戸根明彦ブログ

ZIDEN.Produce.(自伝・自分史の制作)の運営をしています。HP:www.ziden-produce.jp

第6章 自立(3) 

2012-12-30 20:29:33 | 日記
そんな社会人1年目~3年目位は若手の中では
まあまあ出来る人間と見られていて、
今まで感じたことも無かった様なキラキラした思い出を得られていた。

クラブとして所属していたサッカー部でもレギュラーを得ていたのだが、
同期や先輩の中には強豪の南宇和高校でサッカー部に所属していた人や
北海道から来た同期の人間は旭川地区の選抜選手だった。

私が入社したこの年はそんな実力者にも恵まれたお陰で、
今までよりもレベルと体力が向上したチームとなり、
入社2年目には枚方市のリーグでのワンランク上の2部に上がっていた。

同市の体育大会では3位になったりして、
チームのモチベーションはこの頃が最高潮だったかと思われる。

ただ会社としてはあくまでもクラブ活動止まりで、
強化していこう等という考えはもうとうなかった。
それでも好きなサッカーを続けられた事でも充分満足していた。

私は社会人になってからも体力の維持をはかる為に、
仕事の終わった後の夜間に毎日5Km程度のランニングと
筋力トレーニングは欠かさず行っていて、
先輩の一人に趣味でランニングをしていた人から
42、195Kmのフルマラソンにいっしょに出場しないかと誘われ、
私は挑戦してみたくなりサッカー部の先輩や同期の人間にも声をかけ、
ハーフマラソン参加者も含めて10人程度で参加する事となり、
大会に向けて練習を始めた。

大会前の一ヶ月は毎日10Km走り、休日はタイムを取って20Kmを走っていた。
そして本番では初マラソンのコースとしてはちょっときつい起伏のあるコースながら、
3時間38分のタイムでの完走だった。

私はこと時次回は公式大会の出場資格タイムである
3時間10分を目指したいと思っていた。

・・・つづく

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第6章 自立(2) 

2012-12-29 18:29:34 | 日記
早速私はクラブ活動でもあったサッカー部に入り、
同郷の先輩や他地域の同期とコミュニケーションを図りながら、
職場ではとにかく一つでも多くの仕事をこなそうと
頑張る事により信頼を勝ち得ていき、

休みや仕事の早い日には趣味だった麻雀を通して
普段付き合いのない先輩たちとも交流を深めていったので、
入社後半年位のうちにはかなりの交流網を得られて、
人間関係も充実させていく事ができた。

また入社した男性の新入社員は全員が研修の一環として
一ヶ月程の間柔道をする事になっていた。

というのもこの会社、これも入社してから知ったのだが、
全国から優秀な柔道の選手を入社させており、
関西の実業団の中ではかなり名の通った会社であり、
後にオリンピック選手まで輩出している位に力を入れていて、

柔道部員も20~30人程いて殆どが何らかの
タイトルホルダーという強者の集まりで、
普段の業務も他の社員より2時間ほど早く
終業して練習している状態だった。

そんな訳で入社から2年目までの若い社員は
社内柔道大会に出場するのが必須だった。

そこで私は以前にもお話したとおり、
中学時代に嫌々ながらも3年間柔道を体得している為に、
また高校でもかなり自信をつけたスタミナを持ち合わせていたので、

若手の中では柔道経験者も殆どいない中で
頭一つ抜けている存在感があり、当然社内大会でも優勝。

さらには薦めに応じ枚方市の体育大会にも出場し
段外の部にて優勝するなどしていた為、
会社の柔道部も参加する大阪の大会の団体戦の先鋒
(段外者)としても呼ばれて出場していた。

特別な訓練をしていた訳ではないが、
様々な場面に顔を出し思いがけず活躍したりするものだから、
知らず知らずに注目度も上がりいつの間にか目立っていたようだった。


・・・つづく

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第6章 自立(1) 

2012-12-28 22:55:13 | 日記
就職したのは先にもお話したダイコロ株式会社という
大阪府枚方市という街に工場があり、
本社は大阪市北区と全国主要都市に支社や営業所、

工場も大阪府枚方市の本社工場と愛媛県宇和町、
千葉県、北海道それと台湾にも工場があり、
印刷会社としては割と大きい会社で、
学校の卒業アルバム制作では全国トップシェアを誇っていた。

