保育園に通い始めた4~5歳の時から、徒歩で一番近い汽車(当時国鉄の予土線といっていた)の駅で、
西ヶ方という高知県の駅(自宅は愛媛県だが、徒歩で20~30步行くと高知県に入る県境でもある)
まで約2kmを歩き、小さい子供の足では40~50分、道草もほぼ毎日なので1時間かかることもあった。
道幅3m位の砂利道で真横は線路と四万十川の支流で吉野川が流れ、
春から秋にかけて通園の途上様々な動植物との触れ合いが否応なくあり、
蝶やトンボは勿論、時には蛇やハクビシン、タヌキとの遭遇も珍しいことではなかった。
また外灯も皆無で秋から冬にかけては懐中電灯も必携だった。
幼馴染の女の子が1人いたのと、朝の通園の時には小学校に通っていた子供も4~5人いたので、
いっしょに連れて行ってもらっていたが、帰りは幼馴染の女の子と2人だけだった。
知っている人は多くないと思うが、シブ草やイタブと呼んでいた植物を、
道端や少し道をそれて採ってきては、おやつがわりに食べながら帰っていた。
その中でも野いちごやアケビ等はちょっとしたご馳走だった。
川のそばまで行くとシャブシャブという木ノ実にもありつけた。
こんな自然のものがおやつだったので、加工されたお菓子などは殆ど口にしなかったし、
周りには店も何もないので欲しがりもしなかった。
駅から保育園までは駅2つ(約20分~30分)汽車に揺られて川沿の線路を走り、
保育園のある最寄駅である吉野生という駅からはまた歩いて20分位なのだが、
ここでもよく道草をするものだから予定の時間に着かないこともよくあった。
この頃通園途中の汽車の中で、少しおしゃまな心が芽生え興味本位で、
よくは覚えていないが幼馴染とファーストキスを交わしている。
これが初恋という感覚もないのだが、幼き日の思い出の1ページというところだ。
こんな具合に家を出て保育園に着くのに1時間以上かかるので、
保育園にいた時間のことより、通園のことのほうがよく覚えている。
その保育園も私たちが卒園して2~3年で統合されて小学校の近くに移転されていて今は無い。
自伝制作はZIDEN.produce. www.ziden-produce.jp
西ヶ方という高知県の駅(自宅は愛媛県だが、徒歩で20~30步行くと高知県に入る県境でもある)
まで約2kmを歩き、小さい子供の足では40~50分、道草もほぼ毎日なので1時間かかることもあった。
道幅3m位の砂利道で真横は線路と四万十川の支流で吉野川が流れ、
春から秋にかけて通園の途上様々な動植物との触れ合いが否応なくあり、
蝶やトンボは勿論、時には蛇やハクビシン、タヌキとの遭遇も珍しいことではなかった。
また外灯も皆無で秋から冬にかけては懐中電灯も必携だった。
幼馴染の女の子が1人いたのと、朝の通園の時には小学校に通っていた子供も4~5人いたので、
いっしょに連れて行ってもらっていたが、帰りは幼馴染の女の子と2人だけだった。
知っている人は多くないと思うが、シブ草やイタブと呼んでいた植物を、
道端や少し道をそれて採ってきては、おやつがわりに食べながら帰っていた。
その中でも野いちごやアケビ等はちょっとしたご馳走だった。
川のそばまで行くとシャブシャブという木ノ実にもありつけた。
こんな自然のものがおやつだったので、加工されたお菓子などは殆ど口にしなかったし、
周りには店も何もないので欲しがりもしなかった。
駅から保育園までは駅2つ(約20分~30分)汽車に揺られて川沿の線路を走り、
保育園のある最寄駅である吉野生という駅からはまた歩いて20分位なのだが、
ここでもよく道草をするものだから予定の時間に着かないこともよくあった。
この頃通園途中の汽車の中で、少しおしゃまな心が芽生え興味本位で、
よくは覚えていないが幼馴染とファーストキスを交わしている。
これが初恋という感覚もないのだが、幼き日の思い出の1ページというところだ。
こんな具合に家を出て保育園に着くのに1時間以上かかるので、
保育園にいた時間のことより、通園のことのほうがよく覚えている。
その保育園も私たちが卒園して2~3年で統合されて小学校の近くに移転されていて今は無い。
自伝制作はZIDEN.produce. www.ziden-produce.jp