アロエベラとは(1)基本情報 からの続き
アロエベラの歴史について
①紀元前から利用されてきたアロエ
最も古いアロエについての記録は、
ピラミッドに置かれていた古代エジプトの医学書
『エーベルス・パピルス』に記述されています。
出典:istory.framar.bg
この医学書にはアロエを使った数多くの処方が記述されてます。
この医学書が記述されたのは、紀元前1550年頃であるといわれ、
既に今から約3500年前にはアロエが利用されていて
庶民の間ではそれ以前から使われていたそうです。
紀元前1世紀頃には、ローマ皇帝、ネロの侍医の
ディオスコリディスが『ギリシャ本草』を著して、
いろいろな病気に対する具体的なアロエの処方を挙げ、
アロエが様々な病気に効く万能薬であると記述されています。
『新約聖書』にもアロエは登場します。
キリストの埋葬で、アロエとヤブ人参を混ぜたものを
塗ったという「ヨハネ伝」もあります。
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医者要らずの万病薬 紀元前4世紀頃、
アレキサンダー大王の健康維持と将兵たちの健康維持に、
東アフリカのソコトラ島でアロエ栽培を行なったといわれてます。
②ヨーロッパからアジアへ
その後、ヨーロッパで広くアロエの効用が認められるようになり、
12世紀にはドイツ薬局方に記載されるようになり、
アロエの効用がドイツの法令によって公認されました。
そしてアロエは、シルクロードを経て中国へと伝えられ、
中国ではアロエのことを「蘆薈(ろえ)」といい、
漢方医学の父といわれる李時珍の著書『本草網目』にも登場します。
その本の中で蘆薈(ろえ)は、医学的に有用な植物と認めた上で、
「色黒く木のヤニのようなもの」と記されているところをみると、
当時から中国には今のアロエ汁を固めたものが伝えられて愛用されてきたようです。
③日本への伝来
我が国にアロエが伝えられたのは、鎌倉時代とも室町時代とも
言われていますが、江戸時代にアロエのことを蘆薈と言われていたことから
アロエが中国から伝わったことは間違いないところです。
アロエは植物としてではなく薬品として伝えられたと思われます。
これは、小野蘭山の『本草網目啓蒙』や、
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
貝原益軒の『大和本草』に
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
みられる挿画が、いずれも想像上の草姿に描かれていることでもわかります。
同じ頃、日本にポルトガルの宣教師もアロエを持ってきました。
そのアロエはキダチアロエだったといわれています。
その後、キリスト教の布教とともに全国に普及し、
一部の地域に根をおろして繁殖したものと考えられます。
④民間医療の市民権を得るまで
明治時代に入りドイツ医学の導入などもあって医療制度が整備され、
明治19年日本薬局方が制定されました。
アロエは蘆薈の名で当初から日本薬局方に登録されていました。
戦後は、アロエベラの薬効成分が世界中約2万もの研究者により国際的な研究所、
製薬会社にて研究され、国際アロエ科学評議会(IASC)[※1]にて様々な成果が報告されております。
これまでアメリカのロス.アラモス研究所やフランスのパスツール社などを
はじめとする研究所が、放射能汚染への効果や免疫強化効果などの研究成果を発表していますが、
近年ではアメリカにて血中糖度を下げるのにアロエベラは大きく貢献すると発表するなど、
アロエベラは大きく話題となりました。
しかし、アロエベラはその薬効があまりに多すぎるとされ、
まだ存在するアロエベラの薬効を解明するため、研究者達は現在も研究に取り組んでいます。
[※1]国際アロエ科学評議会(IASC)とは
世界中で非常に様々な食品、化粧品等に使用されているアロエの栽培土壌から
アロエ製品の品質に至るまでを管理している国際研究機関。
基本的に有機無農薬の土壌にて3年以上栽培され、
IASCの品質基準に到達することのできたアロエとその製品がIASC認定を受けられる。
ホームページURL:http://www.iasc.org/
アロエベラとは(3)健康に大切な栄養素について へ続く
アロエベラの歴史について
①紀元前から利用されてきたアロエ
最も古いアロエについての記録は、
