敗戦後70年が過ぎたのに未だに、いやなお更強く思うことがある。
それは、戦争によって命を落とした人達を英霊として祭っている
靖国という神社が未だに存在していることだ。
そもそもこの神社は東京招魂社として1869年に創建された。
その前年に東征大総督有栖川宮熾仁親王ば、戊辰戦争での戦死したり
病死した官軍側の将兵のために招魂際を行うように命じたことに端を発します。
倒幕が成功すると、当然のように論功行賞が論議されますが、
戦士した者には何の賞もありません。
そこで、1869年6月2日太政官が、第1回武勲章を発表し、これに合わせて
東京招魂社を創建して、戦死者のご褒美として慰霊することにしたのがはじまりです。
つまり、勤王派や尊王攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側の戦没者のためのもの。
当然に彰義隊や会津・白虎隊は誰一人として祀られていません。
勝てば官軍、勝者の驕りの象徴でしかないのです。
「死んでしまった者には神として祀ってやるからそれで満足しろ」と
いうのに等しいものでしかない。
その後、日清、日露、十五年戦争の戦死者のみを神として祀ってきた。
(その戦死者や遺族の感情を無視して)
先の戦争では、本土決戦はギリギリでなかった(ただし、沖縄は本土のために犠牲にされた)が、B29の空襲で死亡した人々は決して祀られることはなかった。
防火法で逃げることを許されなかったにもかかわらずに。
そんな人達に対して戦後の政府や国会議員の輩が、靖国の参拝した後、
記者会見で必ず言うことが、「英霊に対して哀悼の誠を捧げた」という言葉だ。
でも、英霊に対しては
謝罪するのが筋だろう。
特に徴兵制を強いてからは本人の意思にかかわらず
前線に送り込んだ張本人たちにかわりだ。
特にその張本人たちの2世、3世議員たちは!
英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。
それは、戦争によって命を落とした人達を英霊として祭っている
靖国という神社が未だに存在していることだ。
そもそもこの神社は東京招魂社として1869年に創建された。
その前年に東征大総督有栖川宮熾仁親王ば、戊辰戦争での戦死したり
病死した官軍側の将兵のために招魂際を行うように命じたことに端を発します。
倒幕が成功すると、当然のように論功行賞が論議されますが、
戦士した者には何の賞もありません。
そこで、1869年6月2日太政官が、第1回武勲章を発表し、これに合わせて
東京招魂社を創建して、戦死者のご褒美として慰霊することにしたのがはじまりです。
つまり、勤王派や尊王攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側の戦没者のためのもの。
当然に彰義隊や会津・白虎隊は誰一人として祀られていません。
勝てば官軍、勝者の驕りの象徴でしかないのです。
「死んでしまった者には神として祀ってやるからそれで満足しろ」と
いうのに等しいものでしかない。
その後、日清、日露、十五年戦争の戦死者のみを神として祀ってきた。
(その戦死者や遺族の感情を無視して)
先の戦争では、本土決戦はギリギリでなかった(ただし、沖縄は本土のために犠牲にされた)が、B29の空襲で死亡した人々は決して祀られることはなかった。
防火法で逃げることを許されなかったにもかかわらずに。
そんな人達に対して戦後の政府や国会議員の輩が、靖国の参拝した後、
記者会見で必ず言うことが、「英霊に対して哀悼の誠を捧げた」という言葉だ。
でも、英霊に対しては
謝罪するのが筋だろう。
特に徴兵制を強いてからは本人の意思にかかわらず
前線に送り込んだ張本人たちにかわりだ。
特にその張本人たちの2世、3世議員たちは!
英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。