皮一枚で繋がり
開けば終わる関係もある
人生の複雑さ
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人との対話の先にあるもの。
「早急な答えではなく、対話を行い続けることに意義がある」との医療的な考え
日常への適用が非常に困難な理由
人の交流において、
互いに良くも悪くも誤解することが多いが、忙し過ぎたり、強い決めつけに合うと誤解を解く為のモチベーションを維持することはかなり困難
いや、実は自分はこうした気持ちだったとか、
説明する気にもならないのが現状。
大体、そのまま年月が経過して、蟠りだけが残る。
自分を含め、とりわけ日本人は自己評価が低い割には独特のプライド、自己主張への気恥ずかしさ、などにより、より深く関係が築けないことが多々あるように感じる。
幾多の夫婦喧嘩、親族間のトラブルにも遭遇したが、辛抱強く聞いたり、説明したりは殆どなく、互いへの一方的な決めつけと、それに比例した罵倒などで終わり、
後は互いに距離を空けた虚しい日々が流れ、良い手本など皆無に等しい。
結局残るのは、ある種の負の連鎖である。
跳んだり跳ねたりは虫でも出来るが、様々な軋轢を忍耐して凌駕する感動は人に与えられた宝物だが、
昨今は、その感動に共感する社会的なベースはかなり限られているように感じる。
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「人の話を聞く姿に自分を知る手がかりががある」
この方式を発展させた
相応しい対話方法は、
真の問題に気付く
きっかけになるようです。
専門家のような意識は、
むしろ邪魔になり、
無い方が良いらしい。
しかしこれらは
あくまでも、対面でのこと。
こうした文字だけの交流では
条件が難しそうです。