昭和48年8月31日から
天然車えび料理専門 うすい山荘を始める。
昭和58年9月18日、日曜日
西日本新聞本社の、
朝刊に中面、1ページを、うすい山荘の記事。
福岡の西日本新聞・日曜版にうすい山荘の記事が出る。
執筆者は、吉田記者(元福岡県知事)。
以来、福岡の朝日新聞・毎日新聞、
福岡県全紙のスポーツ紙に掲載され、
福岡のラジオ番組にて取材される。
博多駅のコンコースで、車えびの水槽が特別展示されたことも。
1623年~秋穂での
12代目、うすい山荘、当主
臼井博隆(昭和30年2月15日~)
うすい山荘 2代目経営者として、発展に尽力する。
桓武天皇から、
臼井家56代目当主。家内と私 博隆で車えび料理を全国的に有名にしました。
キリスト教徒でもありました。
臼井家は本姓は千葉といい平氏である。
祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわしんのう)である。
天然車えび料理専門 うすい山荘を始める。
昭和58年9月18日、日曜日
西日本新聞本社の、
朝刊に中面、1ページを、うすい山荘の記事。
福岡の西日本新聞・日曜版にうすい山荘の記事が出る。
執筆者は、吉田記者(元福岡県知事)。
以来、福岡の朝日新聞・毎日新聞、
福岡県全紙のスポーツ紙に掲載され、
福岡のラジオ番組にて取材される。
博多駅のコンコースで、車えびの水槽が特別展示されたことも。
1623年~秋穂での
12代目、うすい山荘、当主
臼井博隆(昭和30年2月15日~)
うすい山荘 2代目経営者として、発展に尽力する。
桓武天皇から、
臼井家56代目当主。家内と私 博隆で車えび料理を全国的に有名にしました。
キリスト教徒でもありました。
臼井家は本姓は千葉といい平氏である。
祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわしんのう)である。