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合言葉はヒュッゲ

ヒュッゲでない原家族の話 ⑤ 母

今日は母の日。

母の日って、GW明けすぐなのですね。

カーネーションは母の花として定着していますが、カーネーションの花命は短いです。

母はお嬢様育ちの末っ子でしたが、両親を10代半ばで相次ぎ失くしています。

だから私は母方の祖父母と会っていません。

母は自分の昔の話をした事がない。家柄がよく、兄姉には可愛がられ不自由はなかったとは言ってましたが、26歳で父と見合い結構するまで、実家で甥の子守や姉の夫が経営する漁網工場を手伝っていたようで
す。

父もおぼっちゃまでしたが、母も世間知らずのお嬢様。二人とも家族の中では出来が悪く、ハズレクジ同士の結婚でした。

母はそれなりに花嫁修行を受けていたけど、家事全般苦手で、料理も裁縫も下手。掃除をする姿を見た事がなく、洗濯も干したままたたむことをしませんでした。

靴下はカゴの中にバラバラに放り込まれていたため、学校に履いていく白いソックスも同じものを探すのが大変で、長さやサイズもチグハグなものを諦めて履いて行きました。

父が暴君だったため、母は世間目には耐え忍ぶ女として、身内や世間から同情を引きました。

しかし、今思えば、ガサツな性格で人の心を平気で踏み躙るような傾向があり、過敏な父はさぞかし傷つけられていたのではないかと予想します。

いわば、父が隠れ蓑となって母は守られていたのかも。

母は辛い事があると病気に逃げる人でした。

確かに幾度も手術を経験し、精神的にも追い詰められていた母です。苦しく辛い人生だったと思う。

小学生の頃、2週間ぶりに病室の母を訪ねた時です。
おかあちゃん!と叫び駆け寄る私に、
母は汚いものでも見るように顔をしかめ「なんだそんな見苦しい格好で。恥ずかしい!」

そのとたん、ピタっと足が止まり、身体が硬直したのを思い出します。

今では、手術の後でイライラしていたのだとは理解できます。

母は現在、老健施設で余生を過ごしています。

お母さん、母の日おめでとう。長生きできるか常に心配をしていたけど、93歳になりましたね。

その生命力にあっぱれです。

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