うすい山荘を育てた 『 臼井家の歴史 』
創業50年目を迎えました。皆様に感謝致します。 天然車えび料理専門 うすい山荘
臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。
祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。
葛原親王は四品に叙して式部卿となった。 葛原親王の子は高見、孫は高望という。
高望は平氏の姓を賜り上総介となる。
高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、
武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。 國香の子は貞盛、良将の子は将門である。
良兼は上総介であり、
すなわち 臼井家の元祖である。
良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。
曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。これが千葉家より臼井家に伝わっている。
良兼の孫は致頼(むねより)平太夫と号して下総国千葉に住んだので千葉姓を名乗った。
致頼は勇敢で平貞盛の子維衡(これひら)・源頼信・藤原保昌(やすまさ)らとともに四天王と称された。
致頼の孫、忠常千葉前上総介は長元元年に乱を起して討伐軍と戦うが、
後に源頼信に降伏した。
忠常の曽孫常兼従五位下上総介の三男常安(常康)は千葉六郎と号し長寛二年総州臼井を領し臼井六郎と改めた。
これを臼井姓の始めとする。
臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。
臼井の地名は現在も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。
今、この秋穂で、
1623年から、臼井医院として、10代続いた蘭学医(医師)であり、
山口県で一番古い医師の家系でもあります。
秋穂天然車えび料理専門を始まりは、11代目が初めて、12代目が、今しております。
山口県の政治の世界を動かしたのも、聴いております。
天然車えび料理専門
うすい山荘
56代当主、臼井博隆