第二次パープル問題

<15代目フーシェ>が管理人のハンネです 

まだいたのか中核派 革マル派

2015年12月10日 | 日記
まだいたのか… 安保反対運動に「中核派、革マル派」の姿

12月09日 07:00dot.


まだいたのか… 安保反対運動に「中核派、革マル派」の姿

国会前の車道を埋め尽くす安保関連法案反対デモ。手には思い思いのプラカードが(9月14日) (c)朝日新聞社

(dot.)


 安保関連法案反対運動が大きく盛り上がったこの夏。初めての集会、初めてのデモ。そんななか、「新左翼」「運動」といった耳慣れぬ言葉を耳にした人も多いだろう。新左翼って、どういう人たちなんだろう。歴史を振り返って解説する。

 8月30日、国会前で「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8.30国会包囲行動」と銘打った集会が開かれた。ここで、もはや歴史の後方に追いやられたと思われた「新左翼」に出合えた。1960年代学生運動の原風景がほんのすこしうかがえるが、当時と違うのは、ヘルメットに角材(または鉄パイプ)といういでたちではないこと、機動隊とぶつからないこと、活動家が高齢化していることだ。学生運動に参加した団塊の世代たちは、大学卒業後、おおむね一般社会人の道を歩んでいる。かつての活動家の面影は消え、一見するとどこにでもいる日曜日のお父さんの風情である。
 
 60年代に学生だったいまの60代半ば以上にとっては、「まだ中核派、革マル派がいたのか」という驚きがあるだろうし、40代以下の人にすれば、新左翼といわれてもまるでピンと来ないだろう。彼らが学生時代を過ごした90年代には、身近に活動家は存在しなかった。すでにキャンパスは静かで立て看板もちらほら散見されるばかり。デモに遭遇することもほとんどなかっただろう。

 そもそも新左翼、極左、過激派とは何なのか。ときにツイッターで「○○は中核派と関係がある」などというツイートが流れてくることがあるが、「中核派」って何だ?と思う人も、少なくないはずだ。

 新左翼とは、60年代に既成の左翼政党を否定して世界各国で同時的に現れてきた学生や若者を主体とした左翼運動の総称だ。トロツキー、毛沢東、ゲバラなどの思想の影響を受け、カウンター・カルチャーとも連動して発展した。

 日本の新左翼には、いくつかの流れがある。まずは58年に日本共産党から飛び出した共産主義者同盟(共産同、ブント)。60年安保闘争のとき最前列でデモ隊を組み、国会に突っ込んだ。 トロツキーの思想に影響を受けた流れからは、革命的共産主義者同盟(革共同)が生まれた。この革共同がのちに運動方針をめぐって、中核派と革マル派に分かれた。

 日本社会党の青年組織から生まれた、社会主義青年同盟解放派(社青同解放派)もあった。

 これらの新左翼党派は60年代後半から70年代前半にかけて街頭で機動隊と激しい衝突を繰り返した。また、共産党を含めてそれぞれ独自に全学連(全日本学生自治会総連合)を作った。これは各党派の影響下におかれた大学自治会の連合組織である。いま、大学の自治会は政治を主張する場として機能していないが、当時は新左翼党派の活動家が自治会役員となって、大学を牛耳っている一面が見られた。

 一方で、大学では全共闘(全学共闘会議)が生まれ、バリケード封鎖を行っている。全学連との違いは、党派に属さないノンセクトと呼ばれる学生が中心となっていたことだ。党派の寄せ集め的なところもあった。

 67年の羽田闘争、68年新宿の国際反戦デー、69年1月東大安田講堂攻防戦では、全学連、全共闘が火炎ビンや石を投げつける、角材や鉄パイプを振りかざして機動隊と衝突する、政府関連施設を襲撃するなど暴れ回った。彼らはなぜ暴力に訴えるようになったのか。世界の左翼運動の動向に詳しい一橋大学教授の鵜飼哲さんはこう分析する。

「一つには、60年安保闘争の敗北の経験から、実力で阻止する気がないと何もできないという教訓を引き出したということ。もう一つは、運動を大きくするためのキャンペーンという側面。“武装カンパニア”という考えがありますが、運動の発展のために自分たちの決意の固さを行動で示し、若者たちに組織に入ってもらう、ということです」

※AERA 2015年12月7日号より抜粋
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 共産党や社民党は<新左翼>とは違いますよ

維新の党の松野代表、「共産以外で新党を」

2015年12月10日 | 日記
<維新・松野代表>「共産以外で新党を」

12月09日 21:46毎日新聞


<維新・松野代表>「共産以外で新党を」

インタビューに答える松野頼久維新の党代表=東京都千代田区の衆院第1議員会館で2015年12月9日、藤井太郎撮影

(毎日新聞)


 6日に維新の党代表に再選された松野頼久代表は9日、毎日新聞のインタビューに応じ、民主党と合意した統一会派に共産党以外の全野党の参加を求めた上で、「来年の早い時期に一つの党にすべきだ」と述べた。来夏参院選に向け、社民、生活両党なども含めた新党結成を目指すべきだとの考えを示したものだ。【聞き手・田所柳子、松本晃】

 −−5月の大阪都構想否決による橋下徹大阪市長の引退表明、江田憲司代表の辞任で代表に就任。この半年間を振り返るとどうか。

 ◆二枚看板を失い、本当にきつい半年だった。大阪側とはもっと早く収拾したかった。大阪側とは分かれたが、今でも橋下さんという政治家は大好きだ。

 −−民主以外との統一会派の可能性は?

 ◆共産以外の生活、社民、おおさか維新の会、新たに党を作ろうというグループ、無所属のすべてに呼びかけるべきだ。できれば年内に進め、統一会派を母体に来年の早い時期に一つの党にすべきだ。

 −−野党間の選挙協力ではだめか。

 ◆選挙区はそれでもいいが、比例を考えれば新党にすべきだ。

 −−民主は解党や党名変更には慎重だ。

 ◆民主、維新とも過去を清算し、まったく新しいものを作ることを国民は望んでいる。

 −−統一会派や新党の対象に大阪側は含まれるのか。

 ◆排除しない。野党寄りか与党寄りか、今後の大阪側のスタンス次第だ。

 −−民主内には生活の党の小沢一郎共同代表へのアレルギーもあるが。

 ◆小沢氏の経験、手腕は生かすべきだし、人ではなく政策を軸にまとまるべきだ。安倍政権では、増税せずに行政コストを下げて持続可能な財政体系に変える政策はできない。幅広い野党が結集することで、身を切る改革、徹底した行政改革を訴えるべきだ。今のままでは財政破綻か増税国家になる。

 【略歴】まつの・よりひさ 55歳。日本新党職員などを経て2000年の衆院選で初当選。09年、鳩山政権で官房副長官を務めた。12年に日本維新の会創設に参加し、現在6期目。比例九州。
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 新進党の時の小沢さんは、共産党さえも抱きこもうとしたけどね。

女子高生襲われる いわき 男逃走

2015年12月10日 | 日記

女子高生襲われる いわき、男逃走




 21日午後6時半ごろ、いわき市平中神谷の路上で市内の女子高生が背後から走ってきた男に口を押さえられた。女子高生は大声を出して助けを求めたため、男は近くに置いてあった自転車で逃走。生徒にけがはなかった。いわき中央署が警戒を強めている。
 県いわき教育事務所によると、女子高生は一人で歩いており、帰宅途中に被害に遭ったという。逃げた男は20代とみられる。


( 2015/10/24 08:51 カテゴリー:主要 )
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 JKをレイプとか妄想したおまえさんは健全じゃ やってはいかんがね