入社後に知ったことだったが、
北海道には自社の民間飛行場を有し、
アメリカのカリフォルニア州に子会社の
ダイコロコーポレーションも配していた。

そんな成熟した優良企業の代表取締役を務めていた
社長の本籍が愛媛県にあったこともあり、
愛媛県内の高校には多くの求人を出されており、

入社後に知ったのだが、高卒の先輩の半数近くは愛媛県出身者だったので、
入社しても同郷の人が多くて仲間意識も強く働きやすい職場だった。

仕事の大部分は学校の卒業アルバムの制作で私の配属されたのは、
大阪工場の中の校正とという部署で
卒業アルバム内の文字(名前や文章)の植字ミスや原稿の修正など、
ミスを未然に防ぐチェック部門であった。

配属後暫くは卒業アルバムのみをチェックしていたが、
割と意欲的に仕事をこなすために
上司や先輩からの信頼も早く得ることができ、
一般の印刷物や書籍などの校正も任せられていった。

同期入社は大卒、高卒で50人超いたと思う。
地元で家から通う人を除いては研修期間中は全員独身寮に入り、
寮に居住する先輩も含めて、200部屋程の部屋は満室で、
大部屋まで使っていたと記憶する。

同期のうちの3割ほどが大卒だったが中小企業であったので、
そんなに優秀な大卒の人はいなかったように思う。

かえってその頃の大卒は選ばなければ殆ど入学できていたし、
卒業もしているような時代だったので、
高卒でもある程度頑張ってきていれば、
大卒の人にも負けていない位に思っていた。

入社後1~2ヶ月は周囲に気を遣いながら低頭に過ごしていたが、
慣れてくると周りの人の力量や性格もわかってきて、
気骨のある人間は同期の中では数える程だと感じていた。

・・・つづく

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第5章 基盤(6)

2012-12-27 23:59:22 | 日記
大学進学のための受験勉強やそれにともなう
ストレスが無かった割には、
厳しくも忙しく思えた高校3年間も、
部活動引退後は少し余裕もあってゴルフ場等で
キャディのアルバイトをさせてもらったり、
車の免許を取りに教習所に通ったりして過ごしていた。

就職試験や準備はさほど難しいものでも無かったので、
高校卒業までの数ヶ月はのんびりした感覚だったように思う。

年齢は18歳でまだ未成年ではあったが、
親の庇護のもと過ごしたのは高校卒業までの18年間となる。

そしていよいよ卒業となるが、
自分で言うのもなんだがまあまあいい成績と
スポーツ奨励賞を頂いて無事卒業。

特別何かのスキルや実績というものは無かったが、
度々お話しているように「やれば出来る」
「私なら大丈夫」といったような変な自信を秘めて
社会へと踏み出して行った。

さて、ここからは社会人として責任を持った
大人としての人生ということになるが、
今振り返ると本当に波乱に満ちていて、
こんな人生を経験することになろうとは露とも思わなかったし、
正直なところこれから先の人生についても
恐らく予想外の展開も多々あるのかと思われる。

ただし今までと違うのは、今までも選択と決定は
確かに自分で下してはきたのだが、
与えられた既存の世界や物の中での判断基準であったものから、
これから先はその世界自体も自らで創造し、
自らの求めるものに向かっての人生の選択と決定ということになる。

残されたこれからの人生の時間は、
後悔のない本当の意味での人生(生きる意味、生きがい)としていきたい。

・・・つづく

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第5章 基盤(5)

2012-12-26 22:05:45 | 日記
高校3年間での目標であったサッカー部での
レギュラーの獲得を果たし、あとは就職に向けての準備となっていったが、
就職先を決めていくところで何となくではあるが
私が希望していた就職先はあったのだが、

その前の年にはあった求人がその希望する企業からは
この年は無かったことを受けて、
私は明確な将来像もないまま就職先の希望を
また一から考える必要が出来てしまった。

そして諸条件を考えていく中で、地域は関西圏であり、
好きだったサッカーを続けられるクラブ活動の出来る会社と絞込み、
多くは無かったが数件の候補の中から私が選んだのは、
ダイコロ株式会社という印刷会社で、
主に学校などの卒業アルバムの制作を行っていて、
その業種では全国シェアNO.1ということだった。

後々の人生においての経験という意味では、
希望する会社からの求人が無かったことが、
更なる特別な経験を私にもたらしてくれる事になった訳だ。

もし希望する会社に入社できていたり、
経済的なことをクリアできて大学進学が出来ていたら、
恐らくはある程度は安定した人生になっていたことかと思われるが、
逆には今考えているようなこと、これ程までに様々な経験談を
ここに書き込むことはなかったのかとも思われる。

とにかく人生をある意味決する就職の入口に到達した時に
ある程度の自信をもたらしてくれた高校生活は
私自身の礎として今までも、これからも私を支えてくれる
土台となっていく事かと思われる。

・・・つづく

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