父は寿司が好きで、海苔の行商では、個人の寿司屋に飛び込み営業でお得意先を増やしていたらしい。
でも、ほんとに商売が成り立っていたとは思えない。海苔を卸してもなかなか集金できず、寿司と引き換えなんて事もあったみたいだし、まさに物々交換。
ぶっちゃけ、父に商才なんてなかったと思う。利益が上がらず家にはお金を入れず、しかもOLだった次姉に時折お金を借りていたくらいだもの。姉はドケチだからしっかり取り立てをし、たかだか五千円を返済一日過ぎる事も許さなかった。あのやり取りは聞いてて胸が痛んだね。
いつもは強気な父に向かい、罵声を浴びせむしりとっていた。私ならたぶんずるずる待ってしまうだろうな。
田舎だからね、村人は早朝から夕方まで働いてる。そんなところへ暇そうに帰るのは嫌だから、営業の合間、時間潰しで三味線教室に通ったり、お茶屋のおかみとカラオケ楽しんだり。
家に帰りご飯をすますと、一時期三味線のレッスンをしていた。誰も聴かない一人三味線コンサート。それに飽きると、カラオケ機材買い込んで一人カラオケ。ダミ声で北島三郎や鳥羽一郎歌ってた。渥美二郎や宮史郎も。大音量で歌いリピート。騒音でしかなかったよ。
あ、今気づいたんだけど、演歌歌手って〜郎って名前が多いんだ。
父にとっては趣味なんだろうけど、ちっとも楽しそうじゃなかった。父はたぶん精神病んでたから、不安や怒りから逃れたくて何かに没頭してたんだと今では思う。