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都会生活1.2.3

映画 対峙

全編のほとんどが一室での会話だけで進行するという今までにない映画でした。

実際起きたアメリカでの事件。16歳の少年が学校で銃を乱射。犠牲者は多数に及び、犯人の少年も自ら命を絶った。

事件から6年立ち、被害者の少年の両親の希望で、教会の集会所を借りて対談。

加害者の両親は時間を少し遅れて登場し、母親は手作りのアレンジフラワーを持参した。

最初はぎこちない態度で互いを探り合うようにテーブルを囲む。

司会者はいない。遠慮がちに被害者の写真を見せてもらい、涙。加害者の少年の写真はなく、少年が幼少期から楽しんでいたかたつむり採取の話と瓶に詰められたかたつむりの部屋をイメージした工作。

何故あのような惨事が起きたか。検証の場でもなく、少年達が生きていた頃の回想
シーンもない。

そう、全て会話で語られている。それぞれの両親によるそれぞれの子育てと子への思いが白いテーブルを挟んで交錯する。

怒りが湧き互いを批判し合うシーンもあり、慰め合うシーンもあった。

6年という歳月はまだ16歳だった子どもを哀悼するには短すぎる。しかし、時は確実に流れている。その証拠にどちらの両親もやつれて焦燥しきっている。毎日が地獄だったのだ。

会話は時に席を離れ、水分を摂ったりあふれる涙を拭きながら続いてゆく。

互いの息子はこの世にいない。誰も裁けないのだ。失われた命は戻らない。憎んで憎んで憎みきっても何一つ得るものはなく、不毛な苦しみだけが漂う。

あなた達を赦します。被害者の母は放心した顔でつぶやく。本心だろうか。今この場で赦しても、また憎しみの炎が戻って来るのではとハラハラする。

対話は終わり、ぎこちない笑顔で別れを告げる。一旦外へ出た加害者の母が戻り泣きながら部屋では言えなかった事を話したいと懺悔する。

また会いましょうと母達は約束する。心の痛む辛い作品だった。父として、母として、子どもと向き合う事の意味を問う襲撃作。着地点はなく、ただ切ない。神様だけが答えを出してくれるのだろう。


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