がある。
続く