ヘクトーは多くの犬がたいてい罹(かか)るジステンパーという病気のために一時入院した事がある。その時は子供がよく見舞(みまい)に行った。私も見舞に行った。私の行った時、彼はさも嬉しそうに尾を振って、懐(なつ)かしい眼を私の上に向けた。私はしゃがんで私の顔を彼の傍(そば)へ持って行って、右の手で彼の頭を撫(な)でてやった。彼はその返礼に私の顔を所嫌(ところきら)わず舐(な)めようとしてやまなかった。その時彼は私の見ている前で、始めて医者の勧(すす)める小量の牛乳を呑(の)んだ。それまで首を傾(かし)げていた医者も、この分ならあるいは癒(なお)るかも知れないと云った。ヘクトーははたして癒った。そうして宅(うち)へ帰って来て、元気に飛び廻った。・・
去年の夏から秋へかけて病気をした私は、一カ月ばかりの間(あいだ)ついにヘクトーに会う機会を得ずに過ぎた。病(やまい)がようやく怠(おこた)って、床(とこ)の外へ出られるようになってから、私は始めて茶の間の縁(えん)に立って彼の姿を宵闇(よいやみ)の裡(うち)に認めた。私はすぐ彼の名を呼んだ。しかし生垣(いけがき)の根にじっとうずくまって・・・
翌朝(あくるあさ)書斎の縁に立って、初秋(はつあき)の庭の面(おもて)を見渡した時、私は偶然また彼の白い姿を苔(こけ)の上に認めた。私は昨夕(ゆうべ)の失望を繰(く)り返(かえ)すのが厭(いや)さに、わざと彼の名を呼ばなかった。けれども立ったなりじっと彼の様子を見守らずにはいられなかった。彼は立木(たちき)の根方(ねがた)に据(す)えつけた石の手水鉢(ちょうずばち)の中に首を突き込んで、そこに溜(たま)っている雨水(あまみず)をぴちゃぴちゃ飲んでいた。
この手水鉢はいつ誰が持って来たとも知れず、裏庭の隅(すみ)に転(ころ)がっていたのを、引越した当時植木屋に命じて今の位置に移させた六角形(ろっかくがた)のもので、その頃は苔(こけ)が一面に生(は)えて、側面に刻みつけた文字(もんじ)も全く読めないようになっていた。しかし私には移す前一度判然(はっきり)とそれを読んだ記憶があった。そうしてその記憶が文字として頭に残らないで、変な感情としていまだに胸の中を往来していた。そこには寺と仏と無常の匂(におい)が漂(ただよ)っていた。
ヘクトーは元気なさそうに尻尾(しっぽ)を垂れて、私の方へ背中を向けていた。手水鉢を離れた時、私は彼の口から流れる垂涎(よだれ)を見た。
「どうかしてやらないといけない。病気だから」と云って、私は看護婦を顧(かえり)みた。私はその時まだ看護婦を使っていたのである。
私は次の日も木賊(とくさ)の中に寝ている彼を一目見た。そうして同じ言葉を看護婦に繰り返した。しかしヘクトーはそれ以来姿を隠したぎり再び宅(うち)へ帰って来なかった。
「医者へ連れて行こうと思って、探したけれどもどこにもおりません」
家(うち)のものはこう云って私の顔を見た。私は黙っていた。しかし腹の中では彼を貰い受けた当時の事さえ思い起された。届書(とどけしょ)を出す時、種類という下へ混血児(あいのこ)と書いたり、色という字の下へ赤斑(あかまだら)と書いた滑稽(こっけい)も微(かす)かに胸に浮んだ。
彼がいなくなって約一週間も経(た)ったと思う頃、一二丁隔(へだた)ったある人の家から下女が使に来た。その人の庭にある池の中に犬の死骸(しがい)が浮いているから引き上げて頸輪(くびわ)を改ためて見ると、私の家の名前が彫(ほ)りつけてあったので、知らせに来たというのである。下女は「こちらで埋(う)めておきましょうか」と尋ねた。私はすぐ車夫(くるまや)をやって彼を引き取らせた。
私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅(うち)がどこにあるか知らなかった。ただ私の小供の時分から覚えている古い寺の傍(そば)だろうとばかり考えていた。それは山鹿素行(やまがそこう)の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い榎(えのき)が一本立っているのが、私の書斎の北の縁から数多(あまた)の屋根を越してよく見えた。
車夫は筵(むしろ)の中にヘクトーの死骸を包(くる)んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木(しらき)の小さい墓標を買って来(こ)さして、それへ「秋風の聞えぬ土に埋(う)めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家(うち)のものに渡して、ヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北(ひがしきた)に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸(ガラスど)のうちから、霜(しも)に荒された裏庭を覗(のぞ)くと、二つともよく見える。もう薄黒く朽(く)ちかけた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々(なまなま)しく光っている。しかし間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼につかなくなるだろう。
*夏目漱石「硝子戸の中」より
乾いた表現ながら、漱石の飼い犬への愛情が
しみじみと伝わってくる。
動物好きの家で育った私だが
猫や犬とは不思議な縁がある。
彼らは少々具合が悪くても
愛情表現を欠かさない。
主人に元気な姿を見せることが
責務でもあるかのように振舞う。
惨めな姿を見せたがらず、
いつの間にか居なくなり、
亡き骸となっていたこともある。
私は幾度か小さな別れを経験したが、
名前を呼ぶとその命の灯が消えかかるまで
起き上がろうとした。
その健気さは今も残像として心に残る。