このブログは下部に加筆しています。
(引用)
認知宗教学は日本ではまだ馴染みが薄い。だが欧米では一九九〇年代あたりから兆した研究分野である。進化論、認知科学、脳神経科学などの分野で議論されていることを積極的に採り入れている。宗教否定の匂いを感じる人もいるが、そういうわけではない。
ただし、教学、神学、宗学の類の土俵には乗らない。著者のアスランも「私は〈神〉が存在するか、しないかを証明することには興味がない。なぜなら、そのどちらの証拠も存在しないからだ」と述べている。
アスランは「人間の脳は〈神〉を人格化せずにはいられない」ことと向かい合う。人間がなぜ神を生み出したかは、認知宗教学にとってもっとも中心的となる研究テーマの一つである。欧米における認知宗教学は、一神教、そして人格神の観念が、思考を窮屈にしてきたことを自覚し、より広い視点からの神概念の検討がなされてきている。
引用終わり
(読書人 書評より)
自然界を詳細に観察すれば、自然界には道徳的基準などは皆無に等しいことが分かります。
自然界を創造したとされる力に道徳性の発祥を見出すことは、容易ではないでしょう。
下記、閲覧注意!
生存を第一目的にするなら、自然界で優先されるべきは、「生き残り」なのです。
愛 思いやり と言ったものはかなり限定的になりますが、
しかし、見方を変えるなら、冷酷さよりも、やさしさや大らかさを選択出来る、悲惨な面を教訓的に捉えることができるのが人間の優れたところであるともいえます。
自然界にある冷酷さの要因について、
ある人たちは「邪悪な存在にも創造力を付与して」答えを試行しますが、根拠はありません。
神 創造 人間 などの定義を根本的に見直さない限り、論議は堂々巡りとなり、真の癒しや希望が見出せなくなることでしょう。