ピラミッドに置かれていた古代エジプトの医学書
『エーベルス・パピルス』に記述されています。
出典:istory.framar.bg
この医学書にはアロエを使った数多くの処方が記述されてます。
この医学書が記述されたのは、紀元前1550年頃であるといわれ、
既に今から約3500年前にはアロエが利用されていて
庶民の間ではそれ以前から使われていたそうです。
紀元前1世紀頃には、ローマ皇帝、ネロの侍医の
ディオスコリディスが『ギリシャ本草』を著して、
いろいろな病気に対する具体的なアロエの処方を挙げ、
アロエが様々な病気に効く万能薬であると記述されています。
『新約聖書』にもアロエは登場します。
キリストの埋葬で、アロエとヤブ人参を混ぜたものを
塗ったという「ヨハネ伝」もあります。
声に出して読みたい新約聖書<文語訳> | |
齋藤 孝 | |
草思社 |
元始(はじめ)に言霊あり―新約聖書 約翰傳 全“現代版”禁教下の和訳聖書 ヨハネ伝 | |
J.C. ヘボン,S.R. ブラウン,奥野 昌綱 | |
和訳聖書分冊刊行会 |
医者要らずの万病薬 紀元前4世紀頃、
アレキサンダー大王の健康維持と将兵たちの健康維持に、
東アフリカのソコトラ島でアロエ栽培を行なったといわれてます。
②ヨーロッパからアジアへ
その後、ヨーロッパで広くアロエの効用が認められるようになり、
12世紀にはドイツ薬局方に記載されるようになり、
アロエの効用がドイツの法令によって公認されました。
そしてアロエは、シルクロードを経て中国へと伝えられ、
中国ではアロエのことを「蘆薈(ろえ)」といい、
漢方医学の父といわれる李時珍の著書『本草網目』にも登場します。
その本の中で蘆薈(ろえ)は、医学的に有用な植物と認めた上で、
「色黒く木のヤニのようなもの」と記されているところをみると、
当時から中国には今のアロエ汁を固めたものが伝えられて愛用されてきたようです。
③日本への伝来
我が国にアロエが伝えられたのは、鎌倉時代とも室町時代とも
言われていますが、江戸時代にアロエのことを蘆薈と言われていたことから
アロエが中国から伝わったことは間違いないところです。
アロエは植物としてではなく薬品として伝えられたと思われます。
これは、小野蘭山の『本草網目啓蒙』や、
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
貝原益軒の『大和本草』に
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
みられる挿画が、いずれも想像上の草姿に描かれていることでもわかります。
同じ頃、日本にポルトガルの宣教師もアロエを持ってきました。
そのアロエはキダチアロエだったといわれています。
その後、キリスト教の布教とともに全国に普及し、
一部の地域に根をおろして繁殖したものと考えられます。
④民間医療の市民権を得るまで
明治時代に入りドイツ医学の導入などもあって医療制度が整備され、
明治19年日本薬局方が制定されました。
アロエは蘆薈の名で当初から日本薬局方に登録されていました。
戦後は、アロエベラの薬効成分が世界中約2万もの研究者により国際的な研究所、
製薬会社にて研究され、国際アロエ科学評議会(IASC)[※1]にて様々な成果が報告されております。
これまでアメリカのロス.アラモス研究所やフランスのパスツール社などを
はじめとする研究所が、放射能汚染への効果や免疫強化効果などの研究成果を発表していますが、
近年ではアメリカにて血中糖度を下げるのにアロエベラは大きく貢献すると発表するなど、
アロエベラは大きく話題となりました。
しかし、アロエベラはその薬効があまりに多すぎるとされ、
まだ存在するアロエベラの薬効を解明するため、研究者達は現在も研究に取り組んでいます。
[※1]国際アロエ科学評議会(IASC)とは
世界中で非常に様々な食品、化粧品等に使用されているアロエの栽培土壌から
アロエ製品の品質に至るまでを管理している国際研究機関。
基本的に有機無農薬の土壌にて3年以上栽培され、
IASCの品質基準に到達することのできたアロエとその製品がIASC認定を受けられる。
ホームページURL:http://www.iasc.org/
アロエベラとは(3)健康に大切な栄養素について へ続く
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