芸能人の死を聴くと、死が身近に感じられ、自分の消滅に対する恐れや後の心配ごとが頭を過ぎる。
しかしその多くは思考のせいであり、死の実態を表してはいない。若い時は思考で答えを探ろうとしたが、それは迷路のようなものである。
様々なことにも通じるが、年齢を重ね、考えることと実際との違いを痛感することが増えた。実際、考えても仕方ないことが多い。自分の考えや予測を越えたところから喜びや真実がもたらされた、と言っても良い。
端的に言えば、今は死をイメージとして感じるだけである。
『木の実が熟して落ちる。その種がまた木になる。其々が運ばれ肥やしになったり、人は心が宿った木のようなものである』
『人生とは四季のようなもの』
自然に接し、また死生感に及ぶ経験や情報を蓄積してその印象は強くなってきた。
宗教組織や経典からそれが変わることはなかった。
このイメージを強くしたことの一つに、数年前に知ったある医師の体験がある。この体験がなぜ興味深いのか、述べてみたい。
続く