gooのブログより、昨年度の記事がネタとして送られてきた。いろいろ工夫しているようだ。さて、昨年度は夢佳が小学一年生として、入学した年だから、
その年3月までは、生後時を経ずして、乳児院にあづかり、幼稚園卒園まで施設にあずかってもらっていて、この娘を一日も早く両親や兄姉と暮らせるようにさせてやりたいと、私の悲願にしていた。
週に一度は府中から必ず面会に母親を引っ張り出して行き、オムツを替えさせたり、ミルクを飲まさせたり、いろいろしてきた。やがて年齢が上がると併設の幼児棟に行き、この頃には言葉も覚えて、見違えるようになった。
乳児の時は顔さえ忘れられオムツでハイハイしながら逃げていく姿に悲しい思いをしたのがウソのようになり、週一度外泊の迎えに行き、寮に送って帰る時は今度何時来るの?といい、保母さんが、指折り数えて何時も、待っています。と言ってくれた。
私も嬉しくて、遠足や、クリスマス会、運動会、稲刈り、数々のイベントには必ず参加した。思い出がある、幾つかはYouTubeに映像として残した。
その子も一昨年紆余曲折ありながら、大宮の自宅に連れ帰ることが出来た、本当に嬉しかった。自分自身をそれこそ、褒めてやりたい気持ちだ、
よく我ながらここまでやれたと思う、今月末、通っている小学校の祖父母参観日があり、、楽しみにしている。孫たちも喜んで迎えてくれる。私も熱くなるほど楽しみにしている。
兄、姉達の通学とか通園も其々世話をやくことが多かったが、少し安心している、私もあとわずかで古希を迎え、この先どうなるか自身はないが。
ただ、一つこの子たちの母親が元気になり、子供たちを責任を持って育ててくれたら何もいらない、最近歳のため、心身に衰えを自覚する。
私の願いはただひとつ、母親の健康と、子供達[孫]特に施設にいた末娘の行く末が幸多いものであれ、と願うばかりだ、それまで元気でいたいが、
なんとも言えない、ピンピンコロリ、成相寺の願掛け地蔵には何時も祈っている。
振り返って我が人生、苦労はあれど幸せな人生を送れたと思っている。日々是好、人生万歳!!